第二百五十六話 芋粥家御教書
秀政が反物の束を見つめながら、
次の策を思案するように目を細めた。
皆が注目する中、政親が問いかけた。
「義兄上、まだ何をなさるおつもりですか?」
それには答えず、秀政は浅野へ視線を向けた。
「浅野。
そなたの手勢に――“凧使い”はおるか?」
広間が一瞬、静まり返った。
長政が小さな声で呟くように問いかけた。
「凧……ですか?」
「あぁ、空に上げる凧だ」
浅野は即答した。
「おりまする。
伊賀では凧を使う術は古くより伝わっております。
合図、偽装、遠見……用途は多うございます」
秀政はさらに問う。
「では――大きな凧を自由自在に扱える者は?
それも一人では足りぬ。相応の人数が要る」
浅野は少し考え、やがて頷いた。
「はい。
先に申し上げました通り、凧は伊賀忍術の得手の一つ。
技を持つ者は多くおりまする。
風を読む者、骨組みを作る者、そして大凧を揚げる者。
いずれも腕は確かでございます」
秀政は満足げに頷いた。
浅野が恐る恐る問いかけた。
「殿、まさかとは思いますが……。
大凧で大樽を空に上げて、砦に落とすことを考えておりますか?
さすがに火薬を詰めた樽は重うございます。
伊賀の凧使いでもそこまでは出来かねますぞ」
秀政は笑いながら首を横に振った。
「そうか、それは残念だ。
もしできるならば面白かったがな。
だがな、俺が考えたのは別の策だ」
浅野が怪訝そうに問い返した。
「そうではないと?
別の策……いかようなことをお考えで?」
「それはな――こうだ」
秀政はこの場にいる者に向けて、大凧の使い道を事細かく告げた。
その瞬間、広間にどよめきが走った。
政親は目を見開き、長政は思わず息を呑んだ。
浅野は身を乗り出したが、すぐに冷静な声で条件を付けた。
「……殿。なかなか難しいことを望まれますな。
出来なくはありませぬ。
ですが、伊賀者であっても、それを行うには、相当に訓練が必要ですな」
「出陣まであとひと月ある。
それで間に合うか?」
浅野は少し考えたが、すぐに力強く頷いた。
「は!間に合わせます。
蘭姫様がこれほどの決意をお見せになったのです。
それがしも負けてはおれませぬ」
お悠は口元を押さえながらも秀政を見つめた。
「……弥八様は、また常人の思いつかぬ策を……」
秀政は皆の反応を見渡し、静かに言った。
「この件は浅野に任せる」
「は!お任せあれ!」
そして秀政が今度は綾芽の方を向いた。
「綾芽」
「は、はい!」
不意に名を呼ばれ、綾芽は緊張した面持ちで返事をした。
「先の凧もそうであるが、蘭の樽も失敗するわけにはいかぬ。
ロレンソとの交渉は蘭や松之丞に任せればよい。
だがその組み立てや、隠蔽、運搬に関しては忍びの力が必要だ。
綾芽は白鬼百騎を率いて、蘭と共に先行して堺へ向かえ。
蘭たちの身の安全、そして実際の樽作成に関しては任せるぞ」
綾芽は決意を込めて、力強く頷いた。
「は!お任せください。
蘭姫様の身は命に代えてもお守りいたします。
そして、初の大仕事である大樽に関しては白鬼の全力を尽くして補佐し奉ります」
秀政は満足げに頷いた。
「頼むぞ。
これで、雷神巨砲の“反証”は整う」
誰もが息を呑んだまま、秀政の次の言葉を待っていた。
「これより芋粥家御教書を作ってまいる。
各々抜かりなく自らの任を果たせ」
「「は!」」
「政親はついてまいれ。
お前には御教書のことで諮りたい」
「は!」
芋粥家の重臣たちは一斉に立ち上がり、己が任務を果たすため、急いで退出していった。
*
伊勢・鈴鹿館――奥の間。
秀政と政親が向かい合って座り、少し下がった場所には祐筆が膝をついていた。
硯の墨の香りが奥の間に満ちている。
秀政は文机に手を置き、政親へ問うた。
「政親。芋粥家御教書について、どう致すべきか考えを述べよ」
政親は深く息を吐き、長宗我部の御教書を広げてから静かに答えた。
「義兄上……これは、長宗我部の御教書の全ての条文を否定するしかありませんな。
一つずつ潰していく形が最も確実かと存じます」
秀政は頷き、祐筆へ声をかけた。
「祐筆、筆を取れ。
これより芋粥家御教書を書く」
祐筆は深く頭を下げ、硯に筆を落とした。
政親は最初の条文を指で叩いた。
「まずは、流言の否定ですな。
芋粥家は巨砲を持つと公言したことは一度もない。
ここを明確にいたしましょう」
祐筆が筆を走らせる。
秀政は続けた。
「流言は他国の間者が勝手に流したもの。
だが“城を破る兵器を持つ”という部分は真実だ。
そこを強く押し出す」
筆の走る音だけが続いた。
政親は次の条文を示した。
「次に、“虚砲を吹聴した”という部分。
これは完全に否定できますな。
巨砲は存在せぬが、攻城兵器は存在する。
その真実を宣言する形で」
秀政は静かに頷いた。
「よい。
芋粥家は虚説を用いぬ家であることを明記せよ」
祐筆の手は止まらない。
力強い文字が紙の上へ刻まれていく。
政親は三つ目の条文を指した。
「“箱に固定具の跡がない”という指摘。
これは兵器が大砲ではない以上、当然のこと。
長宗我部の早計を指摘する形で書きましょう」
秀政は冷たい笑みを浮かべた。
「兵器の中身は松浦勢撤退の折に回収済み。
痕跡の有無をもって虚説と断ずるのは理に合わぬ。
その旨を記せ」
祐筆は迷いなく筆を走らせた。
政親は最後の条文を示した。
「“芋粥家は虚説を用いる家”という部分。
これは強く反論すべきですな」
秀政は即答した。
「南蛮帆船も、信貴山崩壊も、すべて真実だ。
芋粥家は虚説を用いぬ。
そして――」
秀政は政親を見た。
「戦場で証明すると宣言する。
三月、天王寺砦で兵器の威力を諸家の目前に示すと約束せよ。
これが御教書の核だ」
政親は深く頷いた。
「義兄上……これで長宗我部の御教書は完全に覆せます」
秀政は祐筆へ向き直った。
「祐筆。
今書いた条文を整え、芋粥家御教書として清書せよ。
諸家へ送る」
祐筆は深く頭を下げ、墨を新しく含ませた筆を紙へ滑らせた。
その筆先から生まれる文は――
芋粥家の名誉を守るための、鋭く、重く、揺るぎない宣言であった。
やがて祐筆が筆を置き、清書された御教書を両手で捧げ持った。
秀政はそれを受け取り、静かに読み上げた。
一、
近年世に流布する巨砲の噂、
その多くは芋粥家の本意にあらず。
芋粥家は巨砲を持つと公言したこと、一度もなく、
他国の間者が兵器箱を見て勝手に流した流言に候。
流言のうち“巨砲”の名は偽りなれど、
芋粥家が城を破る兵器を有することは真実にて、
ここにその旨を明らかに致す。
一、
芋粥家、巨砲を吹聴したる事実なし。
巨砲が存在せぬことは芋粥家も承知の上。
ただし、巨砲にあらざる攻城兵器を有することは真実にて、
その存在を、芋粥家の名に誓ってここに宣言致す。
一、
芋粥家の兵器は大砲にあらず。
よって箱に固定具の跡なきは当然のこと。
長宗我部家が大砲と早計に断じたるは、
兵器の形状を誤認したるに過ぎず。
兵器の中身は松浦勢撤退の折に回収済みにて、
その痕跡の有無をもって虚説と断ずるは理に合わず候。
一、
芋粥家、虚説を用いる家にあらず。
南蛮帆船の件も、信貴山崩壊の件も、
いずれも事実を述べたるのみ。
芋粥家は三月、長宗我部・本願寺との戦に出陣し、
天王寺砦にて、その威力を諸家の目前に示す所存。
その目にて真偽を確かめられたし。
秀政は御教書を閉じ、政親へ向けて静かに言った。
「これでよい。
芋粥家は虚説を用いぬ家であること、
そして兵器の真実を戦場で示すこと――
これが我らの答えだ」
政親は深く頭を下げた。
「義兄上……この御教書、畿内を揺らしますぞ」
秀政は立ち上がり、奥の間の襖を開け放った。
「使者を呼べ。
芋粥家の名において、諸家へ届ける」




