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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十六章 織田家宿老編(東方遠征編)

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第二百八十三話 松丸と政成

第十六章 織田家宿老編(東方遠征編) 開幕

挿絵(By みてみん)

天正八年十二月十七日、伊勢。


十二月十日――安土で佐久間父子が折檻状を受けたその場で、秀政は伊勢への帰国を許された。

芋粥勢はすぐに帰国の支度を整え、ようやく伊勢へ戻ってきた。


冬の冷たい風が頬を刺す。

しかし秀政は深く息を吸い込み、どこか安堵の表情を浮かべた。


「はぁ……もうすぐ鈴鹿城が見えてきそうだな。

 やはり俺の体はもう伊勢の空気や水に慣れすぎたようだ。

 ここに来ると落ち着く」


長政も馬上で微笑んだ。


「そうですね。帰って来たという気持ちになります」


やがて鈴鹿の街に入ると、沿道には人々がずらりと並び、芋粥軍の凱旋を祝福した。


「伊勢守様、お帰りなさいませ!」

「鬼兵の皆様、よう戻られた!」


鬼兵たちも思わず笑みをこぼし、手を振って応えた。


鈴鹿城の二の丸に入ると、秀政は足軽大将以上の将たちの前に立ち、労いの言葉をかけた。


「皆、よく働いた。

 この戦はお前たちの功だ。

 兵たちにも申し伝えよ。

 ゆっくり休め。良い年を迎えよ!」


兵たちは深く頭を下げ、それぞれ家族のもとへ帰っていった。


秀政、長政、明は、お悠たちが待つ鈴鹿館へ足を向けた。


館の前で、お悠が澪を抱いて出迎えた。

澪は三歳になり、お悠の腕の中で元気いっぱいに身を乗り出している。


それを見た秀政は、思わず子どものように駆け寄った。


「澪ーー!」


澪は父の勢いに驚き、「いやー!」と身をよじる。

秀政は構わず頬ずりし、お悠にぴしゃりと叱られた。


「弥八様、澪が嫌がっております!」


その様子を見て、明が長政へ小声で囁いた。


「長政様、あれを見ても……

 父様が伊勢に帰りたかっただけではないと?」


長政は苦笑しながら答えた。


「い、いや……帰りたかったこともあるのだろうが、大義を優先したのもあるのだと思う……」


明はふっと笑った。


「まぁ、そうかもしれませんね。

 でも私は、あのような父様が大好きです」


長政も頷いた。


「そうだな。私もだ」


秀政は澪に嫌がられ、お悠に軽く小突かれながらも、満面の笑みを浮かべていた。

そして一行は、揃って鈴鹿館の奥の間へ向かった。


*


秀政が鈴鹿館の奥の間へ入ると、冬の陽が障子越しに柔らかく差し込んでいた。

そこへ少し遅れて、松丸が駆け込んできた。


「父上、おかえりなさいませ!」


秀政は思わず笑みを浮かべた。


「松丸か!

 大きくなったな。

 また鈴鹿の町にでかけて、遊び呆けていたのか?」


松丸は胸を張った。


「はは。私ももう十一です。

 遊んでばかりはいられません。

 早く万兄みたいに父上のお役に立ちたいです」


秀政は目を細め、息子の成長を噛みしめた。


「殊勝な心掛けよ。

 今は何を学んでおるのだ?」


松丸は嬉しそうに答えた。


「はい。祖父上が書いてくださった内政書を読んだり、浅野殿のもとで軍制を学んだりしております」


秀政は少し驚いたように眉を上げた。


「おぉ……そ、そうか。

 思っていた以上にしっかりやっておるようだな。

 子が育つのは早いな」


そして秀政は、お悠と松丸へ視線を向けた。


「お悠、松丸。

 伊勢は変わりないか?」


お悠は一瞬、言葉を飲み込んだ。

その表情に、秀政はすぐ気づいた。


「……それが」


「浮かぬ顔をしてどうした?

 何か問題か?」


お悠は澪を抱き直し、静かに告げた。


「父上の容体が……日に日に悪くなっているようです。

 今はまだ動けておりますが、そのうち立てなくなるやもしれません」


秀政は息を止めた。


「……そうか。

 義父殿はそれほどに悪いか」


秀政の顔には、戦場では決して見せぬ陰が落ちた。


お悠は膝を揃えたまま、静かに秀政を見つめていた。

その眼差しには、いつもの柔らかさとは違う、どこか決意めいた光が宿っている。


「弥八様……お願いがございます」


「何だ? 改まって」


お悠は一度だけ息を整え、言葉を紡いだ。


「父、政成は……松丸のことを殊の外、可愛がっておりました。

 その父も、もう長くはないやもしれません。

 早いのは承知しております。

 ですが……松丸を元服させることはできませんでしょうか?」


秀政は目を瞬いた。


「松丸を……元服か?」


その言葉を反芻しながら、秀政は内心で考える。


(松丸を元服……。

 考えたこともなかったが、武家の嫡男としては決して早すぎるわけでもない)


そのとき、松丸が前へ進み出た。

幼さの残る顔に、しかし揺るぎない意志が宿っている。


「母上……よろしいのですか?」


お悠が無言で頷いた。


「父上、私からもお願い申し上げます。

 元服して祖父上を安心させとうございます。

 そして、芋粥家や父上のお役に立ちとうございます!」


秀政はしばし松丸を見つめ、ふっと息を漏らした。


「……確かに、政成は喜ぶだろうな。

 分かった。

 年が明ければ、俺はまた出陣して不在になるやもしれん。

 お悠、急になるが、今年中に手配してくれ」


お悠の顔がぱっと明るくなる。


「はい……!」


松丸も勢いよく頭を下げた。


「父上、ありがとうございます!」


秀政は手を上げて制し、静かに言った。


「一つだけ条件を付けるぞ。

 元服しても、しばらく初陣は与えぬ。

 この伊勢を守る者も必要だからな。

 それがお前だ。

 お前が俺の代わりに鈴鹿を守るのだ」


松丸は一瞬だけ言葉を詰まらせたが、すぐに顔を上げた。


「あ……え、むぅ……。承知しました。

 それでも構いませぬ。

 先に元服さえ済ませれば、戦以外でもお役に立てましょう」


秀政は満足げに頷いた。


「そうだ。理解が早くて助かる。

 ……そうか。お前もとうとう一人前か」


松丸は胸を張り、力強く答えた。


「はい!」


*


秀政は居室の襖を隔て、静かに政成と向き合っていた。

労咳を患って以来、政成は薬師以外との直接の面会を自ら断っている。


襖の向こうから、弱々しくもどこか嬉しげな声が聞こえた。


「殿……お噂は聞き及んでおりますぞ。

 雷神の使役に、長宗我部家との戦。

 どれも心躍るものばかりですな」


秀政は襖越しに微笑を含ませた声を返した。


「芋粥家も強くなった。

 これもすべて、義父殿のおかげだ」


政成は首を横に振り、かすかに笑った。


「いえいえ、儂はただ殿を信じて突き進んだだけにございます。

 殿なくして、儂の活躍などございませぬ」


秀政は少しだけ息を吐き、柔らかい声音で言った。


「逆だよ、義父殿。

 義父殿が居なければ、俺は今頃、野垂れ死んでいた。

 はは……俺の人生の一番の幸運は、義父殿と出会えたことだ」


襖の向こうで、政成が静かに頭を垂れた気配がした。


「……ありがたきお言葉です」


その声は弱々しくも、深い満足と誇りを含んでいた。


秀政は少し間を置いてから、明るい声で続けた。


「そうだ、義父殿。

 明の活躍は聞いているか?」


「明姫様の……?」


「ああ。此度の四国攻めでは、見事な勘定奉行ぶりだったぞ。

 築城が遅れていると見るや、自らの判断で千種屋から二千貫を借り入れ、人夫の日当を上げ、材木を買い集めた。

 おかげで小松島の城は瞬く間に出来上がった」


政成は目を見開いた。


「二千貫を……明姫様が?」


「うむ。あの二千貫が長宗我部に戦を諦めさせたと言ってもよい。

 これからかかるであろう戦費の大半を削ったようなものだ。

 見事な名勘定奉行だったぞ」


「……左様でございますか」


政成の目に、ほんのりと涙が浮かんだ。


「明姫様が……そこまで立派になられましたか。

 お悠によく似て参りましたな」


「俺にも似ていると思うぞ。銭遣いの豪胆なところなど」


「そこは似ぬ方がよろしかったでしょうな」


「義父殿まで言うか」


二人は小さく笑った。


秀政はさらに続けた。


「蘭と松之丞も立派だったぞ。

 二人で材木や兵糧を調達し、人夫や船まで手配しておった。

 千種屋の堺支店の支配人など、二人の働きを見て――

 『若旦那と蘭姫様がおられるなら、千種屋も安泰ですな』と言っておったそうだ」


「……松之丞が」


政成は目を細めた。

今度は堪えきれず、一筋の涙が頬を伝った。


「蘭姫様も、松之丞も……そこまで育ちましたか」


「ああ。二人とも、もう千種屋の次代を担えるほどにな」


政成はしばらく黙り、やがて満足そうに頷いた。


「……そうですか。

 千種屋も、芋粥家も……安泰ですな」


秀政は、嬉しそうな政成の声を聞きながら、ふっと笑った。


「義父殿。

 実はな――最後に、一番驚かせたいことがある」


政成が不思議そうに顔を上げた。


「一番……でございますか?」


「ああ。松丸を元服させることにした」


政成の目が大きく見開かれた。


「な……松丸様を!?」


「ああ。今年中にな。

 本人も早く一人前になって、俺や義父殿の役に立ちたいそうだ」


政成はしばらく言葉を失っていたが、やがて顔いっぱいに笑みを浮かべた。


「松丸様も……もう元服ですか」


「あんなに小さかった松丸がな」


「左様ですか……元服を……」


政成は何度も頷いた。

その目から、また涙が溢れた。


「これは……長生きしてみるものですな。

 明姫様も、蘭姫様も立派になられて……。

 松之丞も千種屋を背負えるようになった。

 そして、今度は松丸様の元服まで見られるとは」


秀政は笑った。


「だから義父殿にも、元服の儀に出てもらうぞ」


「無論にございます!」


先ほどまで弱々しかった政成の声に、久しぶりの力が戻った。


「這ってでも参りますぞ。

 松丸様の晴れ姿を、この目で見ずにおられましょうか!」


秀政は思わず笑った。


「ははは。這って来られては困る。

 それまでしっかり養生してくれ」


「承知いたしました。

 これは、寝てなどおられませぬな」


そう言って笑う政成の顔は、病に伏していることを忘れさせるほど晴れやかだった。

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