第二百八十二話 折檻状
天正八年六月。
秀政が包囲する三津寺砦、政親が包囲する楼岸砦は、ほぼ同時に士気が尽きて開城に至った。
長政・鷺山・明らの赤鬼、青鬼の包囲する天満・渡辺・野田の砦に秀政らの黒鬼たちが合流して包囲を厚くした。
いずれの砦も、もはや毛利の援軍を望むことはできず、長宗我部も和睦により手を引いたため、本願寺は完全に孤立していた。
七月、八月、九月――
包囲の輪は徐々に狭まり、
砦の兵たちは飢え、疲れ、士気を失っていった。
秀政は力攻めを避け、ただ淡々と兵糧を断ち、水路を押さえ、補給の道を潰し続けた。
「焦るな。
時が敵を降らせる。」
秀政の方針は徹底され、外縁の砦は数ヶ月の内に一つ、また一つと開城した。
そして残るは、本願寺外郭の三大砦、その最後の一つとなった野田砦のみとなった。
そして――
十一月半ば。
石山本願寺も、ついに限界を迎えた。
教如はなお抗戦を主張したが、兵は疲弊し、食糧は尽き、寺内では病が広がり始めていた。
顕如は静かに天を仰ぎ、長く続いた戦の終わりを悟った。
「……もはやこれまで。
石山を明け渡し、織田殿に降るほかあるまい」
教如は悔しげに拳を震わせた。
「父上……まだ戦えまする!
まだ――!」
しかし顕如は首を振った。
「戦は、勝てぬと知りながら続ければ、ただ門徒を苦しめるだけだ。
ここで終わらせる」
十一月十三日。
顕如は正式に降伏を申し入れ、石山本願寺は十年に及ぶ戦いの幕を閉じた。
秀政の知る史実からは少し遅れたが、ようやく歴史の流れが追い付いたようだった。
その報せは、野田砦を包囲する秀政の陣にも届いた。
鬼兵たちは静かに槍を掲げ、秀政たちは互いに顔を見合わせた。
長政が安心した表情で呟いた。
「……終わったのか」
秀政は報告書を閉じ、深く息を吐いた。
「うむ。
これで石山は落ちた。
織田の天下取りは、また一歩進んだ」
*
顕如は信長と和睦し、石山本願寺を明け渡して紀伊・和泉方面へ退去した。
その後、本願寺は各地を転々とし、後に京都へ移って西本願寺へとつながっていく。
教如はなお抗戦を主張し、顕如との間に深い亀裂を残した。
この父子の対立は後々まで尾を引き、やがて本願寺が東西に分かれる遠因の一つとなる。
頼廉らの軍事指揮官は教如と距離を置き、軍事の終焉とともに武器を捨て、僧としての道へ戻った。
長かった本願寺との戦いはここに終焉を迎えた。
*
その翌月、十二月十日。
織田家の宿老、家老たちは安土へと呼び寄せられた。
安土城・大広間。
漆黒の梁が高く伸び、金箔の襖が静かに光を返していた。
その広間に、織田家の宿老・家老をはじめとする重臣たちがずらりと並んで座していた。
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、羽柴秀吉、蜂屋頼隆、前田利家、佐久間信盛――
そして明智光秀、芋粥秀政も列に加わっている。
誰もが緊張した面持ちで、この“年末の召集”の意味を測りかねていた。
本来なら軍議は年始に行われる。
十二月十日にこうして重臣を呼び集めるなど、異例のことである。
広間の空気が張り詰めたその時――
襖が静かに開いた。
織田信長が入室した。
その瞬間、並みいる重臣たちは一斉にひれ伏した。
「ははぁ――!」
信長はゆっくりと上座へ進み、正面に座した。
しばしの沈黙。誰もが息を呑んでいる。
やがて信長が口を開いた。
「――本願寺との戦、ここに終わった。」
広間にざわめきが走る。
しかし誰も声を上げない。
信長は続けた。
「日向守、伊勢守。
よくぞ働いた。
この十年の戦を終わらせた功、大儀である」
光秀は深く頭を下げ、秀政も静かに礼を取った。
だが――
家臣たちはまだ信長の“真の目的”を掴めずにいた。
信長はその空気を読んだように、さらに言葉を重ねた。
「日向守は、今後畿内の内政と軍団の再編成を任せる」
光秀は驚きつつも、深く礼をした。
「ははぁ――」
信長は次に秀政へ視線を向けた。
「伊勢守は、武田攻めに備えよ。
準備を怠るな」
秀政は静かに頷いた。
「承知仕りました」
しかし――
佐久間信盛の名は呼ばれなかった。
広間の空気がわずかに揺れる。
信盛の背を冷や汗が流れた。
(な、なぜだ……
なぜ我が名が呼ばれぬ……?)
信長は全員を見渡し、ゆっくりと口を開いた。
「――皆に、申し伝えることがある」
広間の空気がさらに重く沈む。
信長の声は、冷たく、鋭く、そして何かを決定する者の声だった。
信長が近習へ目を向けた。
近習が一歩前へ出る。
「佐久間信盛殿、前へ」
信長の近習が声をかけ、信盛が一歩前へ進み出た。
そのまま、近習が用意していた書状を広げ、大広間に響く声でそれを読み始めた。
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折檻状
一、其方父子、五ヶ年大坂表に在陣し、数万の人数を預け置かるると雖も、今日に至るまで一廉の働きこれなく、本願寺を攻め崩すこと能わざる段、比類なき不覚の事。
一、松永弾正久秀、信貴山に楯籠り逆心を企て、荒木摂津守村重また有岡に於いて謀叛に及ぶ。
其方、大坂表の諸将を束ねる身にありながら、両人の逆心を事前に察することなく、これを防ぐことも能わず。
畿内の仕置を任せ置かれし者として、油断の至り、申し開きあるべからざる事。
一、右両人謀叛の後も、其方一手にてこれを鎮むること叶わず、諸将の助勢を得て始末に及ぶ。
大軍を預かる大将として、その器量如何のものか。
一、雑賀の者ども、大坂表に入り込み、鉄炮を以て諸将・物頭を狙い撃ちに致し候ところ、これを防ぐこと能わず。
僅かなる人数のために旗下の指揮乱れ、陣を退き、軍勢を働かすこと叶わざるに至りし段、前代未聞の不覚なり。
一、長年多くの人数を預かりながら、物頭・諸将を育て置かず、一人討たるれば一陣滞り、二人討たるれば軍勢動かず。
大将たる者、己一人働くのみにあらず。
旗下の者を用い、育て、万一の折にも軍勢を働かせるこそ肝要なれ。
其方、これを怠りし事。
一、木津川口を塞ぎ、三津寺・楼岸を追い詰め、本願寺の外縁を切り崩したるは芋粥伊勢守なり。
長宗我部を織田へ靡かせ、毛利・本願寺との縁を断ちたるは明智日向守なり。
播磨を平らげ、毛利の東進を押し留めたるは羽柴筑前守なり。
然るに其方は、大坂表の大将として五ヶ年の年月と数万の人数を預けられながら、何を成したるや。
一、伊勢守は少勢を以て敵を退け、策を巡らせて城を落とし、長宗我部を屈せしめ、ついには戦わずして四国の兵を退かせたり。
日向守は調略を以て敵を味方となし、筑前守は播磨を切り取り、毛利を西へ押し返したり。
其方のみ、年月を重ね、人数を費やし、さしたる功を立てざるは何事ぞ。
一、戦に勝つことのみを申し付けたるにあらず。
力攻め叶わずば調略を致すべし。
調略叶わずば兵糧を断つべし。
兵糧を断つこと叶わずば敵の与力を引き離すべし。
何れの手立ても尽くさず、ただ年月を送り、「本願寺は大敵なれば致し方なし」と存ずるは、武辺の道にあらざる事。
一、これまでの働きに免じ、度々堪忍を加え、大坂表の大将を申し付け、人数・知行とも不足なきよう与え置きたり。
それにも拘わらず、松永・荒木の逆心を許し、雑賀の小勢に軍を乱され、本願寺を攻め落とすこともなく、ついには他将の働きによって戦の終わりを見るに至る。
これ、年来の奉公に似合わざる儀、言語道断なり。
一、父子ともに、これまでの所領を召し上ぐる。
されど、年来の不覚を雪がんと思わば、身命を惜しまず働き、敵を討ち果たし、一廉の手柄を立て、武辺の面目を取り戻すべし。
それ叶わずば、高野山へ上り、世を捨つべし。
右条々、申し開きこれあるべからず。
天正八年
織田右府信長
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誰一人声を発することが出来なかった。
最後の条文では不覚を雪げと述べられてはいるものの、信盛は軍勢も所領も取り上げられ、すでに老齢でもある。
事実上、「高野山へ行け」と言われていることを悟った。
信盛は項垂れたまま、動くことが出来なかった。
そして、信長の処断は佐久間父子だけでは終わらなかった。
林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝もまた、それぞれ過去の不忠や行状を咎められ、所領を召し上げられて織田家を追放された。
長年、織田家を支えてきた古参の将たちが、相次いでその座を追われたのである。
諸将が恐怖に震える表情をしていた。
ただ一人を除いて。
芋粥秀政は、このことを知っていたかのように驚きを見せなかった。
ただ、憐憫の眼差しを佐久間信盛へ向けていた。
そして秀政は、そのまま明智光秀へ目を向けた。
特に深い意味はない。
共に佐久間信盛を近くで見てきた明智光秀が、どのような顔をしているのか興味が湧いたに過ぎない。
だが、光秀と秀政は目が合った。
光秀の背に、冷や汗が滲んだ。
(何だ?伊勢守、その目は?!)
かつて政親から聞いた言葉を思い出した。
『大殿様は、働きが悪ければ――例え宿老であっても、職と領地を召し上げて高野山に追放するそうですぞ』
まさにそれが今目の前で起きた。
かつて政親が放った遅効性の毒は、今ここで初めて光秀の体を冒し始めた。
(まさか……伊勢守は、このことを知っておったのか?
そして儂もこうなる瀬戸際だったと言いたいのか?
四国の件が無ければ……)
光秀の背中を冷や汗が流れる。
(いや、そんなことはあり得ぬ。
このわしが織田から必要とされぬことは起こりえぬ。
四国はわしの実力ぞ)
光秀の中に、今まで存在しなかった信長への小さな不信が芽吹いた瞬間だった。
第十五章 織田家宿老編(本願寺決着編) 終幕




