第三百八話 強兵を作る
二つ続けて自分の考えを認めてもらい、秀文にも先ほどまでより自信が出てきたらしい。
「次は、私自身のことなのですが……」
「お前自身?」
「はい。
私は剣も槍も相撲も馬も、同じ年頃の子にはあまり負けませぬ」
「……随分と自信があるな」
秀政が苦笑した。
「本当です!
先生たちにも褒められます!」
「分かった、分かった。
それで?」
「はい。
でも、私は剣や槍の稽古を本格的に始める前から、他の子より体を動かすのが得意でした」
秀政は首を傾げた。
「何故だ?」
「小さい頃から、鈴鹿の町を走り回っていたからだと思います」
「…………」
秀政は思わず坂木を見た。
坂木も何とも言えない顔をしている。
秀文は幼い頃から活発だった。
館の中だけでは飽き足らず、鈴鹿の町へ出ては走り回り、木へ登り、川へ入り、同じ年頃の子供たちと遊んでいた。
当然、お悠や明に叱られた回数も一度や二度ではない。
「お前、それは褒められた話ではないぞ」
「それは分かっております!」
秀文が少し顔を赤くした。
「ですが、たくさん走ったおかげで足は速くなりました。
誰よりも長く駆け続けることもできます。
木に登ったり、川で泳いだり、皆と相撲を取ったりもしました。
だから剣や槍を習った時も、師に体の使い方が良いと褒められたのです」
「なるほど」
「それで思ったのですが……」
秀文は自分の腕を見た。
「兵も同じではありませぬか?」
「同じ?」
「はい。
槍を上手く使うことも、刀を上手く使うことも大事です。
でも、その前に丈夫な体でなければ、上手く戦えないと思います」
秀政は黙って続きを促した。
「たくさん走らせます。
山や崖も登らせます。
重い物を持って歩かせます。
川でも泳がせます。
相撲も取らせます」
「随分とやらせるな」
「兵になるのですから、それくらいはやらねばならないと思います」
秀文は当然のように答えた。
「それに父上。
飯を食べて、よく寝て、元気な時に稽古をするだけでは、戦とは違うのではありませぬか?」
秀政が眉を上げた。
「ほう?」
「私は遠泳をした後でも、家来どもとの相撲では負けませぬ!」
「……お前、そんなことまでしておるのか」
「はい!」
何故か胸を張った。
「ですが、それが大事だと思うのです。
私は戦を経験しておりませぬ。
でも、昔、万兄から聞いたことがあります」
「長政から?」
「はい。
戦では、腹が減っている時もある。
眠れない時もある。
長い距離を歩いた後に、そのまま戦うこともある。
だから本当に大事なのは、疲れた時にどれだけ働けるかだと。
そこで動けるかどうかが、生きるか死ぬかを分けることもあると仰っていました」
秀政は黙った。
「だからこそ、走るのが大事だと思うのです。
元気な時に槍を百回振れるだけではなく、たくさん走った後でも槍を振れる兵の方が、戦では強いのではありませぬか?」
(……なるほどな)
秀政は腕を組んだ。
秀文が言っていることは、単に腕力を付けろという話ではない。
走る、登る、担ぐ、泳ぐ。
そうして全身を鍛え、長時間動き続けられる体を作る。
その上で、疲労した状態でも武技を使えるようにする。
(基礎体力と持久力……それに体幹か。
確か現代の軍隊でも、武器の扱い以前にこういう身体作りは徹底していたはずだ。
長距離を走らせたり、重い装備を背負わせて行軍させたり……。
考えてみれば当然だ。
戦場で万全の体調で戦える保証など、どこにもない)
南信濃での戦いを思い返せば、なおさらだった。
何度も戦線を移動し、馬防柵を守り、破られれば白兵戦となり、さらに敵を追撃する。
最後まで戦えた者とは、武技に優れた者だけではない。
疲労の中でも動き続けられた者だった。
(ただ、走らせ、担がせ、泳がせるだけでは兵も参る。
これまで以上に体を使わせるなら、それだけ食わせねばならん。
過酷な訓練の後には、たらふく美味い飯を食わせる。
……そうだな、相撲部屋か。
よく鍛え、よく食わせ、よく休ませる。
そこまで一つにして考えるべきだな)
「……秀文。
お前の言う通りだ」
「本当ですか?」
「ああ。
強い兵を作るなら、槍や剣を教える前に、まず戦い続けられる体を作る必要がある」
秀政はそこで少し考え、付け加えた。
「いや――前、ではないな。
身体作りは、槍や剣を覚えた後も続けさせるべきだ」
「はい!
私も走るのはずっと続けております!」
「お前は少し走り回りすぎだ」
「え?」
坂木が思わず吹き出した。
照れくさそうに頭を掻く秀文を見ながら、秀政は少し考えた。
新兵を集めて、すぐ槍を持たせるのではない。
まず兵として動ける体を作る。
その間に、それぞれの適性を見る。
そして適性に応じて兵科を分け、そこから専門的な訓練へ進ませる。
まだ大雑把ではあるが、少しずつ形が見え始めていた。
「……これで三つか」
秀政が言った。
「はい」
「まだあるか?」
「あります!」
秀政は思わず笑った。
「今日は随分と出てくるな」
「昨日、ずっと考えておりましたから」
「そうか。
では、最後まで聞こう」
秀文は頷いた。
「これは、村瀬爺やのお話です」
その名前が出た途端、秀政の表情から笑みが消えた。
「村瀬がどうした?」
「父上が仰っていたではありませぬか。
爺やが助かったのは、高林が正しく手当てしてくれたからだと」
「ああ」
村瀬はまだ南信濃にいる。
意識を取り戻したという知らせは届いていない。
だが、槍を二度も受けながら命を繋いでいる。
その大きな理由の一つが、高林たちによる初期治療だった。
高林は、かつて村瀬と共に秀政へ付き従い、負傷した羽柴秀吉の治療を目の前で見ている。
秀政が現代の知識を頼りに命じたことを、村瀬や高林は覚えていた。
それが今回、村瀬自身の命を救うことになった。
「それがどうした?」
「高林は、父上から教わったのでしょう?」
「ああ。
随分と昔の話だがな」
「では、どうして高林たちしか知らないのですか?」
秀政が止まった。
「……何?」
秀文は本当に分からないという顔をしていた。
「そんなに良い手当てなのでしょう?」
「ああ。
少なくとも、汚れた布を傷へ巻くよりはずっと良い」
「それなら、皆に教えればよいではありませぬか」
「…………」
「高林がそこにいなければ、爺やはどうなっていたのですか?」
秀政は答えられなかった。
秀文は続ける。
「高林が覚えていたから爺やを助けることができた。
でも、高林がいないところで誰かが同じ怪我をしたら、その者は同じ手当てをしてもらえませぬ」
「……そうだな」
「だったら、鬼兵の皆に教えておけばよいと思います」
秀文の答えは単純だった。
「全員が薬師になる必要はないと思います。
でも、布を煮ることや、血を止めることくらいなら、皆が知っていてもよいのではありませぬか?」
坂木と上田が顔を見合わせた。
秀文はさらに考えながら続ける。
「それに、怪我の手当てだけではないと思います」
「他にもか?」
「はい。
戦で上手くいったことがあれば、皆に教えます。
失敗したことも、皆に教えます。
鉄砲が上手な者が何か良い方法を見つけたら、他の鉄砲兵にも教えます。
馬が上手な者が何かを見つけたら、他の騎馬兵にも教えます」
「……なるほど」
「一人しか知らなければ、その人が死んだらなくなってしまいます」
その言葉に、秀政は黙った。
浅野清隆。
真っ先に、その顔が浮かんだ。
今回、鬼兵を立て直そうとして、秀政たちが最も困っている理由の一つだった。
浅野がいない。
浅野が長い年月を掛けて得た兵の鍛え方。
兵を見る目。
鬼兵を率いた経験。
もちろん坂木や上田へ伝わっているものも多い。
だが、浅野自身の頭の中にしかなかったものも、決して少なくない。
村瀬も同じだった。
村瀬が死ねば、新陰流そのものが消えるわけではない。
高弟たちもいる。
それでも、村瀬兼良という一人の武人が何十年も掛けて積み重ねた経験の全てを、そのまま残すことはできない。
(そういうことか……)
秀政は、そこでようやく気づいた。
秀文が二日間で口にしたことは、どれも別々の疑問から始まっている。
戦えなくなった鬼兵を、教える側に回す。
最初に適性を見つけ、得意な武技を重点的に伸ばす。
武技以前に、兵として必要な身体を作る。
そして、誰か一人が持っている経験や知識を、他の者へ伝える。
秀文自身は、それらを一つの仕組みとして考えているわけではない。
昨日見た傷痍兵がもったいないと思った。
祖父から教わったことを兵にも使えないかと思った。
自分が幼い頃から走り回っていた経験から、体を先に鍛えればよいと思った。
村瀬の話を聞いて、高林しか知らないことが不思議だった。
どれも十歳の子供が、自分の知っていることから思いついた疑問にすぎない。
だが――。
(待てよ)
秀政は机の上に広げられた名簿を見た。
そこには、新しく入った三千の常備兵がいる。
そして南信濃には、戦えなくなった鬼兵が三百人以上いる。
一方は、経験がない。
もう一方は、体を失っても経験が残っている。
ならば――。
秀政はゆっくりと顔を上げた。
「坂木、上田」
「は」
二人が姿勢を正した。
「今の話……全部、別々に考える必要はないぞ」
坂木が眉を上げる。
「と、申されますと?」
秀政は答えず、もう一度頭の中で考えを組み立てた。
傷痍兵を教官として新兵につける。
まず身体を鍛え、その間に適性を見る。
そこから得手に応じた鍛錬へ進ませればいい。
さらに教官が戦場で得た知識も、その過程で後進へ伝えていく。
これなら、すべてが一つに繋がる。
「……なるほど」
秀政の口元に、僅かに笑みが浮かんだ。
「これなら、浅野がおらずともやれるかもしれん」
「父上?」
秀文が不思議そうに見上げている。
秀政はそんな息子の頭を乱暴に撫でた。
「よく考えたな、秀文」
「わっ、父上!?」
「お前の思いつき、そのままでは使えん」
「えっ」
一瞬で秀文の顔が曇った。
秀政は笑った。
「だから、使える形にするのは俺たち大人の仕事だ」
「……はい!」
(家を興す時には、政成や清隆のように、創業者を支えながら一人で何役もこなす人間が必要になる。
だが、その家が一代で終わるか、末代まで続くかは別の問題だ。
いつまでも誰かの才に頼るのではなく、仕組みを作り、次の者へ受け継いでいく。
それこそが、長く続く家には必要なのだろう。
そして秀文は、それができる男になるかもしれん。
一人の才に頼らぬ仕組み。
ならば、まずは俺たちがその手本を見せてやらんとな)
「坂木、上田。
明日もう一度集まれ」
秀政は机の上の名簿を叩いた。
「鬼兵の作り方そのものを、一から作り直すぞ」




