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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十六章 織田家宿老編(東方遠征編)

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第三百話 赤備えの退き口

土屋昌恒率いる赤備え騎馬は、中央に開いた穴を抜けた。


一度抜けてしまえば、もはや追いつける者はいない。

赤い騎馬の群れは千代・松尾の平地へ飛び出し、そのまま武田本陣の側面を駆け抜けていく。


だが――

これで武田軍の撤退が終わったわけではない。

むしろ、ここからが内藤昌豊にとって最も難しい戦であった。


騎馬は逃げられる。

問題は、中央で鬼兵と戦っている赤備え徒歩隊である。

敵と槍を交えている最中に背を向ければ、その瞬間に追撃を受ける。

戦列が崩れれば、撤退ではなく敗走となる。


内藤は軍配を掲げた。


「赤備え、退くぞ!

 だが、背を見せるな!


 前列は槍を構えたまま下がれ!

 二列目が受けよ!

 入れ替わりながら退くのだ!」


「はっ!」


赤備え徒歩隊が動き始めた。

最前列が槍を突き出し、鬼兵を牽制する。

一歩下がる。

その後ろにいた兵が前へ出て、再び槍を突き出す。

その間に先ほどまで前にいた兵が後ろへ回る。


一歩。

また一歩。

決して背中を見せない。


鬼兵と向き合ったまま、赤備え徒歩隊そのものが少しずつ後方へ移動していく。


*


その動きを見た政親が叫んだ。


「逃がすな!

 ここまで削ったのだ!

 今こそ赤備えを討ち取れ!


 青鬼、黒鬼!

 一気に追い立てよ!」


「おおう!!」


青鬼と黒鬼が前へ出た。

退き始めた赤備えを逃すまいと、一斉に追撃へ移る。


だが――


「くそっ!

 邪魔だ! 柵が邪魔だぞ!」


鬼兵の進路を阻んだのは、武田ではなかった。

自分たちが築いた馬防柵だった。

先ほどまで、この柵が赤備え騎馬の突撃を防いでいた。

だが、守るために何重にも築いた馬防柵は、こちらから前へ出ようとすれば、逆に鬼兵の動きを妨げる。


赤備え徒歩隊によって破壊された場所には、いくつもの穴が開いている。

しかし、大勢の兵が一斉に通れるほど広くはない。


「穴から出ろ!

 早くせよ!」


鬼兵が次々と馬防柵の穴へ殺到する。

当然、そこで兵の流れが細くなった。

一度に赤備えへ襲いかかれる人数は限られる。


それを見逃す内藤ではなかった。


「慌てるな!

 敵は一度には出てこられぬ!


 出てきた奴から突け!

 決して戦列を崩すな!」


赤備えが槍を揃えた。

馬防柵の穴から飛び出した鬼兵へ、何本もの槍が突き出される。


「ぐあっ!」


先頭の鬼兵が倒れる。

後ろから別の鬼兵が押し出され、赤備えへ槍を突き出す。

赤備えはそれを受けながら、また一歩退く。


鬼兵が追う。

赤備えが突く。

そしてまた退く。


少しずつ距離を取りながらも、赤備え徒歩隊は決して背中を見せなかった。


*


政親は歯噛みした。


「上手い……。

 ここまで来ても崩れぬか!」


赤備えの戦列は確実に薄くなっている。

白鬼の騎馬鉄砲によって有力な兵を何人も失い、中央戦でも多くの死傷者を出した。

それでも、内藤が指揮を執っている限り軍としての形を失わない。


「構わぬ!

 押せ!

 少しでも削れ!」


政親がさらに追撃を命じた。

青鬼と黒鬼が、馬防柵を抜けて赤備えへ食らいつく。

その時だった。


遠くから蹄の音が響いた。


「ん?」


鬼兵の一人が横を見る。


赤い。


先ほど中央を抜けていったはずの赤備え騎馬が、再びこちらへ向かっていた。


*


土屋昌恒は、赤備え騎馬を完全には退かせていなかった。

中央を抜けたあと、ある程度まで距離を取ると馬首を返し、徒歩隊の撤退を見守っていた。

土屋が槍を掲げた。


「内藤様がまだ戦っておられる!

 徒歩の者どもを置いて逃げられるか!


 敵の横腹を突くぞ!

 深入りするな!

 一撃したらすぐに離れよ!」


「おおう!!」


赤備え騎馬が走り出した。

狙うのは、内藤を追う鬼兵の側面。

馬防柵の穴から出たことで、本隊から離れてしまった者たちだった。


「横から来るぞ!」


気づいた時には遅かった。

赤備え騎馬が鬼兵の横腹へ突っ込んだ。

馬体が鬼兵を弾き飛ばす。


「ぐあっ!」


倒れた者を馬が踏みつけ、その上から赤備えの槍が突き下ろされる。

別の騎馬は鬼兵の集団を横切りながら槍を振るい、そのまま駆け抜けていく。


「追うな!

 隊列へ戻れ!」


鬼兵が槍を向ける頃には、赤備え騎馬はすでに離れていた。

追撃を再開しようとする。

すると、再び別の方向から赤備え騎馬が迫る。


「また来たぞ!」


一撃。

そして離脱。


決して鬼兵と正面から戦おうとはしない。

徒歩の赤備えを追おうとすれば、騎馬が横から突く。

騎馬へ向き直れば、その間に徒歩隊が距離を取る。

赤備え騎馬と徒歩隊が互いを庇いながら、少しずつ戦場から離れていった。


*


秀政はその様子を見て、思わず唸った。


「……強いな」


政親が悔しそうに答える。


「はい。

 退き戦になっても、まるで隙がございませぬ」


秀政は戦場の向こうへ目を向けた。

砂埃が、先ほどより明らかに大きくなっている。

滝川一益の軍勢が近づいていた。

もう間もない。


政親はなおも赤備えを睨んでいる。


「もう少しです。

 もう少し削れます。


 滝川勢が到着すれば――」


「いや」


秀政が遮った。

そして軍配を上げる。


「もう良い!

 追撃を止めよ!」


政親が振り返った。


「義兄上?」


秀政は戦場を見渡した。

倒れた鬼兵。

負傷して運ばれていく者。


馬防柵の向こうでは、なおも赤備えが槍を構えながら退いている。

ここから追えば、まだ討てるだろう。

だが、そのためにはこちらもさらに血を流す。


「これ以上、鬼兵の犠牲を出すな!


 十分に赤備えは削り切った。

 後は滝川殿に任せよう」


政親は何か言いかけた。

だが、周囲を見渡して口を閉じた。


「……そうですね」


悔しさを押し殺すように、息を吐く。


「すでに多くの血を流しております。

 思った以上に、こちらの痛手も大きいやもしれません」


「うむ。

 勝って欲をかけば、余計なものまで失う。


 退け。

 負傷者を収容せよ」


「はっ!」


政親が軍配を上げた。


「追撃止め!

 青鬼、黒鬼は戻れ!

 負傷者を運べ!」


法螺貝が鳴った。

鬼兵の追撃が止まる。


*


内藤は、その変化を即座に察した。


「……芋粥の勢いが落ちたぞ」


追ってこない。

鬼兵が馬防柵の向こうへ戻り始めている。

そして反対側からは、滝川勢の砂埃が迫っていた。


内藤は大きく息を吸った。

ここまでだった。


「よし!

 もう背を向けて良い!


 走って逃げよ!

 滝川がまもなく来るぞ!」


赤備え徒歩隊の動きが変わった。

これまで鬼兵へ槍を向けながら一歩ずつ退いていた兵たちが、次々と背を向ける。


「このまま散れ!

 甲斐へ走れ!


 まとまっておれば滝川に追われる!

 小勢に分かれて山へ入れ!」


内藤は武田本陣へ向けても叫んだ。


「撤退の法螺貝を鳴らせ!

 本陣の国人衆も散れ!


 飯田に留まるな!

 甲斐へ退け!!」


ボォォォォ――ッ!!


長い法螺貝の音が、千代・松尾に響き渡った。

それは攻撃の合図ではない。

武田軍全軍へ告げる、撤退の合図だった。


赤備え徒歩隊が走り出す。

国人衆も散る。


土屋の騎馬隊も徒歩隊の撤退を確認すると、再び馬首を甲斐へ向けた。


内藤昌豊は最後まで戦場に残り、退いていく赤備えを見送った。

そして遠くに迫る滝川勢の砂埃を睨みつける。


「……これ以上はくれてやらぬぞ」


武田最後の牙は、まだ折れていなかった。


*


内藤昌豊は、なおも戦場を離れず、遠方から迫る砂埃を睨み続けていた。


滝川勢と思われる軍勢は、こちらへ向かってくる様子を見せない。

逃げる武田勢を追うのではなく、むしろ芋粥勢の中央へ合流するように進んでいる。


内藤はそこまで見極めて、ようやく軍配を下ろした。


「……追っては来ぬか」


ならば、これ以上ここに留まる意味はない。

内藤は戦場を振り返った。


多くの赤備えが倒れている。

騎馬も徒歩も、これまでにないほどの被害を受けていた。


「おのれ、織田め……。

 これでは勝ちとは言えん。


 赤備えの被害が大きすぎる……」


芋粥勢を散々に打ち破った。

馬防柵を破り、本陣まで騎馬を突入させ、伊勢守と思われる武者にも深手を負わせた。


それでも――南信濃から芋粥勢を追い払えてはいない。


「伊勢守に南信濃を押さえ込まれてしまったか……。

 これをこじ開けるには、あまりにも痛すぎるな……」


内藤は悔しげに奥歯を噛み締めた。


「退くぞ。

 これ以上は何も得られぬ」


内藤昌豊もまた、供回りと共に戦場を離れていった。

こうして武田軍は完全に四散し、千代・松尾の戦場から姿を消した。


*


それからしばらくして――

滝川勢が芋粥軍の前線へ到着した。


その姿を見た秀政は、思わず目を疑った。


「…………ん?」


騎馬。


騎馬。


また騎馬。


待てども待てども、その後ろから足軽が現れない。

そして全軍が到着したところで、秀政はようやく理解した。


「こ、これが滝川全軍?!」


目の前にいるのは――五百余り。


先ほど遠方から見えた、あれほど巨大な砂埃。

秀政には一万近い大軍にすら見えていた。


その先頭から滝川一益が馬を進めてきた。


「間に合ったようですな、伊勢殿!」


「た、滝川殿!」


一益は馬上から戦場を見渡した。


「伊勢殿が苦戦しておると聞いてな。

 本隊六千を進ませつつ、騎馬だけで先行して参った。


 わしらが姿を見せて牽制できれば、伊勢殿であれば立て直すであろうとな」


秀政は思わず深く頭を下げた。


「滝川殿、助かり申した!

 実際、来ていただかなければ、崩れていたやもしれませぬ。


 武田は……それほどに強うございました」


一益は苦笑した。


「で、あろうな。

 わしもいつも苦しんでおります」


「…………」


秀政は改めて五百余りの騎馬を見渡した。


そして首を傾げる。


「しかし滝川殿。

 遠目には、もっと大軍の増援に見えたのですが……」


「ああ。これよ」


一益が後方を指差した。

秀政が目を凝らす。


「……竹?」


騎馬の後ろから、一本、あるいは数本の竹が伸びている。


いや――


曳いている。


騎馬一騎ごとに竹を曳かせ、その先端を地面へ擦りつけていた。


馬が疾走すれば、蹄が土を蹴り上げる。

さらに後ろで竹が地面を掻き回し、大量の砂埃を巻き上げる。


五百騎しかいない騎馬隊を、遠目には数千、あるいはそれ以上の大軍に見せかけていたのだ。

秀政は呆気に取られた。


「…………」


そして、思わず笑った。


「さ、さすが滝川殿……。

 進むも引くも、見事の一言にございますな」


一益も豪快に笑った。


「何を申される。

 伊勢殿の此度の御活躍にも、わしは舌を巻きましたぞ。

 あの内藤昌豊と赤備えを相手に、よくぞここまで持ち堪えられた。


 ははははは!」


秀政はしばらく一益を見つめ――


やがて、つられるように笑い始めた。


「はは……」


散々だった。


馬防柵は破られた。

本陣は蹂躙された。

鬼兵は大勢倒れた。

村瀬も生死すら分からない。


そして最後に現れた大援軍は、蓋を開けてみれば五百騎だった。


それでも――

武田は退いた。


南信濃には、芋粥軍が残った。


「はは。ははははは!」


秀政はようやく声を上げて笑った。


「ようやく――勝った実感が湧きましたな!」


一益も再び笑う。


「はははは!

 左様でござろう!」


二人の笑い声が、戦の終わった千代・松尾の段丘に響いた。

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― 新着の感想 ―
この戦いを通して見るとやっぱり芋粥家を興した第1世代は将として一段格上だったんだなあと 1.5世代というべき松親でも空気に呑まれてるところはあるし長政も鷺山も戦局を読む余裕がない様子 財力パンチと新戦…
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