第二百五十三話 長宗我部家御教書
天王寺砦は、本願寺方の道祐がしっかりと守っていた。
地味な男ではあるが、堅実なその守りは天王寺砦の堅さと相まって難攻砦と化していた。
その外側にはそれを攻めあぐねる明智・佐久間の両軍が包囲していた。
さらにその外側を、長宗我部元親と下間頼廉の軍勢が遠巻きに取り囲むという、いびつな構図になっていた。
本来なら、明智と佐久間は砦を力攻めしてでも落としたいところである。
しかし、それができない。
砦へ総攻撃をかければ、その瞬間、背後から長宗我部勢と下間勢が襲いかかる。
砦の守りと、背後からの突撃を同時に受ければ、いかに明智・佐久間とて持ちこたえられない。
ゆえに両軍は、砦を包囲こそすれ、決定的な攻め手を打てずにいた。
では、外側を遠巻きに囲む長宗我部・下間を先に叩けばよいかと言えば、それも叶わない。
明智や佐久間が砦から兵を離し、長宗我部や下間勢へ向けて進軍すると、敵はどこまでも距離を取り、決して正面からは受けようとしない。
近づけば退き、追えばさらに退く。
砦から目を離した隙に、道祐が打って出る危険もある。
こうして、明智・佐久間は砦を囲みながらも攻めきれなかった。
また、長宗我部・下間は砦の守り側でありながら、決戦を避け、遠巻きに牽制を続けていた。
先の戦いで、いずれの軍も少なからぬ死傷者を出したばかりで、再び大きく兵を動かす気力も削がれていた。
誰も決定打を打てず、誰も退ききれず、
ただ天王寺砦を挟んで、攻め手と守り手が互いに睨み合う――。
戦場は、ここ数日の間、膠着の様相を見せていた。
*
長宗我部の陣――。
戦が膠着する中で、親泰が苛立ちを隠さず兄へ声をかけた。
「兄者……このままじゃ、何もできんうちに三月が来てしまうぞ」
元親は焚火の煙を見つめたまま、落ち着いた声で返した。
「そうなれば帰ればええだけよ。見たやろう?
明智の采配は本物じゃ。
あれほど上手う兵を動かす将とは、まともに戦うたら損をする。
かといって、今のわしらに明智を嵌め倒す策はない。
織田の天王寺攻めを牽制するしかできんがじゃ」
親泰は不満を隠さなかった。
「……臆したか、兄者」
元親は鼻で笑った。
「馬鹿を言うな。臆すわけなかろうが。
ただ勝てる戦をするだけよ。それが将の務めじゃ。
四国は兵も銭も米も多うはない。
無駄に減らすわけにはいかんのじゃ」
親泰はしばらく黙っていたが、やがて悔しげに頭を下げた。
「……すまん、兄者。
分かっちゃあおる。じゃが、何もせんのはのう……
策はないがか?」
元親は視線を親貞へ向けた。
「親貞。前に言うた下拵えはどうなっちゅう?」
親貞は膝をつき、答えた。
「流言の件でございますな。
万事、滞りなく進んじょります」
親泰が眉をひそめた。
「流言?」
元親は静かに笑った。
「親貞には、洲本城を出る前から芋粥の噂を流させちょった。
巨砲は長宗我部の手には渡らず、松浦が二の曲輪へ退く直前に破壊した――
あの噂じゃ」
親泰は驚いたように兄を見た。
「何じゃそれ。そんなことしたら、兄者が流した巨砲の流言を自分で打ち消してしまうやないか」
元親は首を横に振った。
「それでええ。それこそが二段目の策よ。
あの時点で、わしの流言は十分に効果を出しちょった。
明智や佐久間に一度勝てたのも、そのおかげじゃ。
じゃが、そこからさらに流言を重ねても効果は伸びん。
どのみち、巨砲の噂は消えゆく。
世鬼衆や雑賀が勝手に流すだけでも十分じゃ」
元親は火をつつきながら続けた。
「ならば、わしらは芋粥の噂を助長して、
“巨砲は芋粥に破壊された”とするんじゃ」
親泰は腕を組んだ。
「……言うてる意味がよう分からん」
元親は親貞へ視線を向けた。
「親貞、流言の広まり具合はどうじゃ?」
親貞は丁寧に答えた。
「はい。先の戦で我らが押し負けたこともあり、芋粥の噂はよう広まっちょります。
わしらが助長したことも後押しになり、既に“巨砲は芋粥に破壊された”と信じる者が多うございます」
元親は満足げに頷いた。
「ならば頃合いよ。今度は芋粥の名を地に落としてくれようぞ。
今より親直へ段取りの書状を書く。
この通り、洲本城にて長宗我部家の御教書と致せ」
親貞は深く頭を下げた。
「はっ。承知いたしました」
元親は親泰へ向き直り、口角を上げた。
「見ちょれ、親泰。
明智は後回しじゃ。当初の通り――
まずは芋粥を喰らうてやるぞ」
*
洲本城にて、久武親直は元親の命により、本願寺・毛利・有力国人衆・堺の商人らを城へ招き入れた。
その上で、長宗我部家の御教書を以て、巨砲破壊に関する真実を公に布告した。
長宗我部家御教書。
雷神巨砲に関する一件、ここに公然と沙汰する。
一、
近年世に流布する巨砲に関する流言の類、
そのすべてが偽りであることを、長宗我部家はここに宣言する。
一、
芋粥家が畿内の混乱を収めるため、
「巨砲は破壊された」との流言を意図的に流していた証左を得た。
その事実を諸使者の前に示す。
一、
そもそも巨砲なるものは存在せず、
芋粥家が虚砲を実在の如く吹聴していたことを明らかにする。
一、
芋粥家より回収した「雷神巨砲」の箱を諸使者立ち会いのもと検分したところ、
重き砲を据え置いた痕跡、固定具の跡など、
巨砲の存在を裏付ける形跡は一切認められなかった。
この事実を各使者を証人として記す。
一、
芋粥家は戦のためなら虚説を用い、世を惑わす家であり、
その言に信を置くべきではないことを、ここに確かめる。
以上、長宗我部家は雷神巨砲に関する虚説を正し、その真実を諸国へ示すものである。
*
洲本城で長宗我部家の御教書が布告されたその日、畿内は確実に揺れた。
巨砲の真偽は、これまで噂と憶測だけが先走り、誰も確かな証を持たぬまま語り合っていた。
そこへ大名家の名を背負った「公の沙汰」が下ったのである。
御教書を受け取った使者たちは、その日のうちに堺・京・大和・摂津へと散っていった。
彼らはただの使者ではない。堺の会合衆、摂津の国人、毛利、本願寺――
それぞれが独自の情報網を持つ者たちであった。
毛利は御教書の写しを受け取ると、すぐに自家の与力・国人衆へ通達を回した。
「長宗我部家が証人を立てて検分した以上、巨砲は虚説と見てよい」
長宗我部の御教書という「公の沙汰」が加わり、毛利は堂々と織田家を批判できる立場を得た。
毛利の使者は各地へ散り、「巨砲は存在せぬ」「芋粥は虚言の家」「織田恐るるに足らず」という言葉を、あえて強めて広めた。
毛利は長宗我部の御教書を自家の政治的武器として利用したのである。
本願寺は表向き沈黙した。
だが、裏では国人衆や堺商人へ密かにこう伝えた。
「長宗我部の沙汰は真である。
芋粥の言は今後、当てにならぬ。
明智、佐久間も同様である。
織田そのものが虚勢である」
堺の会合衆は、毛利と本願寺の両方が長宗我部の御教書に同調したことを知ると、巨砲の真偽を完全に長宗我部側へ傾けた。
「毛利と本願寺が同じことを言うなら、これはもう疑う余地はない」
堺は情報の中心地である。
ここで噂が反転すると、畿内全体の世論が一気に動く。
芋粥への信用を傷つけるには十分であった。
今後、芋粥が新兵器や奇策を喧伝しても、まず法螺を疑われる
国人衆の一部で警戒と反発が広がった
*
御教書を起源に、毛利の助長、本願寺の裏同調、堺の拡散を経て、一気に噂を反転させた。
数日のうちに、畿内で雷神巨砲を信じる者はほとんどいなくなった。
代わって広まったのは、「芋粥は戦のためなら、存在しない兵器さえ作り上げる」という評判だった。
*
伊勢・鈴鹿館――。
長宗我部の動きを警戒して、伊勢では連日、軍備の整えが急がれていた。
戦の気配がじわじわと伊勢を覆い始めていた。
そんな折、松浦からの早馬が駆け込んだ。
馬は泡を吹き、使者は息を切らしながら秀政の前へ通された。
秀政は政親と共に使者を迎えた。
使者は膝をつき、震える声で報を告げた。
「明智勢、長宗我部勢に大敗――」
この報がまず伝えられた。
松浦は、明智勢が挟撃されて陣を崩し、大量の死傷者を出したところまでしか確認できず、そのまま敗走したものと判断した。
そのため、明智が立て直して長宗我部を押し返した報せは、まだ伊勢へ届いていなかった。
また、立て続けに誤報を送ることを恐れた松浦によって、情報精査が行われたことで、明智勝利の報が届くまでに少しの時間差が生じた。
秀政は思わず声を荒げた。
「明智殿が長宗我部に大敗しただと?!
あの明智殿がか?」
使者は深く頭を下げた。
「畿内では、長宗我部の巨砲の噂が拭いきれず……
兵が思うように動かぬ状況とのことでございます」
秀政は拳を握りしめた。
「俺はすぐに巨砲の真実を諸将へ伝えたはずだ。
それでも噂は消えなんだか……」
政親が静かに口を開いた。
「噂というものは、一度立てば完全に消し去るまで時間がかかります。
その隙を長宗我部が突いたのでしょう。
元親という男、なかなかの切れ者にございますな」
秀政は苦い息を吐いた。
「まずい……。これでは畿内の敗因を作ったのは俺ではないか」
政親は淡々と頷いた。
「そうなりますな……」
秀政は立ち上がり、歩きながら言った。
「情報が要る。
場合によってはすぐに発たねばならん。
蘭の祝言どころではなくなってきた……」
鈴鹿館の空気は一気に重くなった。
秀政の胸中には、明智の敗北と自らの責任が渦巻いていた。
数日後、松浦から届いた次の早馬は、秀政の表情をさらに曇らせた。
その文には――
長宗我部家御教書が添えられていた。
【あとがき】
長宗我部家御教書でいう芋粥の流言の「証左」についてですが、そこに長宗我部の嘘があって策破りできるのでは?と思われた読者様もいらっしゃるかもしれません。
鍵になるのは元親自身も同じ噂を後押しして流していたことです。
元親は芋粥側が流した「巨砲は破壊された」という噂を利用するだけでなく、自らも同じ内容の噂を各地へ流させ、その噂を広めるための「指示書」まで用意していました。
その上で、「討ち取った伊賀者が持っていた指示書」として、その文書を証拠に仕立てます。
さらに、その噂を実際に聞いた人々の証言は、当然ながら指示書の内容と一致します。
すると第三者から見れば、
「討ち取った伊賀者の所持していた指示書」
「その通りの噂を聞いた人々の証言」
という二つの証拠が揃ったように見えます。
伊賀者本人はすでに討たれ、葬られたとされているため反論できません。伊賀者への指示書に花押なども不要ですし、芋粥が伊賀者を用いていること自体は広く知られています。
こうして長宗我部家は、「芋粥が巨砲破壊の流言を意図的に流した証拠を得た」と、公に宣言できる状況を作り上げたわけです。
本文にここまで書くと、くどくなるため、あとがきとしました。




