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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十六章 織田家宿老編(東方遠征編)

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第三百六話 秀文の疑問

翌日――。


鈴鹿館の一室には、秀政をはじめ、坂木、上田ら軍政を預かる者たちが集まっていた。

彼らの前に置かれているのは、南信濃から届いた鬼兵の損害報告と、伊勢に残る常備兵の名簿である。

秀政は腕を組みながら、その数字を何度も見比べていた。


「……やはり駄目だな」


坂木が頷く。


「はい。

 一般常備兵三千は、先の増強でほとんどが新兵に入れ替わっております。

 以前であれば、この中から優秀な者を鬼兵へ昇格させることもできましたが……」


「今やったら、ただ新兵に鬼兵の名を付けるだけだ」


「左様にございます」


赤鬼、青鬼、黒鬼。


芋粥家が誇る鬼兵は、具足の色を変えれば出来上がるものではない。

常備兵として鍛え、その中でも優秀な者を選び、さらに専門の訓練を重ねて初めて鬼兵となる。

その途中を飛ばすことはできなかった。

上田が名簿を見ながら口を開く。


「まずは新兵三千を鍛えるしかありますまい。

 その中から見込みのある者を選び、順次鬼兵へ――」


「それしかないか……」


秀政は渋い顔をした。


「だが、それでは何年かかる?」


誰もすぐには答えられなかった。


これまでなら浅野清隆がいた。

兵を鍛え、競わせ、適性を見極め、鬼兵へ引き上げる。

長年、芋粥家の軍制を支えてきた男である。


その浅野はもういない。

赤鬼剣豪隊を立ち上げた村瀬も、南信濃で生死の境をさまよっており、いつ伊勢へ戻れるのか分からない。


こうして考えると、失った千百余の鬼兵が残した穴は、数字以上に大きかった。


「……困ったな」


秀政が頭を掻いた、その時だった。


「父上」


聞き慣れた声がした。

秀政が顔を上げると、部屋の入口に秀文が立っていた。


「何だ、秀文。

 今は評定中だぞ」


「はい。ですから参りました」


「ん?」


秀政は眉を上げた。

昨日までなら、ここで「子供は向こうへ行っていろ」と言ったかもしれない。


だが昨日、秀政は秀文を連れて戦死した鬼兵の遺族を見舞い、戦えなくなった傷痍兵にも会わせた。

秀文は、兵を失うということが何を意味するのかを自分の目で見ている。


秀政は少し考え、手招きした。


「……まあよい。

 確かにお前が浅野の後継者だったな。入れ」


「はい!」


秀文は部屋へ入ると、秀政の傍へ座った。

そして机の上に広げられた名簿を覗き込む。


「父上。

 これは昨日のお話の続きですか?」


「ああ。

 失った鬼兵をどうやって補うかを話しておる」


秀文は名簿へ目を落とした。

昨日までの秀文なら、兵が減ったのなら増やせばよいと考えただろう。

十歳の秀文にとって、それは米が減れば蔵へ足すのと、それほど違わない話だった。


だが、昨日とは違う。


「……父上」


「何だ?」


「昨日会った者たちも、ここに入っているのですか?」


秀文が名簿を指さした。

秀政は少しだけ目を細めた。


「入っておる。

 死んだ者も、もう鬼兵として戦えぬ者もな」


「では……」


秀文はしばらく名簿を見つめていた。

それから、ぽつりと尋ねた。


「怪我をした者は、どうなるのですか?」


「傷が治れば戻す。

 戻れぬ者は、鬼兵を辞めさせるしかあるまい」


「その後は?」


秀政は少し考えた。


「傷の具合にもよる。

 軽い仕事ならできる者もおろう。

 家の者に田畑があれば、そこへ戻る者もおるだろう。

 働けぬほどの傷なら、家が困らぬよう扶持を出すことも考えておる」


秀文は首を傾げた。


「でも、鬼兵なのですよね?」


「そうだ」


「昨日の方も?」


秀政は、誰のことを言っているのかすぐに分かった。

昨日訪ねた家の一つに、南信濃から戻った鬼兵がいた。

命こそ助かったものの、深手によって以前のように槍を扱うことが難しくなった男だった。


「ああ。

 あいつも鬼兵だ」


「何年くらい鬼兵だったのですか?」


今度は坂木が答えた。


「安兵衛のことですかな?

 あれならば、常備兵であった頃を合わせれば、十年近く兵として働いておりますな」


「十年……」


秀文は考え込んだ。

十歳の秀文にとっては、自分が生きてきた年月とほとんど同じである。


「では、もったいなくありませぬか?」


秀政が秀文を見た。


「何がだ?」


「その十年です」


部屋の者たちの視線が秀文へ集まった。

秀文は上手く説明できないのか、少し考えながら言葉を続ける。


「昨日、父上は仰いました。

 兵をただの数字だと思ってはいけないと」


「ああ」


「でしたら、怪我をしたからといって、その者が全部なくなるわけではありませぬ」


秀政の表情が変わった。

秀文はまだ気づかずに続ける。


「腕が悪くなって、前と同じように槍を振れなくなっても……戦には行ったことがあります。


 武田とも戦いました。

 人を斬ったことも、斬られそうになったこともあると思います。


 敵が来た時にどうするのかも知っております。

 怖くても逃げてはいけないことも知っております」


そこで秀文は自分の手を見た。


「それに、体が覚えていることもあるのではないですか?」


「体が?」


「はい。

 私は師から槍を教わる時、何度も同じことをやらされます。

 考えなくても体が動くまでやれ、と」


秀政は黙って聞いていた。


「怪我をして前のように戦えなくなっても、それまで覚えたことまで消えるわけではないのでしょう?」


「……消えんな」


「だったら――」


秀文はそこで初めて、少し自信なさそうに秀政を見た。


「新しく入った兵に、師として教えさせてはいけないのですか?」


坂木と上田が顔を見合わせた。

秀文は慌てて付け加える。


「もちろん、怪我が治ってからです。

 昨日の者にすぐ働けと言っているのではありませぬ。


 でも、もう戦えないからといって辞めてもらうより、新しい兵に槍を教えたり、戦場のことを教えたり……。

 そうすれば、その者が十年かけて覚えたことも、なくならないと思うのです」


秀政は答えなかった。

秀文は父が黙っているので、不安になったらしい。


「……駄目ですか?」


「いや」


秀政は短く答えた。

そして、もう一度名簿へ目を落とした。


これまで秀政も、傷痍兵には扶持を与えるつもりでいた。

長年働いた鬼兵を、戦えなくなったからと放り出す気などない。


だが――扶持を与えて養うことと、その経験を軍へ戻すことは別である。


今回だけで、三百人を超える鬼兵が、命を取り留めながら戦列への復帰が難しいと判断されている。


もちろん、三百人全員を教官にできるわけではない。

傷が重く、働くこと自体が難しい者もいれば、人に教えることに向かない者もいるだろう。


それでも三百人以上いる。

その中から教練に向く者を選ぶことはできる。


赤鬼や青鬼は槍働きを、黒鬼鉄砲兵は火縄銃を、黒鬼騎馬なら馬上での戦いを何年も経験してきた。

しかも全員が、実際の戦場を知っている。


秀政はゆっくりと顔を上げた。


「……秀文」


「はい」


「お前、昨日までは兵などまた増やせばよいと言っておったな」


秀文の顔が一気に赤くなった。


「そ、それは……」


「はは。責めておらん」


秀政は思わず笑った。


「一日で随分と考えが変わったものだ」


秀文は俯いた。


「……昨日、分かりました。

 私は、兵のことを何も分かっておりませんでした」


「そうか」


「はい」


秀政はそれ以上、そのことを言わなかった。

代わりに坂木と上田へ顔を向ける。


「どう思う?」


坂木は腕を組んだ。


「……使えると思いまする」


上田も頷く。


「少なくとも、検討する価値はありましょう。

 私や坂木は浅野様と違い、実際の戦場をそこまで知りませぬ。

 我らは浅野様から受け継いだ軍制度を、体系立てて後続へ伝えることはできます。

 ですが、その者らであれば、実戦を知る者として、浅野様の言葉と同じ重みを、後続へ伝えることができるやもしれませぬ。


 今回、戦列へ戻れぬ者が一度に多く出ました。

 その中から教えることに向く者を選べば……」


「新兵を鍛える者そのものを増やせる、か」


秀政は再び秀文を見た。


秀文はまだ十歳だ。

軍制に詳しいわけでも、兵の育成を考えてきたわけでもない。


昨日、傷ついた兵とその家族を初めて自分の目で見た。

そのため、もう戦えないというだけで、十年も兵として生きてきた者を軍から外してしまうことが不思議に思えたのだろう。


子供らしい疑問だったが、今の芋粥家には十分使える考えだった。

秀政は少しだけ身を乗り出した。


「秀文」


「はい?」


「他にも何か考えたことがあるか?」


秀文は目を瞬いた。


「他にも、ですか?」


「ああ。

 何でもよい。

 十歳の子供の思いつきでも構わん」


秀政は名簿を指で叩いた。


「どうせ今の俺たちは、その十歳の子供でも分かるようなところから、鬼兵を作り直さねばならんのだからな」


秀文はしばらく考え――。


「あの、父上。

 それでしたら、まだいくつか不思議に思っていたことがあります」


「言ってみろ」


秀文は頷いた。


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― 新着の感想 ―
鬼兵教導隊創設 やはり1人の才能に頼ってるようでは駄目ですよね。
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