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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十五章 織田家宿老編(本願寺決着編)

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第二百七十九話 十日の値段

安土城・奥の間。

薄闇の中、香炉の煙が静かに揺れ、天下人の影を長く伸ばしていた。


明智光秀は膝をつき、深く頭を垂れた。

信長は上段に座し、無言のまま光秀を見下ろしている。


光秀は静かに口を開いた。


「上様。

 先にお許しいただきました弥三郎への偏諱――“信”の字により、元親は我らを信じ、ついに靡き始めておりまする。


 ただ……まだ虚勢を張り、

 『四国四ヶ国の安堵を、上様より誓書として頂きたい』

 と求めて参りました」


信長の表情は変わらない。

ただ、奥の間の空気がわずかに冷えた。


やがて信長は、光秀を射抜くような目で睨みつけ、静かに言った。


「……良い。

 誓書を渡してやれ。

 四国四ヶ国の領有を認める」


光秀は深く頭を下げた。


「はっ。これで長宗我部も、織田に降りましょう」


信長は香炉の灰を箸でつつきながら、淡々と続けた。


「日向守。

 その返書と誓書は――

 十日、待て」


光秀は顔を上げた。


「十日、でございますか?」


信長は地図の端を指で叩いた。


「伊勢守より書状が来ておる。

 あと十日もすれば、小松島に城が完成する。

 織田が四国に拠点を作るのだ」


光秀の目がわずかに細くなる。


「なるほど……。

 元親が四国全土を押さえた状態で和睦するよりも、織田が四国へ食い込んだ状態で誓書を渡す方が、こちらの立場は強くなりますな」


信長は鼻で笑った。


「うむ。適当に理由をつけて引き延ばせ。伊勢守が小松島を押さえてから送り届けよ」


光秀は深く頷いた。


「承知いたしました」


信長は地図の小松島に指を置いた。


「和睦が成立したならば、小松島海城は日向守、そちが預かれ」


光秀は一瞬だけ言葉を失った。


「芋粥殿が築かれた城をそれがしがですか?

 それでは……芋粥殿の功を奪ったようになりますが」


信長は即座に切り捨てた。


「構わぬ。伊勢守の申し出だ。


 和睦が成った後は、戦をしていた当事者が居座ると、折角降った元親を刺激する――

 と伊勢守が申しておる。


 自身は四国方面軍の軍団長の任を返上し、日向守、そちの下について本願寺攻めに加わると」


光秀は息を呑んだ。


「芋粥殿は……それでよろしいのでしょうか?」


信長はゆっくりと光秀を見た。


「……あ奴は妙なところで欲が薄い。

 あれはあれで使いやすい。


 それに伊勢守の懸念ももっともだ。

 和睦後の四国は――そちが裁け」


光秀は深く頭を下げた。


「はっ。」


奥の間に再び静寂が戻った。

香炉の煙だけが、ゆっくりと天へ昇っていった。


*


小松島・海辺。

潮風が荒々しく吹き抜け、未だ乾ききらぬ木材の匂いが海気と混じって漂っていた。


築城前まで、ここはただの浜であった。

だが今――

そこには、海に突き出すようにして新たな城が姿を現していた。


まだ白木のままの櫓や未塗装の板壁、仮設の足場が残る曲輪など、ところどころ未完成の箇所はある。

しかし、防御に関わる部分だけは抜かりなく完成していた。


海に面した主郭は、潮風を受けても揺るがぬよう、千種屋の手配した工夫たちが、杭を幾重にも海底へ打ち込んでいる。

主郭の外縁には粗石を積み上げた低い石垣が巡らされ、さらにその内側を土塁が支えていた。

表面の仕上げは粗く、恒久城としてはまだ未完成。


それでも攻め手の足を止めるには十分な高さと厚みを持っていた。


波打ち際には、「海上鉄砲台」が三つ、据え付けられていた。

海から近づく敵船を一斉に撃ち抜くための配置である。


未完成の城でありながら、大金を流し込んだその防御力は、すでに力攻めでは容易に抜けぬ城砦となっていた。


浜辺では、長政が図面を広げていた。

明はその横で、千種屋から借り入れた二千貫の帳簿を確認している。


政親の言葉どおり、この二千貫はただの銭ではなかった。

四国の勢力図を変える力そのものだった。

長政は海城を見上げ、静かに息を吐いた。


「……十日でここまで出来るとはな。

 香宗我部がどれほど妨害しようともう止められん。」


明は頷いた。


「父様も松兄も、“防御だけは絶対に落とすな”と仰っていました。

 仕上げは後でいくらでも出来ます。

 まずは、織田が四国へ根を張ることが大事です」


長政は海風に髪を揺らしながら、遠く勝浦の方角を見た。


「……元親は、これを見てどう思うだろうな」


明は静かに答えた。


「力では追い出せない、と悟るでしょう。

 だからこそ――和睦を急ぐはずです。

 ですが、私たちの役目は果たせました」


その時、海城の主郭から太鼓が鳴り響いた。


ドン……ドン……ドン……


築城奉行が声を張り上げる。


「小松島海城――防御構造、完成ッ!!」


浜辺の工夫たちが歓声を上げた。

鬼兵たちも槍を掲げ、海風に吠えた。


長政は拳を握りしめた。


「これで……四国は動くぞ」


*


勝浦城。

元親は利三の返書を待ちながら、近習が駆け込んでくるのを見た。


「申し上げますッ!

 小松島の海城――もう出来上がっちょるそうにございます!」


(……十日で城を築くか。

 芋粥――やっぱり侮れん)


「わしは親泰の元へ行くき。

 利三が来たら――

 『小松島の陣まで来い』と伝えちょけ」


近習が走り去る。

元親は静かに息を吐いた。


(利三め……

 この城が出来上がるまで、間を空けおったな。

 誓書を渡す前に、織田が四国へ根を張るのを待っちょったがじゃ。

 あの男も抜け目ないの)


元親は裃を整え、近習二名を連れて勝浦城を出た。

潮風が頬を打つ。

海の向こう、小松島の白木の城がわずかに姿を見せ始めていた。


*


小松島を見下ろす丘。

そこから白木の城が海辺にそびえる姿がはっきりと見えた。

元親が馬を進めると、すでに香宗我部親泰が丘の上で待っていた。


親泰は兄の姿を見るなり、苦い顔で頭を下げた。


「兄者……すまん。

 とうとう、城を完成させられてしもうた」


元親は海城をじっと見据えたまま、静かに答えた。


「仕方ないわ。あれは止められん」


親泰は唇を噛み、兄の横顔を見た。


「なぁ兄者……

 一度、利三を追い返したそうじゃな。


 あの時に和睦してしもうておれば、間に合ったんじゃないか?」


元親は鼻で笑った。


「いや、あそこでわしが“受ける”と即答しても、信長が正式な和睦の使者を寄越すまで、どうせ時を稼がれて同じじゃ。

 むしろすぐ応じては、長宗我部が臆したと思われる。


 じゃき、あのようにするしかなかったがよ」


元親は海城を睨みつけた。


「それに誓書は貰わんといかん。

 利三ごときの口約束など、話にならんでな」


親泰は深く息を吐いた。


「そうか……

 どのみち織田に四国へ一口食い込まれるんは、我慢せにゃならんかったわけか」


元親はゆっくり頷いた。


「そうじゃ。

 だが――この一城がどう出るかじゃ」


潮風が二人の衣を揺らした。


元親は海城を見下ろしながら、静かに言葉を続けた。


「織田がこちらの条件を呑んで和睦してくるか、誓書は出せんと強気に来るか。

 長宗我部家の正念場じゃ」


親泰は兄の横顔を見つめ、その目に宿る静かな炎を感じ取った。


そこへ近習が声をかけた。


「殿、斎藤利三殿がお越しです」


元親は不快を隠さず鼻を鳴らした。


「ふん……計ったように来よるの。

 どうせ近うで時を稼いじょったがじゃろう。


 わしが小松島へ足を運んだ途端、すぐ追いかけて来よったわ」


潮風が元親の裃を揺らす。

その目は鋭く、しかしどこか冷めていた。


「……まぁええ。会うちゃるわ」

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