第三話 噂を制する者は、戦を制す
落人たちは移動を続けていた。
どこへ向かっているのか。
それが、ずっと気になっていた。
「ところで」
俺は槍を地面に立て、何気ない調子で聞いた。
「この隊、どこに向かってる?」
年嵩の足軽が答える。
「松平じゃ」
松平――後の徳川家康。
まだ若く、今川の配下。
だが、未来では天下人。
……だめだ。
「あの小童なら、儂らでも功を上げられようて」
周囲がうなずく。
「……やめとけ」
思わず、口から出た。
「なんじゃ?」
「そいつは――」
一瞬、言葉を選ぶ。
「S級だ」
全員が、ぽかんとした。
「えす……きゅう?」
「……いや、何でもない」
慌てて言い直す。
「あいつは……三河武士は、強いと言ったんだ」
未来を知る俺からすれば、
今の家康に手を出すのは自殺行為だ。
だが、彼らには分からない。
俺は、話題を変える。
「それにだ」
焚き火を見つめながら、続ける。
「仮に功を上げても、埋もれる」
「何を言うとる?」
「功は功ぞ?」
「いやいや、何でもない」
笑って誤魔化す。
だが、本心だ。
松平相手の小競り合いで首を取っても、
評価されるのは大将だけ。
足軽は、名前も残らない。
それと違って桶狭間の勝利に絡めば、
信長に対するアピール度はけた違いだ。
「とにかく」
俺は声を低くした。
「今回は――
織田の殿様の元で、今川本陣を討つ隊に入らなきゃならん」
一瞬、沈黙。
そして――
「ははは!」
「そんなの無理じゃろ!」
「儂らみたいな馬の骨がよ」
当然の反応だ。
「殿様に近づくことすらできんわ」
「まず見向きもされん」
俺は、肩をすくめた。
「それもそうか」
だが、すぐに続ける。
「まずは――
殿様に見知ってもらわねばな」
「それも無理じゃて」
全員が頷く。
そこで、俺は言った。
「いや」
焚き火の向こうを見る。
「殿様は、百姓でも頭が回る奴を重用する」
「儂らは、頭が回らんぞ?」
即答。
俺は、にやりと笑った。
「俺は回るんだよ、お前ら」
空気が、変わる。
「……金は、欲しくないか?」
一瞬で、全員の目が輝いた。
「欲しいに決まっとろう!」
「戦の後は、いつも取り分が少ねぇ!」
俺は、指を一本立てた。
「手に入る策がある」
「なんじゃ?」
俺は、ゆっくりと言った。
「噂を流せ」
「噂?」
「織田領でだ」
さらに声を落とす。
「これが殿様の耳に入ったら、金をくれる」
ざわつく。
「どんな噂じゃ?」
俺は、一拍置いてから言った。
「予言じゃ」
「……予言?」
「そうだ」
焚き火の火が、ぱちりとはぜる。
「あつもり様――熱田様の予言だと吹聴せよ」
全員が息を呑む。
「内容はこうだ」
俺は、指を折りながら語る。
「『今川の殿様は、今、沓掛城におる』
『次は大高城に向かう』
『そこで、あつもり様の神罰を受ける』」
「はぁ!?」
「いや、それは言い過ぎだな。
警戒して進路を変えられても困る」
「何ぼそぼそ言っとるだぁ?」
「いや、これだけでいい。こう噂を流し続けろ。
今は馬鹿らしい噂で止まるが、ある日、それは形を成す。
『今川の殿様は、あつもり様の神罰を受ける』
覚えられるか?」
「馬鹿にすんなが!それくらいはできるわい」
「なんでそれで金がもらえるんだ?」
俺は、鼻で笑った。
「下準備だ」
全員を見る。
「殿様は、決戦前に必ず熱田様で祈願なさる」
史実だ。
だが、彼らは知らない。
「その時だ」
俺は、地面を指で叩いた。
「あつもり様に成り代わって、“音”で応援する」
「……音?」
「太鼓、法螺、掛け声」
戦国では、それだけで“神意”になる。
「織田には神様がついてるとわかれば、どうだ?
兵の士気は上がるだろう。
お前らとて神様が居たら勝てると思わんか?」
皆の顔が、真剣になる。
「それを仕掛けたのが――
俺らだと分かるようにする」
「兵ではない。織田の殿様にとっては、それが千金に値する」
俺は、断言した。
「もし俺が殿様だったら、
一貫文くらいは平気で出すぞ。
なんならお前らに三貫ものの脇差をやってもいい」
沈黙。
そして――
「三貫文の脇差か……そりゃ足軽頭のなまくらより、ええもんだぞ。やるか」
「面白ぇ」
「どうせ死ぬなら、賭けてみるか」
俺は、内心で息を吐いた。
(よし)
歴史は、こうして動く。
剣じゃない。
槍でもない。
噂と信仰と、士気。
それが、桶狭間を呼び込む。
――そして。
その中心に、
芋粥弥八郎秀政は、確かにいた。




