第二百九十六話 一騎打ち
本陣左右に展開した鬼兵二百へ向けて、赤備え騎馬が槍を構えて突撃した。
最初の衝突で――
鬼兵の前列の一部は馬体に弾き飛ばされ、地面へ叩きつけられて絶命した。
逆に、鬼兵の槍衾に突っ込んだ赤備えの馬が腹を貫かれ、騎馬兵が前のめりに投げ出されて首から地面へ激突し、そのまま動かなくなる者もいた。
衝突は一瞬だったが、双方に確かな損害が出た。
その直後、槍と槍がぶつかり合う突き合いが始まる。
鬼兵は必死に槍を突き入れ、赤備え騎馬は馬を横へ跳ねさせて槍を避け、馬上から槍を振り下ろして鬼兵を薙ぎ倒す。
赤鬼兵の槍は確かに鋭かったが、まるで馬を自らの足のように扱う武田の赤備えは、それ以上の速さと鋭さで鬼兵を襲った。
左右の鬼兵二百は、赤備え騎馬五百弱の突撃を受け止め、激しい突き合いの中で多くが倒れた。
ここを抜かれれば負ける。
その気合だけで、赤鬼兵たちはこの劣勢を耐え続けた。
しかし鬼兵の奮戦は確かに赤備え騎馬の勢いを削ぎ、赤備え騎馬の大半はここで足止めを余儀なくされた。
それでも――槍衾をすり抜けた残りの各二百弱が、左右から本陣へ向けて突撃した。
その赤い奔流を迎え撃つのは、
村瀬新陰流を学ぶ赤鬼剣豪隊百。
村瀬が軍配代わりの刀を掲げ、門弟たちへ声を張り上げた。
「気合を入れよ!
ここが“武”の見せ場ぞ!」
「おおう!!」
赤鬼剣豪隊が左右へ散開し、本陣前に刃の壁を築いた。
*
赤備え騎馬が突撃してくる。
馬の蹄が地を叩き、赤い具足が陽光を弾き、槍先が風を裂く。
その勢いは、まさに戦国最強の騎馬隊のそれだった。
だが――
赤鬼剣豪隊は怯まない。
村瀬新陰流の剣士が一歩踏み込み、馬の胸元へ斬り上げる。
「はっ!!」
村瀬新陰流で鍛え上げた一閃が、騎馬兵の胴を斜めに斬り裂いた。
馬が悲鳴を上げて倒れ、騎馬兵は血を噴きながら地へ転がる。
その一方で――
赤備え騎馬も黙ってはいない。
剣豪にとって、普段相手にする徒歩の槍とは違う、馬上からの“上段の連続突き”が襲いかかる。
「ぐっ……!」
剣豪の一人が槍を受けきれず、肩口から胸へかけて深々と刺し貫かれた。
血が噴き、剣士はその場に崩れ落ちる。
赤備え騎馬は馬を横へ跳ねさせ、剣豪の死角へ回り込み、槍を振り下ろして次の者を薙ぎ倒す。
剣豪隊も赤備え騎馬も、互いに一歩も引かぬ。
ここはまさに――
武の頂上同士が命を賭してぶつかる場所だった。
村瀬は叫ぶ。
「押し返せ!!
赤備えに“鬼伊勢”の武を見せてやれ!!」
赤鬼剣豪隊はその声に応え、次々と赤備え騎馬へ斬りかかる。
赤備え騎馬は槍で迎え撃ち、馬を操り、剣士の懐へ突っ込んで槍を突き入れる。
剣豪の刃が赤備えの鎧を割り、赤備えの槍が剣豪の胸を貫く。
刃と槍、馬と人、技と技――すべてが交錯し、本陣前は瞬く間に修羅場と化した。
*
赤備え騎馬の突撃を左右で食い止めた赤鬼剣豪隊。
その中央――村瀬新陰流の宗家・村瀬兼良が、芋粥伊勢守秀政として立ちはだかる。
そこへ土屋昌恒が一直線に突撃してきた。
馬上で槍を構え、赤い具足を翻しながら、村瀬へ向けて一直線に駆ける。
「伊勢守、覚悟ぉぉぉ!!」
土屋の怒号が本陣前に響いた。
槍先が村瀬の胸元を狙って突き立てられる。
村瀬は一歩後ろへ跳び、紙一重でその突撃をかわした。
馬の風圧が頬を切り裂くほど近い。
だが村瀬の目は揺らがない。
「ふっ……」
村瀬は刀を構え、反撃として“一拍子の太刀” を放った。
相手が構えた瞬間、その拍子ごと断ち切る村瀬新陰流の奥義。
村瀬は渾身の一拍子の太刀を土屋へ叩き込む。
(よし、その首、取った!)
だが――
土屋は剛腕で槍を引き戻し、鉄巻きの柄で村瀬の太刀を払いのけた。
ガンッ!!
火花が散るほどの衝撃。
村瀬の太刀は弾かれ、逆に拍子が奪われる。
土屋はすぐさま反撃に転じ、急所を狙った三連突きを見舞う。
槍先が喉、胸、腹へと連続して襲いかかる。
村瀬は無駄な動きを一切せず、後退しながら、寸でのところで槍をかわし続けた。
「ほぉ……伊勢守。
まさに“鬼伊勢”の名に相応しい。
この槍をかわすか」
「ぬしこそ……
あの“一拍子の太刀”を受け止めるとは、ただの武者ではないな。
名を名乗れ!」
土屋は槍を構え直し、堂々と名乗った。
「それは失礼した。
土屋昌恒――
貴殿の首を獲る者である!」
村瀬は笑った。
「覚えたぞ、その名を!」
村瀬は馬の首へ向けて一閃を放つ。
だが土屋は馬を巧みに操り、刃を紙一重でかわした。
「馬の扱いも……なかなかやるようだな」
土屋は馬を止め、その背から軽やかに降り立った。
「誰か!馬を守れ。
伊勢守の首を獲ったあと、逃げる手段がないのは困る」
赤備えの一騎が馬を預かり、土屋は両足をしっかりと地面に踏ん張った。
槍を突きつけ、村瀬と真正面から向き合う。
村瀬も刀を構えた。
赤い具足と黒い鎧が向かい合った。
周囲の兵も、二人の戦いへ目を向けた。
*
土屋と村瀬――二人は互いの間合いを測りながら、槍と刀をぶつけ合い、何十合もの打ち合いを繰り広げた。
槍が風を裂き、刀が火花を散らし、踏み込みと跳躍が交錯する。
土屋の槍は重く、それでいて速い。
村瀬の太刀はその剛撃を受け流し、鋭く懐へ入り込む。
互いの技は、ただの武者のそれではない。
槍の柄が刀を弾き、刀の軌跡が槍の穂先を逸らす。
土屋は馬上の勢いを失ってなお、地を踏みしめた剛腕で槍を操り、村瀬は相手の拍子を読んで太刀を合わせ続けた。
どちらが勝ってもおかしくない。
どちらが死んでもおかしくない。
その激しい打ち合いは、なおも続いた。
*
激戦の最中、それでも周囲の兵たちは時折、二人の一騎打ちへ目を奪われた。
土屋が槍を大きく払う。
村瀬が刀を滑らせて受ける。
今度は村瀬が踏み込んだ。
土屋は半身でかわす。
そこへ土屋の三連突き。
村瀬が寸でのところで身を捻る。
村瀬が一拍子の太刀を狙う。
土屋が鉄巻き柄で弾く。
互いの技が、互いの命を削り続ける。
二人とも汗を流し、傷からは血が滲んでいた。
呼吸も荒い。
それでも、槍と刀の応酬は止まらなかった。
*
だが――
その静寂を破る者が現れた。
背後から、赤備えの一騎が奇声を上げて割り込んだ。
「ぬおおおっ!!」
槍が村瀬の背へ突き出される。
村瀬は咄嗟に身を捻ったが――
完全には避けきれなかった。
槍は背中、肋骨の外側寄りから脇腹へ斜めに突き刺さる。
「ぐぅ……!」
槍が抜けると同時に、鮮血が村瀬の脇腹から噴き出した。
土屋が叫ぶ。
「な、何をするか!!」
刺した赤備えは冷静だった。
「土屋殿、仕合うているわけではありませぬ。
ここは戦場。
間もなく織田の増援が参りまする」
土屋は一瞬だけ悔しげに顔を歪めたが、すぐに戦場の現実を思い出した。
「そ、そうであった……。
伊勢守、これも乱世の倣いよ。
いくらでも卑怯と罵るがよい。
我らが欲するは貴様の首よ。
――死ね!」
土屋が槍を突き出す。
村瀬は重傷ながらも身を捻り、致命の突きを紙一重で避けた。
だが次の瞬間――
土屋の槍が村瀬の肩口、その外側から上腕へ突き刺さる。
「うぬぅ!」
村瀬の腕が血に染まり、刀を握る手から力が抜ける。
「しぶとい!!」
土屋が怒号を上げたその時――
武田本陣から法螺貝が鳴り響いた。
ボォォォォ――ッ!!
土屋が振り返る。
「滝川が来たか?!
内藤殿は大事ないか!」
その一瞬の隙を逃さず、赤鬼剣豪隊が身を挺して村瀬の前へ飛び込んだ。
「殿を守れ!!」
剣豪たちが村瀬を庇い、赤備え騎馬の槍を受け止める。
土屋は舌打ちした。
「くそ……首は無理か。
だがその傷では長くはあるまい。
これは我らの勝利ぞ。
退け!」
土屋は預けていた馬へ走り、一息で鞍へ飛び乗った。
「左右の穴は塞がれておるやもしれん!
虎穴に入らずんば虎子を得ずよ!
中央を突っ切って抜けるぞ!!」
赤備え騎馬の生き残りが隊列を整え、芋粥本陣から退却していく。
村瀬は血を流しながら、その背を睨みつけた。
「ふふふ、勝利は我らの方じゃ」
荒い息を吐きながらそこまで言い切ると村瀬は地に倒れ伏した。




