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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十五章 織田家宿老編(本願寺決着編)

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第二百七十三話 奪われる時間

小松島の朝は、湿った海風が重く垂れ込めていた。

芋粥軍の仮陣では、夜通しの見張りで疲れ切った鬼兵たちが、眠気を振り払うように槍を握り直していた。


「……また犬か」


長政が木柵の外を見て眉をひそめた。

砂地には野犬の足跡が点々と残り、人夫の宿営地では食料袋が破られ、雑穀が散乱している。


鷺山が肩を落とした。


「被害は大したことありません。

 ただ……毎晩続くと、さすがに堪えますね」


鬼兵の見張り台では、赤鬼兵が欠伸を噛み殺しながら周囲を睨んでいた。

昨夜も、闇の中から矢が数本飛んできただけだった。

誰も傷ついてはいない。

だが――眠れない。


「長政様!」


人夫頭を連れて、松之丞が駆け寄ってきた。

後ろには蘭も続いている。


「今日の作業、また遅れます。

 夜中に犬が荒らしたせいで、人夫が怯えてしまって……」


蘭が困ったように言った。


「資材置き場の材木も、少し燃えました。

 火矢が飛んできたみたいで……」


長政は舌打ちした。


「火矢も、弓も、犬も……

 どれも致命傷じゃない。

 だが、こう毎日続くと……」


鷺山が苦い顔で続けた。


「人夫が作業に戻るまで時間がかかります。

 海城の骨組み、予定より二日遅れています」


松之丞が申し訳なさそうに頭を下げた。


「すみません……私たちも必死でやってますが……

 人夫は戦に慣れていないので、夜に矢が飛んでくるだけで震えてしまうんです」


蘭も唇を噛んだ。


「鬼兵の皆さんは強いけれど……

 人夫は、こういう嫌がらせに弱いです……」


長政は砦の外、丘の影を睨んだ。

そこには、香宗我部親泰の兵が潜んでいるはずだった。


「……親泰め。

 正面からは来ないくせに、こういうことばかりしやがる」


鷺山が静かに言った。


「親泰の戦は、こういう嫌がらせが厄介です。

 私たちが動くたびに、どこかで邪魔をしてくる」


長政は拳を握りしめた。


「被害は小さい。

 だが、工事が遅れるのは致命的だ。

 海城が完成しないと、伊勢からの補給が安定しない」


松之丞が不安げに言った。


「義兄上……どうか、何か手を……」


長政は深く息を吐いた。


「……分かっている。

 だが、親泰の嫌がらせは“追えば罠”だ。

 深追いできない」


鷺山が静かに頷いた。


「若、今は耐えるしかありません。

 我らはこの農繁期の内に、橋頭堡となる海城を築けば勝ちなのですから」


「そうだな」


長政は頷いたが、人が駆けてくる気配に気づいてそちらに顔を向けた。


その場へ、明が早足で姿を現した。

手には政親からの書状が握られている。


「長政様。摂津より使者が参りました。

 松兄からの書状です」


長政は驚いたように明を見た。

わざわざ明が自ら書状を持ってきたということは、ただの連絡ではないという証だった。


「明……どうした。そんな急いで」


「内容が……すぐにお伝えすべきものでしたので」


長政は書状を受け取り、素早く目を走らせた。

鷺山が身を乗り出す。


「何と書いてありますか?」


長政は読み終えた書状を握りしめ、低く告げた。


「……長宗我部の調略は、明智殿が担当するそうだ。

 我ら芋粥は調略の成否を気にせず、ただ長宗我部へ圧力をかけよと、大殿から命じられた――とある。


 そして、これは政親殿の御意見ではあるが、“調略が成立する前に、小松島に急ぎ築城せよ”とも書いてあった」


鷺山が目を見開いた。


「明智殿が調略を……。

 あの方は切れ者と聞きます。

 意外と早く調略が成るやもしれませんな。

 急げとは言うが、和議が成立するならば、別に小松島は取れなくてもよいのでは?」


その言葉に、明が静かに口を開いた。

兵站奉行としての冷静な声だった。


「松兄が“早く取れ”と書いているのですから、必ず意味があります。

 和議が成立する前に小松島を取るか取らないかで、話が変わるのではないでしょうか?

 例えば……」


長政は書状を見つめたまま、ゆっくり頷いた。

そして明の発言を遮るように自分の意見を被せた。


「……うむ。

 明の言う通りだ。


 この小松島は……大きな意味を持つのやもしれん。

 ここが織田の物になれば、和議成立後の所領の線引きで、織田が有利になる。


 そう言いたいのであろう?」


明は黙ったまま頷き、鷺山が続けた。


「な、なるほど……。

 我らがここを取るか取らぬかで、四国安堵の際の所領の線引きに影響が出ると。

 だからこそ香宗我部は、ここまで嫌がらせに執着しているのですな?」


長政は拳を握りしめた。


「遅れるわけには参らぬぞ……」


その言葉に、場の空気が引き締まった。


(この小松島が未来の四国の形を決めるのだとしたら……)


しかしその直後に、鷺山が苦い顔で口を開いた。


「若……。

 しかし、対策が……ありません」


長政が視線を向けると、鷺山は地図上の仮陣を示す碁石を指で示し、そこから周囲の林へと指を滑らせた。


「鬼兵の力で奇襲兵を撃退する……という手も考えましたが、具体策はございませぬ。

 この地は土佐者が知り尽くしております。

 逆に地の利を使われ、こちらが被害を受ける恐れもあります」


鷺山の声には、珍しく歯切れの悪さがあった。

嫌がらせ戦は、武勇だけではどうにもならない。


長政は腕を組み、しばし考え込んだ。

そして、別の案を口にした。


「……赤鬼、青鬼も工事を手伝えばよいのではないか。

 人夫が怯えて作業が進まぬなら、鬼兵が補えばよい」


しかし鷺山はすぐに首を振った。


「若、それは……危険です。

 鬼兵を工事に回せば、防御が薄くなります。

 ただでさえ夜襲に備えて疲れが溜まっているのです。

 その状態で、香宗我部の二千が本気で襲いかかってきたら……

 戦えなくなる恐れがあります」


松之丞も不安げに言葉を重ねた。


「鬼兵の皆さんは強いですが……

 工事と警戒の両方を担えば、必ず疲弊します。

 その隙を突かれたら……」


蘭も唇を噛んだ。


「人夫の作業は進みますけれど……

 鬼兵が倒れたら、海城どころではありません……」


長政は拳を握りしめた。

鷺山の案も、長政の案も――どちらも決定的な解決策にはならない。


嫌がらせは小さな傷しか与えない。

しかし、その小さな傷が積み重なれば、海城の完成は遠のき、四国の未来すら揺らぐ。


だが打開策は、まだ見えなかった。


鬼兵は疲れ、人夫は怯え、工事は遅れ、嫌がらせは続く。

誰も次の一手を出せずにいたその時――

ずっと黙って考え込んでいた明が、ふっと顔を上げた。


「長政様……ここは、私に任せていただけませんでしょうか?」


長政は驚いたように明を見る。


「明……何か策があるのか?」


明は静かに頷いた。


「具体的な策とまではいきません。

 ですが――こういう時の芋粥の戦い方は、いつも一つです」


長政は思わず身を乗り出した。


「ま、まさか……銭袋で殴る戦か?」


明は力強く頷いた。


「はい!

 四国になくて、芋粥にあるもの。

 それは――銭です!」


その言葉に、松之丞が目を見開いた。


「……確かに。

 銭を費やせば、何事も早く進みます。


 資材を燃やされるより多く集めればいい。

 人夫も倍揃えればいい。

 給金にも色を付ければいい。


 そうすれば、工事の進みは倍増するでしょう」


しかし、松之丞はそこで言葉を止めた。

そして、ゆっくりと周囲を見渡した。


「ですが……その銭は?」


長政も、鷺山も、蘭も――皆が再び暗い顔になる。


伊勢の財力は莫大だが、ここは四国方面軍の前線。

銭は限られ、補給も遅れる。

簡単に使える状況ではない。


だが――

ただ一人、明だけは暗い顔をしていなかった。


明には――銭を用意する方法がしっかりと見えていた。

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