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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十六章 織田家宿老編(東方遠征編)

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第二百九十三話 一体の虎

千代と松尾――

飯田城北に広がる広大な段丘と平地の境界。


その中でも、松尾段丘の北端、千代との境界にあたる緩やかな斜面と広い平地が、秀政の選んだ決戦場であった。

段丘の上は見晴らしが良く、平地は赤備え騎馬が突撃しやすい。

そして段丘の縁は馬防柵を展開するには最適の幅を持つ。


秀政は馬上からその地形を見渡して言った。


「……ここだ。

 赤備えの突撃を殺し、滝川殿が背後から刺しやすい形を作る。

 千代・松尾の境こそ、最も勝ち筋が多い」


鬼兵たちはすぐに動き出した。


*


芋粥勢は、中央やや奥に本陣を置き、そこで秀政は五百の赤鬼兵と百の白鬼兵に守られていた。


次に馬防柵。

黒鬼の木工兵が中心となり、段丘の縁に沿って何重にもわたる柵を築いた。

段丘の上には赤鬼・青鬼各千五百が層を成し、柵を盾に槍を構えて待ち受ける。


青鬼が守る左翼を鷺山が、赤鬼が守る右翼を長政が率いている。


中央だけは特別だった。

段丘の馬防柵に張り付くように、黒鬼鉄砲隊千が並ぶ。


黒鬼鉄砲隊千は三段に分かれ、前列が撃てば後列が装填する形で射撃を繰り返す。

芋粥軍でも以前から用いている射撃方法である。

その後方には五百の青鬼槍隊が控え、赤備え騎馬が突撃してきた瞬間、鉄砲隊と入れ替わるように前へ出る手筈である。


黒鬼騎馬兵千は中央本陣の前に居座り、政親が率いていた。


秀政は段丘の上から全軍を見渡し、息を吐いた。


「……よい。

 ここなら赤備えの突撃は殺せる」


一方その頃――

千代の平地へ向けて進む武田軍五千。

赤備えの旗が風を裂き、槍先が陽光を反射する。


内藤昌豊は千代・松尾の境界を見渡し、即座に布陣を決めた。


中央には、赤備えから選抜した弓隊千。

左右には国人衆・農兵二千が広がる。


そして前方には――

土屋昌恒率いる赤備え騎馬隊千。

内藤直属の赤備え徒歩隊千。


武田の精鋭が、芋粥軍の馬防柵へ向けて進む。


土屋昌恒が馬を寄せる。


「内藤様……見えてまいりました」


内藤は頷いた。


「うむ。

 段丘に柵を何重にも築いたか。厄介だな」


土屋は槍を握り直した。


「……内藤様より頂いた策、必ず果たして見せまする」


内藤は満足げに頷いた。


「うむ。我ら武田勢は軍勢にあらず。

 一体の虎よ。

 騎馬も徒歩も弓も、その爪と牙として縦横無尽に動く。

 芋粥に武田の戦というものを、とくと味わわせてやれ」


*


段丘の上に芋粥軍六千余。

その下の平地に武田軍五千。


互いに距離を測り、風が草を揺らす音だけが響く。

鬼兵の槍先がわずかに震え、赤備えの馬が地面を踏み鳴らす。


鉄砲隊は息を殺し、赤備え弓隊は弦を引き絞る。


千代・松尾の境界。

ここに、武田と芋粥の命運を分ける戦が幕を開けようとしていた。


*


法螺貝が千代の平地に響き渡った。

土屋昌恒が槍を高く掲げると、赤備え騎馬千が一斉に前へ躍り出た。


赤い具足が陽光を反射し、騎馬の蹄音が地を震わせる。


その後方で、赤備え徒歩隊は動かない。

内藤昌豊の指示通り、騎馬の動きに合わせて“揺らし”を仕掛けるためだ。


段丘の上。

馬防柵の陰に控える鬼兵たちは槍を構え、何層にも槍衾を敷いて赤備えの突撃を待ち受けた。


黒鬼鉄砲隊千は三段に並び、騎馬の動きを見極めながら狙いを定める。

蹄音が迫るたびに、鬼兵の喉が鳴り、槍先が震えた。


「来るぞ……!」


誰かが呟いた瞬間――


鉄砲の射程に入る直前。

赤備え騎馬は突然、左右へ散開した。


「なっ……!」


黒鬼鉄砲隊の狙いが一気にズレる。


鉄砲隊は迷った。


撃つべきか――

撃たざるべきか――


騎馬は馬防柵に沿って並走し、鉄砲隊の射線を乱し続ける。


黒鬼鉄砲隊は必死に狙いを定め直すが、赤備え騎馬は柵の外側を縫うように走り続ける。

銃口を向けた時には、すでに狙った騎馬はその場から離れていた。


鬼兵たちは槍を構えたまま、いつ騎馬が柵へ突撃してくるか分からず、全身に力を込めて待ち受ける。


内藤昌豊は騎馬の動きを見ながら、静かに弓隊へ手を上げた。


「今だ。

 火矢、一斉射――!」


赤備え弓隊千が一斉に弦を引き絞り、段丘の黒鬼鉄砲隊へ向けて火矢を放った。


千本近い火矢が一斉に放たれた。

炎の尾を引きながら、雨のように黒鬼鉄砲隊へ降り注ぐ。


「火矢だ!!」


後方からの叫びに、狙いに集中していた黒鬼鉄砲隊が顔を上げる。

次の瞬間、火矢が次々と陣内へ突き刺さった。


「下がれ!火薬を守れ!」


鉄砲隊は慌てて後退する。


数人が射抜かれて、絶命した。

また火矢が段丘に突き刺さった。


「火だ!火が回るぞ!!」


枯れ草や竹盾に火が燃え移り、小さな火柱がいくつも上がった。

火の粉と煙が鉄砲隊を包み、その火がついに火薬袋へ燃え移った。


火薬が破裂し、周囲の黒鬼兵まで巻き込んだ。


黒鬼鉄砲隊は「撃ち逃げ」を行うどころか、火薬への引火を避けるため、射撃位置を変えざるを得なかった。

隊列が乱れ、射撃に集中できる状況ではなくなっていく。


内藤昌豊はその様子を見て、呟いた。


「よし……鉄砲隊は鈍った」


その瞬間――

手薄になった中央へ向けて、赤備え騎馬が一斉に突撃を開始した。


赤備え騎馬が、今度こそ馬防柵中央へ向けて一直線に迫る。

黒鬼鉄砲隊は慌てて馬防柵まで戻り、狙いを定めようとする。


だが、焦った者の火薬袋に、足元の小火が燃え移った。


「やめろ!そこは火が――」


次の瞬間、爆発と共に鉄砲隊の一人が吹き飛んだ。

火薬の破裂音が段丘に響き渡り、黒鬼鉄砲隊の集中はさらに乱れる。

黒鬼鉄砲隊は火のない場所へ移動し、乱れた隊列のまま銃口を向ける。


「えぇい!焦るな!火には気を付けよ!

 よく狙え!!」


黒鬼鉄砲組頭が必死に叫び、鉄砲隊は改めて狙いに集中しようとする。


だがその瞬間、赤備え騎馬は再び左右へ折れた。


射程から逃れるように、自陣へ向けて一斉に撤退する。


「おのれ!逃げるか!赤備えの名はその程度か!

 ……ん?ま、待て!

 また来るぞ!!」


黒鬼鉄砲隊が叫ぶ間もなく、中央で集合した赤備え騎馬は、再び一糸乱れぬ統率で馬防柵中央へ向けて突撃を開始した。


鬼兵たちは槍を構え直し、黒鬼鉄砲隊は慌てて前線に駆けて狙いを定める。


鉄砲の有効射程に入る直前。

赤備え騎馬は突然、左右へ散開した。


鉄砲隊は火矢の小火で集中できず、狙いが安定しない。


そこへ――

赤備え弓隊が再度火矢を放った。


炎の尾を引く矢が段丘へ降り注ぎ、黒鬼鉄砲隊の精神をさらに削る。

そこでもまた、射抜かれ、引火し、命を落とす者が現れた。


*


秀政がこの一連の流れを見て呟いた。


「さすが内藤……。真の統率者とはあのような者を言うか。

 まるで兵を自らの手のように扱う。


 まずいな……。

 武田赤備え……やはり戦国最強か」


政親も持ち場で、この惨状を見て歯噛みしていた。


「これが武田の赤備えか。

 よくもまぁ、義兄上も父上もこれに一度勝てたものだな」


だがすぐに冷静さを取り戻すと、大声で下知を飛ばした。


「鉄砲隊、退け。

 奴らに遊ばれるな!


 鬼兵の後方、弓の射程外まで下がれ。

 鬼兵は腰を低くして槍衾を徹底せよ!


 鉄砲隊は槍衾の後方から立ち撃ちし、近付いてきた騎馬を至近で狙え!

 槍衾の頭上からでは射角が上がる。

 射程はいつもより短いと考えよ!


 こうなれば奇策も何もない。

 ただただ耐えよ!」


政親の指揮のもと、中央は何とか盛り返そうとしていた。


左翼の鷺山、右翼の長政も、赤備えの用兵を間近で見て、鬼兵への過信を吹き飛ばしていた。

そんな中、次の動きが武田側に起きた。


今度は騎馬を下げ、赤備え徒歩隊が中央へ向けて突撃を開始した。

左右の馬防柵の端に向けて、農兵も突撃をかける。


「ここから一気にいくぞ」


内藤が呟いた。


柵に張り付く鬼兵に向けて、赤備え弓兵は間断なく矢を浴びせかけた。


*


長政と鷺山は、それぞれの持ち場から戦場を見渡した。

そして、ほぼ同時に同じ結論へ至る。


鷺山が大声で青鬼兵に命じた。


「真に恐るべきは赤備えだ!

 左右を狙う敵農兵は、鬼兵であれば寡兵でも勝てる。


 八百を中央に派遣せよ!中央を抜かれて殿を狙われるわけにはいかん!」


長政も同様の指示を出した。


「奴らには時間がない。滝川殿が迫っていることは承知しているはずだ!

 敵の狙いは義父上に違いない!

 中央を抜かせるな!」


中央に迫る赤備え徒歩隊を警戒して、左右から鬼兵が中央へ増援に回る。

だが、途中から赤備え徒歩の歩みが鈍り、目前で止まった。


「しまった!

 敵の狙いは左右の柵の端だ!

 中央に向かわせた兵を急ぎ戻せ!」


長政、鷺山は同時に敵の目論見に気づいた。

すぐに農兵に向けて鬼兵の主力を向けた。


*


政親が険しい表情になる。


「赤備え騎馬の行方がわからん。

 左右の柵の端を狙って、そこから突入する気か?!


 黒鬼騎馬!本陣の前に待機せよ!

 義兄上を何としても守れ!」


政親は美濃の方角を見る。


「滝川殿が来るまで、義兄上を守りきれば芋粥の勝ちなのだ!」

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