第二話 芋粥弥八郎秀政、名を通す
村を離れて、しばらく歩いた。
背後では、まだ黒煙が空に伸びている。
振り返る気にはなれなかった。
足が止まったのは林の縁だった。
そこに――
倒れている男がいた。
鎧姿。
槍を握ったまま、胸から血を流している。
今川の足軽だ。
喉が鳴った。
(……無理だろ)
頭では分かっている。
だが、武器がなければ生き残れない。
とはいえ、最初は体が拒絶する。
現代日本で生きてきた秀政にとって、人の死体は容易に“触れてはいけないもの”だった。
――だが。
焼かれた村、斬られた農民も見てきた。
「おっ父もおっ母も死んだ」と言われた言葉が頭をよぎる。
(丸腰のままでは、次は俺だ)
「……悪い、もらうぞ」
誰に向けた言葉かも分からず、そう呟いた。
震える手で胴丸を外す。
血で濡れて冷たい。
脛当て、兜。
最後に槍と刀。
ずしりと重みが伝わる。
吐き気が込み上げた。
だが、手放さなかった。
(これがないと生きられない)
具足を身につける。
ぎこちない。
だが、確かに変わった。
丸腰の百姓ではない。
――足軽の姿だ。
槍を握り、深く息を吸う。
銭や水、携帯食もついでに貰っていく。
「行くぞ」
向かう先は街道だ。
ここがどこなのかは分からないが……。
桶狭間で名を上げるためには、少なくとも織田家に仕える必要がある。
しばらく進むと、焚き火の明かりが木々の向こうに見えた。
*
林の中、十数人の男たちが焚き火を囲んでいた。
鎧は揃っておらず、誰もが疲労困憊の顔をしている。
――敗残兵。
旗は織田のものだ。
秀政は足を引きずるように近づいた。
「……よう」
一人が睨みつけてくる。
「どこの者だ?」
間髪入れず答えた。
「落城しちまったが――
西曲輪の隊の者じゃ」
適当に話を作った。
数人が顔を見合わせる。
「城が持たなかった。
仲間は……皆やられた」
それほど嘘ではない。
死体は山ほど見た。
「今川に復讐したい。
一人じゃどうにもならん。
隊に入れてくれ」
少しの間、沈黙が続く。
胡散臭いのが近づいてきたのだ。
当然だろう。
その時――
「あー……」
若い足軽が秀政を指差した。
「こいつ、見たことあるぞ」
体中に緊張が走るが、努めて冷静にふるまう。
「二の森村の若い衆じゃ!」
数人が顔を見合わせた。
「織田の地だ。
今川の者じゃねぇな」
(よし、話は通った)
「名は?」
年嵩の男が問う。
秀政は一歩前に出た。
「弥八郎秀政だ」
一瞬、皆が怪訝な顔をする。
「……百姓のくせに?
諱があるんかえ?」
失笑が漏れる。
想定通りだ。
秀政は顔を上げ、声を張った。
「――俺は百姓じゃねぇ!」
足軽どもに沈黙が流れる。
「侍じゃ!」
足軽でもなく侍と名乗った。
空気が変わる。
「俺の名は――」
間を置き、勢いをつけて、はっきりと告げた。
「芋粥 弥八郎 秀政」
爆笑。
「芋粥ぅ?」
「馬鹿な名字やのう!」
「やはり百姓やないか!」
この反応には慣れてる。
しかし、転移したばかりなんだ。最初が肝心。
足軽たちの態度を鼻で笑った。
「ふん……オメェら、なんも知らんのだな」
笑いが止まる。
「芋粥家はな。
備前では赤松様の侍大将にまでなった由緒正しき名家じゃぞ」
完全なでまかせだ。
だが、ここは尾張、この場の誰も備前のことなど詳しく知らない。
適当に遠めの国で誰もが知ってそうな名前を使った。
「戦で家は潰れた。
俺は流れ流れて、この地におる。
だが――
紛れもなく、侍じゃ」
沈黙。
復讐、没落、名だけ残った侍。
――戦国で最も“ありふれた”話。
そして足軽大将でもない。侍大将だ。
侍大将の家系というだけで、本来一目置かれる。
年嵩の男が、秀政をじっと見た。
「……使えるか?」
秀政は即答した。
「今川の動きは知っている。
次、どこを攻め、どこを焼くかもな」
嘘と知識の境界線。
男は短く笑った。
「いいだろ。
足軽一人、増えたところで変わらん」
焚き火を指す。
「座れ、弥八郎」
その呼び方を聞いて、思わず口元が緩んだ。
名が通った。
“芋粥”は、それ以上、笑われなかった。
*
焚き火の前で槍を握る。
(まただ)
心の中で呟く。
(また、どうせ芋粥で天下を取るルートだ。
いや、今回は武将プレイだから多少勝手が違うな。
まずは足軽組頭を目指す。しかも織田で。
今度はゲームじゃない。
血の匂いがする、現実だ)
それでも。
「こっから天下取ったるわ」
小さくそう呟いた。
桶狭間はもうすぐだ。




