第三百九話 即戦力
「鬼兵の作り方そのものを、一から作り直すぞ」
秀政の言葉に、坂木と上田が深く頷いた。
「はっ!」
「承知いたしました」
具体的な制度については、明日改めて話し合うことになった。
傷を負って戦列へ戻れなくなった鬼兵の中から教官を選び、新兵の育成に当たらせる。
新兵はまず身体を鍛え、その過程で馬術や鉄砲、槍、剣などの適性を見る。兵として最低限必要な武技を身につけさせた後は、それぞれの得手を重点的に伸ばしていく。
さらに教官たちが実戦で得た経験や、新たに見つかった有効な戦い方も後続へ伝える。
方向は決まった。
だが、それを実際にどのような仕組みにするのかは、これから坂木や上田たちと詰めなければならない。
「今日はここまでにするか」
秀政がそう言うと、張り詰めていた空気がようやく緩んだ。
坂木と上田が書付をまとめ始める。
秀文も、自分の役目は終わったと思ったのか、小さく息を吐いた。
その様子を見て、秀政はふと思い出した。
「そういえば秀文」
「はい?」
「燈姫とは仲良くやっておるか?」
突然話が変わったため、秀文は目を瞬いた。
「はい、父上。
随分と懐かれました。
兄のように慕ってくれております」
「そうか。それは良い」
燈姫は織田信雄の娘であり、秀文の許嫁である。
まだ幼い二人であるため、今すぐ夫婦になるわけではない。
それでも将来を考えれば、今のうちから仲が良いに越したことはなかった。
「それに、三介様も時折お越しになります」
「……三介様が?」
「はい。
おかげさまで、燈姫も寂しくないようです」
「そ、そうか」
秀政は少しだけ顔を引きつらせた。
三介の顔が頭に浮かぶ。
「まあ、あの方は行動力だけは一流だからな。
燈姫が寂しくないのであれば、良いことだ」
「はい。
三介様は面白い方ですね」
「……そうか?」
秀政としては、面白いという一言で片付けてよい人物なのか、少し疑問だった。
だが秀文は楽しそうに続けた。
「この前も、自慢しておられました」
「何をだ?」
「今、鬼兵にも負けない兵団を作っているそうです」
「三介様がか?」
「はい。
今度会う時には、黒鬼にも負けない鉄砲隊を見せてやる、と仰っておりました」
その言葉を聞いた瞬間だった。
書付をまとめていた坂木の眉が、僅かに動いた。
だが、秀政は気づかない。
「ははは。
あの方は本当に言いそうだな」
秀政は苦笑した。
「もっとも、三介様の場合、不可能と思えることでも滅茶苦茶な手を使って実現しかねん。
本当に黒鬼にも負けぬ鉄砲隊を作っていても、俺は驚かんぞ」
「私も今度見せてもらう約束をしました!」
「そうかそうか。
まあ、仲良くしておけ」
「はい!」
秀政はそこで雑談を終え、改めて坂木と上田へ向き直った。
「さて。
今日は良い議論ができた」
二人も姿勢を正した。
「坂木、上田。
明日からが本番だ」
「は」
「秀文の考えをそのまま使えるわけではない。
決めねばならんことはいくらでもある」
「左様にございますな」
上田が頷いた。
秀政は机の上に置かれた名簿へ目を落とした。
「それに、この方策は確かに鬼兵の育成を効率化できる。
今までより育てる期間も短くできるだろう。
だが――」
指先で名簿を叩く。
「それでも、明日から千人の鬼兵が増えるわけではない」
坂木と上田の表情が引き締まった。
「武田がいつまで大人しくしているかも分からん。
本音を言えば、失った千人の穴は今すぐにでも埋めたいところだ。
ゆえに、もたつくことは許さん。
出来るだけ早く制度をまとめ、新兵の鍛錬を始めるぞ」
「はっ!」
坂木と上田が頭を下げた。
だが、坂木はそのまま頭を上げなかった。
何かを考えるように、先ほどから机の一点を見つめている。
「……坂木?」
秀政が声を掛ける。
坂木はようやく頭を上げた。
「殿」
「何だ?」
「若様は、末恐ろしゅうございますな」
「え?」
秀文が驚いたように坂木を見る。
坂木はそんな秀文へ一度頭を下げた。
「我らも舌を巻く発想にございました。
傷を負った鬼兵の経験を新兵へ伝える。
早いうちから適性を見極め、得手を伸ばす。
この方策は、これから継続して鬼兵を育て、強くしていくために必要なものとなりましょう」
「俺もそう思う。
だからこそ、明日から――」
「いえ、殿」
坂木が遮った。
「それだけではございませぬ」
秀政が眉を上げた。
「どういうことだ?」
「先ほど殿は、今すぐにでも兵の穴を埋めたいと仰いましたな」
「ああ。
出来るものなら、そうしたい」
「でしたら――」
坂木の口元が僅かに緩んだ。
「即効性のある策も、一つございます」
「何?」
今度は秀政が身を乗り出した。
「そんなものがあるのか?
申せ」
「はい」
坂木は一度、秀文へ目を向けた。
「これも、若様との会話から思いついたことにございます」
「私ですか?」
「はい」
秀文は何のことか分からず、自分を指差した。
坂木は続ける。
「若様は先ほど、最初から適性のある者を見抜けばよいと仰いました」
「ああ」
「そして、つい先ほど――三介様が鉄砲隊を編成なさっているという話がございました」
そこで坂木は、わざと言葉を止めた。
「…………」
秀政も黙った。
三介。
鉄砲隊。
そして、信雄が治めている国。
そこまで考えたところで、秀政の目が見開かれた。
「……おい」
坂木が笑った。
「はい」
「ま、まさか……」
「そのまさかにございます」
秀政は思わず机へ身を乗り出した。
「雑賀や根来から、黒鬼鉄砲隊の志願者を募れと?」
「御意」
坂木は大きく頷いた。
「紀伊は本願寺との戦も終わり、以前に比べれば落ち着いております。
そして今、その紀伊を治めておられるのは三介様」
坂木は秀文を見る。
「三介様は、若様のご舅様でもあられます」
「……なるほど」
「我らが勝手に紀伊の者を引き抜くわけにはまいりませぬ。
ですが三介様へ事情を話し、お許しをいただいた上で、芋粥家へ仕官を望む者を募るのであれば話は別でしょう」
上田も、ようやく坂木の考えを理解した。
「雑賀、根来……」
「左様」
坂木が頷く。
「鉄砲を初めて持つ新兵を一から育てる必要はございませぬ。
すでに鉄砲を扱える者の中から、さらに腕の立つ者を選べばよいのです」
秀政はしばらく黙っていた。
やがて――。
「はは……」
小さく笑い始めた。
「殿?」
「はははは。
なるほどな」
秀政は額へ手を当てた。
「新兵を早く育てるどころの話ではないではないな」
坂木も笑みを浮かべる。
秀政は顔を上げた。
「最初から熟練兵を連れてくる気か」
その横で話を聞いていた上田も、ゆっくりと頷く。
「そういうことであれば、拙者も一つ、即効の薬を知っておりますぞ」
「何?」
秀政が上田を見る。
「お前まで何か思いついたのか。申せ」
「は」
上田は机の上に並べられた報告の中から、赤鬼剣豪隊のものへ目を向けた。
「赤鬼剣豪隊。
これを元通りにするには、相当な年月が掛かりましょう」
「……そうだな」
秀政の表情が僅かに曇った。
赤鬼剣豪隊百名。
南信濃では六十名が死傷し、三十五名が恒久的な損失となった。
しかも、その頂点に立つ村瀬兼良自身が重傷を負い、未だ南信濃から戻っていない。
何より、剣豪隊は単に腕の立つ兵を百人集めた部隊ではない。
村瀬が長い年月を掛けて育てた新陰流の門弟たちである。
新兵を三十五人入れれば元に戻るような部隊ではなかった。
「ですが殿。
新陰流の使い手を短期間で三十五人育てることが難しいのは事実なれど、本陣を守る精鋭の近衛兵が必要なのもまた事実にございます」
「ああ」
「ならば、新陰流に拘る必要はないのではありませぬか?」
「……何?」
秀政が眉を上げた。
上田はそこで、秀文へ顔を向けた。
「これも、若様のお顔を見て思い出しました」
「わ、私の顔ですか?」
突然自分へ話を振られ、秀文が目を丸くする。
「はい。
若様、今朝も槍の稽古をなさっておりましたな?」
「はい。
朝餉の前に」
「誰に教わっておられました?」
「兵庫爺に……」
そこまで答えたところで、秀文も首を傾げた。
秀政も同時に気づく。
「……あ」
上田が笑った。
「お忘れでございますか、殿。
当家には兵法指南役の二枚看板がおります」
村瀬兼良。
そして――。
「比自山兵庫実綱殿」
秀政は思わず天井を仰いだ。
「……おったな」
「おりまする」
上田が苦笑する。
「兵庫殿は一条流槍術の使い手。
しかも兵庫殿が当家へ仕えてから、随分と年月が経っております」
比自山兵庫実綱は、自ら槍を振るうだけではない。
芋粥家の兵法指南役として、長年にわたり家中の者たちへ一条流槍術を教えてきた。
秀文も、その門弟の一人である。
「そろそろ伊勢にも、一条流の槍を相応に修めた者が増えているのではありますまいか?」
「…………」
秀政は腕を組んだ。
確かに、村瀬新陰流ばかりを考えていた。
赤鬼剣豪隊が失われた。
ならば村瀬の門弟を育て、再び人数を戻さなければならない。
そう思い込んでいた。
だが、必要なのは「新陰流の剣士百人」ではない。
本来の役目は――。
「本陣を守る近衛か」
「御意」
上田が頷いた。
「無論、赤鬼剣豪隊そのものは、村瀬殿がお戻りになられた後、時間を掛けて再建すればよろしいでしょう。
ですが、それを待っている間、本陣の守りを薄くしておくわけにはまいりませぬ」
「その穴を、一条流で埋めるか」
「はい。
一条流門下の中から腕の立つ者を選び、取り急ぎ近衛へ加えてはいかがでしょうか」
秀政はしばらく何も言わなかった。
雑賀、根来。
そして、比自山兵庫実綱と一条流の門弟。
鬼兵を一から育て直すことばかり考えていた。
だが、すでに技を持っている者ならば、育てるところから始める必要はない。
秀文が言った「最初から適性のある者を見つける」という考えを、さらに先へ進めればよいのだ。
すでに技を身につけている者を探せばいい。
やがて秀政は、堪えきれなくなったように笑った。
「ははは……」
「父上?」
「いや、すまん」
秀政は頭を掻いた。
「一番望みが薄いと思っていた赤鬼剣豪隊の代わりまで、まさか足元におったとはな」
上田が頷く。
「新陰流の代わりにはなりませぬ。
されど、本陣を守るという役目ならば、一条流の槍でも果たせましょう」
「ああ。
むしろ槍ならば、近衛としては都合が良い場面もある」
秀政は改めて秀文を見る。
「秀文」
「はい?」
「お前、今日は座っておるだけで次から次へと人材を連れてくるな」
「えっ!?
私は何もしておりませぬ!」
坂木が吹き出した。
上田も笑う。
秀政もつられるように笑った。
「ははは。
分かっておる」
秀文だけが納得できないような顔をしていた。




