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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十四章 織田家宿老編(長宗我部知略戦編)

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第二百五十二話 明智の意地

明智の陣――。


一領具足の突撃を幾度も受け、魚鱗の陣形は崩されていた。

槍が折れ、兵の悲鳴が冬空へ散っていた。

陣形を立て直したとはいえ、明智勢には百を超える死傷者が出ていた。

兵たちは息を切らし、槍を支える腕にも力が入らなくなっていた。


そこへ物見が駆け戻り、膝をついた。


「申し上げます! 長宗我部勢、陣を離れます。

 向かう先は佐久間様の陣にございまする!」


光秀はわずかに目を細めた。


「小賢しい真似を……」


去っていく長宗我部軍の背を見送りながら、明智兵たちは安堵の息を漏らした。

敵が離れたことを喜ぶ兵の姿は、明智勢がすでに攻める気力を失いかけていることを示していた。


斎藤利三が光秀の傍へ進み出る。


「殿……兵の士気が落ち切っております。

 このままでは、とても戦えませぬ」


光秀は利三を鋭く見据えた。


「馬鹿を申すな。

 この明智が、織田家中でも名うての我らが、ここまで虚仮にされたのだぞ。

 長宗我部は、我らが立て直せぬと踏んで、堂々と背を向けて去りおった。

 お前はこれを放っておけるのか?」


利三は唇を噛みしめた。


「いえ……このようなふざけた輩を放ってはおけませぬ。

 ですが、兵が付いて来なければ……」


光秀は静かに息を吐いた。


「佐久間救援など、この際ついでじゃ。

 まずはこの明智の誇りを取り戻す。

 儂が鼓舞して兵の士気を立て直す」


利三は驚いたように目を見開いた。


「殿御自ら、兵へ檄を?」


光秀は頷いた。


「元より儂は檄を飛ばすのは得意ではない。

 だが、だからこそ――儂が声を荒げれば、兵は只事でないと悟る。

 今はそれが要る」


「御意!」


利三が下がると、光秀は疲れ切って腰を落としかけた兵たちの前へ歩み出た。

その姿に、兵たちは自然と顔を上げた。


光秀は声を荒らげず、それでも陣中の隅まで届く声で語り始めた。


「明智の勇者よ。よく聞け」


普段と違う光秀の声音に、兵たちの視線が一斉に集まった。


「長宗我部は強かったか?

 いや、強く見せるのが上手いだけよ。

 確かに強かった。だが正面から突くことしか知らぬ。

 それは真に強いとは言わぬ。


 それに巨砲を持つと言いながら、一度として使う素振りすら見せなんだ。

 儂が申した通り、巨砲など存在せぬ。

 長宗我部は、虚言で兵を怯えさせる法螺吹きに過ぎぬ。


 先の戦で我らが苦戦した理由も明白だ。

 本願寺が横から割って入った――ただそれだけのこと。

 しかも狙ってではない。たまたま機が合っただけにすぎぬ。

 それを己らの武功と吹聴する。浅ましい道化よ。


 明智はどうだ。

 お前たちは日ノ本でも指折りの練度を持つ兵ぞ。

 儂の指揮に従って後悔したことが、これまで一度でもあったか?


 我ら明智勢は、幾度も難戦を勝ち抜いてきた。

 その明智が、たまたま悪しき状況が重なっただけで腰を落とすか?

 背を向けて嘲る道化者を、黙って見送るか?


 そうではあるまい。


 立て、明智の兵よ。

 運に頼らぬ“明智の力”を、四国の道化どもに思い知らせてやれ」


俯いていた兵が顔を上げ、槍を握り直した。

やがて前列から声が上がり、後列の兵もそれに続いた。


「「おお!!」」


雄叫びは陣中へ広がり、腰を落としていた兵たちも次々と立ち上がった。

光秀は続けた。


「よく聞け。これより四半刻、体を休めよ。

 英気を取り戻せ。


 先ほど佐久間殿より知らせがあった。

 佐久間殿が二手の軍を一時受け止める。

 我らは四半刻後にここを発ち、長宗我部の背後を突く!


 長宗我部と佐久間がぶつかり、動けなくなったところを、

 我ら明智が挟撃して打ち破るのだ!


“守りの佐久間”を信じよ。

 我らは我らの戦をする。

 先ほど受けた屈辱を倍にして返してやれ!」


「「おおう!」」


利三が光秀へ歩み寄り、声を潜めた。


「殿……いつのまに佐久間様と?」


光秀は冷静に答えた。


「知らせなどない。佐久間殿には、しばし敵を受け止めてもらう。

 あの者とて歴戦の将よ。そうたやすくは崩れぬ。

 両軍が組み合い、身動きが取れなくなってからこそ、背後を突く意味がある。


 佐久間殿には悪いが、大いに利用させてもらう。

 そしてここで長宗我部元親を討ち取り、明智こそが織田一の将と知らしめるのだ」


利三は深く頭を下げた。


「はっ!」


沈んでいた明智勢の士気は、光秀の檄によって再び立ち上がった。



佐久間の陣――。

佐久間勢は、下間勢と長宗我部勢の二方から攻め立てられていた。


正面では下間頼廉の本願寺勢が、側面では長宗我部元親の一領具足が槍を揃えて押し寄せた。


槍が折れ、兵が倒れ、列が乱れ始めていた。

それでも佐久間勢は必死に防戦の構えを崩さず、泥を蹴り上げながら二手の圧力に耐えていた。


佐久間信盛は馬上から戦場を睨みつけ、怒号を放った。


「日向守はいかがいたした!

 まさか、もう崩されたのではあるまいな!」


怒りと焦りが混じった声が陣中に響く。

信盛は槍を振り上げ、兵たちへ向けて叫んだ。


「佐久間勢よ、押し返せ!

 ここで押し返し、殿の御期待に沿うのだ!

 二手を同時に押し返そうとするな!

 一方を守り、一方へ兵を集中せよ!」


信盛は戦場を素早く見渡し、指示を飛ばす。


「長宗我部側は槍衾を組んで耐えよ!

 信栄、そなたに任せる。守りに徹しよ!」


信栄は槍を構え直し、兵をまとめて前へ出た。


「承知!」


信盛は主力の兵を手招きし、馬の首をぐっと返した。


「主力は儂についてまいれ!

 まずは寡兵の下間勢から打ち破れ!

 頼廉の首を討ち取るぞ!

 その後は長宗我部も包み込んで、全て佐久間の手で終わらせてくれるわ!」


信盛は長宗我部側を信栄に任せ、主力を下間勢へ振り向けた。

泥を蹴り、槍を突き出し、怒号とともに佐久間勢が動く。


二手から押し潰される寸前の陣形の中で、信盛は己の武名と佐久間家の面目を賭けて、まずは寡兵の下間勢を叩き潰すべく突撃を開始した。



長宗我部の陣――。

元親は馬上で静かに目を細めた。


「ほぉ……佐久間とやらも、ようやりよるな」


佐久間勢が下間勢へ反撃に転じたのを見て、元親はわずかに口角を上げた。


「じゃが、時間の問題じゃ」


そこへ物見が駆け戻り、息を整えながら膝をついた。


「も、申し上げます!

 背後より――明智勢が詰め寄ってきゆうがです!」


元親は物見へ顔を向けた。


「なんじゃと……?」


元親は一度だけ眉を寄せた。

だが次の瞬間、元の冷静な声音で相手を認めた。


「……あの状況で立て直しよるか。

 明智とやらも、なかなかやりよる。

 やはり織田は一筋縄ではいかんの」


物見は続けた。


「敵は再び――魚鱗の陣で迫っちょります!」


元親は肩を揺らして笑った。


「懲りん奴らじゃのう。

 よほど、わしらの突撃が恐ろしゅう見ゆるがじゃ。

 魚鱗なら耐えられると思うちゅうが、浅はかよ。


 わしら一領具足は、力ずくで押し通るぞ」


元親は馬の首を軽く引き、親泰へ向き直った。


「親泰。佐久間は任せたぞ。

 儂が明智に止めを刺してくるき」


親泰は土佐者らしい豪胆な笑みを浮かべた。


「兄者、任せちょけ。

 佐久間はわしが押さえちゃるき、安心して明智を叩きに行け」


長宗我部の陣が再び動き始めた。



明智の陣。

物見が駆け戻り、膝をついて声を張った。


「長宗我部勢、正面より突撃してまいります!」


光秀は馬上で静かに頷いた。

その目は突撃の勢いではなく、敵の“動きの癖”を見据えていた。


「これは魚鱗の陣にあらず。敵を中へ引き込む、逆の魚鱗よ」


利三が驚いたように光秀を見た。

光秀は続ける。


「一領具足の力攻めが、四国の田舎でしか通じぬことを教えてやろうぞ」


光秀が先ほど組んだ魚鱗は、中央へ兵を厚く重ね、一領具足の正面突撃を受け止めるための陣形だった。

鱗の如く後方の兵を次々と前へ送り込み、削られた前列を補うことで、正面を崩さず、押し返して攻めるためのものだ。

だが、今回の魚鱗は逆だった。


一領具足が明智勢の先頭に当たると、

前列は一領具足の勢いに合わせて後退し、その後方にいた兵は左右へ分かれていった。

まるで水を吸い込む渦のように、長宗我部の突撃を包み込む形へと変わっていった。


これは魚鱗の陣に見せかけた中央後退・両翼包囲の陣。

即ち陣形の柔軟性――明智の練度があってこそ出来る動きだった。



長宗我部の陣。


元親は進軍しながら、明智勢の動きを見据えた。

その目がわずかに細くなる。


「ん……? なんじゃ、あの動きは?


 魚鱗の陣を敷いちょるように見えるが……

 動きが魚鱗とは違う」


元親は槍を強く握りしめ、低く唸った。


「待て……これは魚鱗ではないぞ」


元親は異変を察し、すぐに声を張った。


「突撃の足を緩めよ!

 前列は深追いせず、明智の動きを見定めろ!」


伝令は「はっ!」と返し、走った。


元親は冬空を見上げ、わずかに眉をしかめた。


「明智……何をする気じゃ?」



光秀は戦況を見据えて、冷ややかに呟いた。


「一領具足どもは密集してくる。

 その斜め後方から撃ち抜けば竹盾も役立つまい」


一領具足の突撃の勢いが少し弱まった。


光秀は今なお冷静に伝令に指示を出した。


「ふ、迷っておるな。よし、今だ、放て!

 

 騎馬隊は突撃に備えよ!」


光秀の命令が左右へ展開した鉄砲隊へ届くと、一領具足の斜め後方から銃声が上がった。


十挺ずつが三段に立ち並び、左右合計六十挺。


前列が撃つと後列と入れ替わり、装填を終えた次の列が続けて発砲する。

その間に撃ち終えた射手が次の射撃のための装填をする。

三段に分かれた鉄砲隊が、左右から交互に次々と銃弾を浴びせ続けた。


正面の敵と竹盾に意識を向けていた一領具足は、どちらへ盾を向けるべきかも決められない。

前へ進もうとする者と、射線から逃れようとする者がぶつかり、密集した列の中で次々と兵が倒れた。

この射撃によって百人余りの一領具足が倒れ伏した。


「退け、退けぇ!仕切り直しじゃ!」


慌てて元親が退却を命じた。

一度混乱すると、常備兵に比べて軍としての練度が低い一領具足は、途端に乱れ始めた。

そこへ待機していた明智の騎馬隊が隊列を揃え、一領具足の側面へ突入した。


明智の騎馬隊は、敵の側面を槍で突き崩す戦を得手としていた。

ここでも一領具足の数十人が槍に突き貫かれて、地へ倒れた。


長宗我部軍は一旦退き、明智軍に対して防備の構えを取った。



元親は馬上で渋い顔のまま、明智勢の陣形をじっと睨みつけた。


「……織田を、少々舐めちょったようじゃの。


 明智か。

 その名、覚えたぞ。見事な働きじゃ」


その声音には怒りではなく、敵を認める武将の重みがあった。

元親は親泰の戦場の方角へ目を向ける。


「親泰の方はどうじゃ?」


物見が駆け寄り、膝をついて報告した。


「申し上げます!

 香宗我部勢は佐久間信栄の軍を押しゆうがです。

 じゃが、寡兵の下間勢は佐久間勢に抑え込まれ始めました。

 こちらの押しが……少し足りんように見えまする」


元親は短く息を吐いた。


「そうか……今回の挟撃は失敗じゃな」


馬上で槍を見つめながら、冷静に判断を下す。


「不利な状況で戦を続けるは馬鹿じゃ。

 親泰に伝えちょけ。

 早々に切り上げて、ここは一旦退くぞ」


物見は深く頭を下げた。


「はっ!」


元親はわずかに笑った。


「下間頼廉も、わしらの動きを見たら退くじゃろうて。

 一勝一敗……いや、わしらの負けの方が大きいかの」


その言葉には悔しさはなかった。


「明智を討つは、やはり難しいのう……

 次の一手に切り替えるか」


次の策を練る前向きさがそこにあった。

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流石は退き佐久間 粘り強く戦うのは得意ですね
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