第三百十話 雑賀の鉄砲撃ち
数日後――。
秀政は、信雄の館を訪れていた。
供として連れてきたのは白鬼の一部だけである。
今回の目的は戦ではない。
信雄への土産として持参したのは、百五十貫ほどの値が付く名物の茶器だった。
「三介様。
まずはこちらを」
「何じゃ?」
信雄が箱を開ける。
中に収められていた茶器を見るなり、その表情が変わった。
「おお!
これはなかなかのものではないか!」
「備前・雲烟水指にございます」
「雲烟か!聞いたことがある。
水指の胴に現れた自然釉の景色が、朝霧の中で雲がたなびくように見えることから命名されたものじゃな?
宗及が名付けたとか?」
信雄が嬉しそうに茶器を手に取った。
「秀政殿。
今日は随分と気前がよいではないか」
「もちろんでございます。
三介様には、以前より随分とお世話になっておりますからな」
秀政は笑顔で答えた。
無論、それだけのために百五十貫もの茶器を持ってきたわけではない。
秀政は頃合いを見計らって、本題へ入った。
「それにしても三介様。
先日、秀文より面白い話を聞きましてな」
「秀文殿から?」
「はい。
三介様が紀伊で、新たな鉄砲隊をお作りになっているとか」
信雄が得意そうに胸を張った。
「うむ!
黒鬼にも負けぬ鉄砲隊を作ってやろうと思ってな!」
「さすが三介様!」
秀政はすぐに声を上げた。
「俺はその話を聞いて、目から鱗が落ちる思いでございました」
「ほう?」
「紀伊には雑賀、根来がございます。
天下に知られた鉄砲撃ちの地です。
俺も鉄砲隊を長く使ってまいりましたが、まさかその者らを自らの兵として使おうとは考えませなんだ」
もちろん嘘である。
今では思い切り考えている。
「三介様は紀伊を治めるや否や、すぐにそこへ目を付けられた。
いやはや、目の付け所が違いますな」
「そ、そうか?」
「はい。まさに慧眼にございます」
信雄の口元が見る見る緩んでいった。
尊敬する秀政から、ここまで正面から褒められる機会は多くない。
「はははは!
秀政殿でも気づかぬことがあるか!」
「もちろんですとも。
俺とて何でも思いつくわけではございませぬ」
秀政は笑顔を崩さなかった。
(よし。もう一押しだ)
「そこで三介様に、一つお願いがございます」
「何じゃ?申してみよ」
「雑賀、根来で、芋粥家に仕官を望む鉄砲撃ちを募ることをお許しいただきたい」
信雄が目を瞬いた。
「わしの紀伊でか?」
「はい。
無論、三介様が召し抱えようとなさっている者を横から奪うつもりはございませぬ。
三介様の鉄砲隊に入らなかった者。
あるいは初めから芋粥家への仕官を望む者だけで結構です」
秀政はそこで頭を下げた。
「秀文と燈姫の縁もございます。
芋粥家だけは特別にお許しいただけませぬか?」
信雄は少し考えた。
目の前には百五十貫の茶器がある。
しかも先ほどから秀政に散々褒められている。
何より、可愛い娘の燈姫がいずれ嫁ぐ相手が芋粥家の秀文である。
「よかろう!」
答えは早かった。
「本当でございますか!」
「うむ!
秀政殿であれば構わぬ。
好きに募るがよい!」
「おお!さすが三介様!
懐が深うございますな!」
「ははははは!」
信雄は上機嫌だった。
秀政も笑った。
(よし!)
百五十貫の茶器は安くない。
だが、これで雑賀と根来という鉄砲兵の宝庫から、人材を直接集める許可を得た。
数十人でも腕の立つ者が見つかれば、十分に元は取れる。
百人、二百人も集まれば大成功である。
秀政は、この時点ではそう考えていた。
*
信雄から許しを得ると、秀政はそのまま白鬼を伴って雑賀へ向かった。
雑賀には、秀政自身にも多少の因縁がある。
かつて三介の紀伊攻めに付き合わされた折に、芋粥家の黒鬼鉄砲隊、白鬼鉄砲隊と雑賀の鉄砲衆は、互いに銃口を向け合った。
特に狙撃戦では、雑賀衆も芋粥家も、お互いの腕前を嫌というほど思い知らされている。
芋粥家は、その雑賀の鉄砲撃ちを、今度は自分の兵にしようというのである。
(戦国とは分からんものだな。
昨日までの敵を、今日は金を出して雇いに来るのだから)
やがて秀政は、雑賀の有力者の一人である鈴木佐大夫と対面した。
「芋粥伊勢守秀政にございます」
「鈴木佐大夫にござる。
伊勢守様は我らを恨んではおらぬのですか?」
「いや、戦国の世なれば、昨日の敵は今日の友……
そういうことも珍しくはございますまい。
今日は敵としてきたのではありませぬ。
それよりも、鈴木殿の方こそ、我らのことは恨んでおいででは?」
「いえ、滅相もない。
戦国の世の習いなれば、撃ち合うことも是非もなし」
だが、その目は秀政の後ろに控える白鬼へ向けられている。
白い狩衣に、鉄砲。
かつて戦場で雑賀衆と撃ち合った兵たちである。
佐大夫も白鬼には興味があるようだった。
「それで、伊勢守様。
今日は何用で雑賀まで?」
「鉄砲撃ちを雇いに参った」
秀政は単刀直入に答えた。
佐大夫の眉が動いた。
「ほう」
「三介様からも許しはいただいておる。
雑賀、根来の者の中から、芋粥家へ仕官したい者を募りたい」
「雇い兵を、お求めか?」
「一時の雇い兵ではない」
秀政は首を横に振った。
「鬼兵として家臣に召し抱える」
今度こそ佐大夫の表情が変わった。
鬼兵。
雑賀衆とて、その名は知っている。
芋粥家が長年育ててきた常備の精鋭であり、赤、青、黒、白と役割ごとに異なる兵を抱える。
「雑賀の鉄砲撃ちを、鬼兵として家臣に?」
「ああ。
俺は雑賀衆と実際に戦ったことがある。
だからこそ、その腕は知っておる」
秀政は佐大夫を真っ直ぐ見た。
「鉄砲の腕に自信がある者なら、身分は問わん。
芋粥家へ仕えたい者は全て試す。
腕があれば鬼兵として召し抱える。
人を率いた経験があり、それだけの器量がある者なら組頭にもする」
「…………」
「百人を率いるだけの腕と器量があるなら、足軽大将として召し抱えてもよい」
佐大夫が目を細めた。
「随分と気前のよい話ですな」
「それだけ雑賀衆を買っておるということだ」
秀政は隠さなかった。
「南信濃で武田と戦い、大勢の鉄砲鬼兵を失った。
俺には今、即戦力が要る。
それに見合う者として、日ノ本広しといえども紀伊の鉄砲撃ち以外にあろうか」
「なるほど」
「ただし、誰でもよいわけではない。
鬼兵の名を与える以上、相応の腕は見せてもらう」
佐大夫はしばらく黙っていた。
かつて敵として撃ち合った芋粥家が、今度は雑賀の鉄砲撃ちを最高位の常備兵として迎えたいと言っている。
しかも腕次第では、足軽大将にまで取り立てるという。
雑賀の者にとっても、悪い話ではない。
「……承知いたした」
佐大夫の答えは、相変わらず素っ気なかった。
「里へ触れを出しましょう」
「助かる」
「ひと月後でよろしいか?」
「ああ。
雑賀だけでなく、伝手があるなら根来にも話を回してもらいたい」
「分かり申した」
佐大夫はそれだけ答えた。
だが――。
秀政が帰った後、佐大夫は一人で笑った。
かつて自分たちと撃ち合った芋粥家の鉄砲隊。
その芋粥伊勢守が、今度は雑賀の鉄砲撃ちを欲しがっている。
しかも鬼兵として迎えるという。
それは雑賀衆の自尊心を大いに満たす話でもあった。
佐大夫自身、これを里に伝えた場合、どのような者が集まり、芋粥家がその中から誰を選ぶのか、興味があった。
*
そして、一月後。
秀政は再び雑賀を訪れた。
「……は?」
思わず、間の抜けた声が出た。
広場を埋めるように、人がいる。
皆、鉄砲を担ぎ、粗末な着物姿の者や、見るからに戦慣れした者までいた。
数十人どころか、百人、二百人ですらない。
「佐大夫殿」
「何ですかな?」
「……これは全部?」
「芋粥家への仕官を望む者たちにござる」
秀政はもう一度、人の群れを見渡した。
「何人おる?」
佐大夫は平然と答えた。
「雑賀、根来、合わせて八百余り」
「八百!?」
秀政の声が、雑賀の里に響いた。




