第二百四十八話 元親の真の目的
岸和田城――。
冬の冷気が肌を刺し、白い息が城下に漂う中、長宗我部軍は城の外郭に張り付き、
籠城戦の初日を迎えていた。
土塁と柵の上には弓兵が並び、大量の矢袋が積み上げられている。
矢を尽きさせぬため、兵たちは矢束を背負い、射手が倒れてもすぐに交代できるように整然と配置されていた。
塀のそばには石や丸太が山のように積まれ、敵が梯子を掛ければ、上から叩き落とす準備が整っている。
火のついた藁束まで用意されており、梯子攻めを焼き払う算段もできていた。
門前と柵前には逆茂木がびっしりと敷かれていた。
丸太に枝を逆向きに残したまま地面へ伏せたもので、踏み込めば足を取られ、破城槌の進行速度を奪う。
門を破ろうとすれば、矢の雨と石落としの中で逆茂木を踏み越えねばならず、相当な被害を覚悟する必要があった。
さらに、土塁の曲線を利用した“横矢”の射線が三の曲輪全体に張り巡らされていた。
正面から攻め寄せる敵に対し、左右の土塁から斜めに矢が飛び込む。
少ない兵でも効果的に敵を削れる、岸和田城が誇る防御の要であった。
誰が見ても、正面から攻めるのをためらうだけの備えであった。
松浦もまた、この守りを見せれば元親は包囲を選び、岸和田攻めは長期戦になると考えていた。
*
城の周囲には、土佐の旗が林立していた。
一領具足五千が槍を構え、静かに息を潜めている。
その前に立つ元親は、まるで獣のような覇気をまとっていた。
火鉢の前で見せた静けさはもうない。
ここにいるのは、四国を統べる若き虎――長宗我部元親その人だった。
元親は隣に立つ親泰へ声をかけた。
「……親泰。城攻めっちゅうんは、最初が肝心じゃき」
親泰は兄の顔を覗き込んだ。
「兄者、急にどうしたがよ?」
元親は城を見据えたまま、低く問うた。
「……普通、城攻めはどうするがじゃ?」
親泰は肩をすくめ、鼻で笑った。
「まぁ……包囲して、じわじわ圧迫するんが常道じゃの。
見てみいや兄者、この岸和田は堅そうぜよ。
門は分厚うて、土塁の上には弓兵がずらりと立ち並んじゅう。
矢袋も山ほど積んじょって、石落としも丸太も備えちゅう」
親泰は槍の柄を軽く叩き、続けた。
「まぁ、普通なら――こんな城を無理攻めするがは、ど阿呆と罵られるじゃろうな」
そして、にやりと笑った。
「じゃがな、兄者とわしは、そのど阿呆をやるつもりながじゃろう?」
元親は口角を上げた。
「そうじゃ。初日から力攻めじゃ。
今日一日で城を落とす気概で行くがぜよ」
親泰は不敵に笑い、それを見た元親が先を続けた。
「親泰……三日、五日と同じ勢いで攻め続けるんじゃ」
元親は声を出して笑った。
「ははは。敵は毎日、この猛攻が続くと思うて肝を冷やす。
岸和田は広い割に籠った兵が少ない。
そこを突くがじゃ」
元親は一歩前へ出た。
「……鼓舞して参るき、親泰。ついて来い」
親泰は豪快に頷いた。
「おう、兄者」
*
一領具足五千が整列し、その前に元親が立った。
冬の空気が張り詰め、兵たちの息が白く揺れる。
元親は大きく息を吸い込み、腹の底から声を放った。
「よう聞け!!
土佐の――いや、日ノ本一の猛者どもよ!!」
兵たちの視線が一斉に元親へ向けられる。
「これより力攻めじゃ!!
見よ、岸和田に籠る兵どもを。
まるで草じゃ」
元親は城を指差した。
「踏めば倒れ、風が吹けば揺れる。
こんな草っ葉の城を落とすのに……おまんらは五日も要るか?」
兵たちがざわめき、元親はさらに声を張り上げた。
「要らんじゃろうな!!
おまんらほどの猛者なら――三日で落とすがじゃ!!」
一領具足たちの目が光った。
槍を握る手に力がこもり、ドンドンと石突を地面に叩きつけて応じた。
「さぁ、行くぞ!!
はじめから力攻めじゃ!!
四国の一領具足の恐ろしさを――草っ葉どもに見せつけちゃれ!!」
「おぉぉぉぉぉ!!」
大地が震えるほどの雄叫びが、岸和田城下に響き渡った。
*
初日から一領具足は、まるで今日一日で城を落とすつもりであるかのように、躊躇のない突撃を繰り返した。
その勢いは、城兵の誰もが予想していなかった。
松浦勢は土塁の上から雨のような矢を放ち、門前へ殺到する土佐勢を必死に押し返そうとした。
だが――その矢の雨を、一領具足はものともしていなかった。
破城槌を担ぐ兵たちを囲むように、前列の兵が巨大な竹盾を掲げて進む。
その竹盾は、一人で持つにはあまりにも大きく、分厚い竹板を幾重にも重ねた、並の兵では持ち上げることも難しい大盾だった。
だが、一領具足はそれを軽々と肩に乗せ、矢を受けるたびに盾が鈍い音を立てても、一歩も止まらず前へ進んだ。
矢は突き立ち、石は弾かれ、竹盾の表面には瞬く間に傷が刻まれていく。
それでも土佐勢は進む。
盾の影に隠れた破城槌の担ぎ手たちが、門へ向けてじりじりと距離を詰めていく。
破城槌には、通常より一回り太い巨木が使われていた。
先端には鉄板が巻かれ、二十名の一領具足が筋骨隆々の腕でしっかりと担ぎ上げている。
親泰が前線で声を張り上げた。
「撞木を構えちょけ!!
門をぶち抜くがぜよ!!」
その声に呼応するように、一領具足は逆茂木を踏みしめながら前へ進んだ。
逆茂木の枝が脛に食い込み、足を取られても、土佐勢はそれを踏み倒し、強引に道をこじ開けていった。
*
堅固な備えを見せれば、元親もまずは包囲に移ると考えていた松浦勢は、土塁の上で矢を放ちながらも、その勢いに明らかに動揺していた。
「な、なんという突撃だ……!」
「初日からこれか……!」
守兵たちの声が震えた。
守りの堅さを見せれば敵は足を止める。その前提が、最初の突撃だけで崩されていた。
物見櫓に立つ松浦肥後守の顔は青ざめていた。
「な、なんだと……!?
ど阿呆か、あいつら……。
この岸和田に真っ向から力攻めするか?
これは無理攻めじゃ。いくら長宗我部と言えども続かぬ!」
松浦は必死に声を張り上げた。
「耐えよ!耐え抜け!
いずれ関殿が兵站を崩す。
あやつらも、この勢いを最後まで続けることは叶わぬ。
今が正念場ぞ!」
檄を受けた守兵たちは命を懸けて防戦した。
一日目――
門は軋んだが破られず、日暮れとともに一領具足は引き揚げた。
あれほどの無理攻めをしておきながら、一領具足の被害は思ったより少ない。
怪我人こそ出たが、討ち取れたかどうかさえ松浦には判断がつかなかった。
その夜、守兵たちは疲れ切った体を引きずりながら門の補修を行い、終えるとその場に倒れ込むように休んだ。
松浦は不安を胸に押し込みながら、次の策を考えていた。
「……なんという圧だ。あれが四国を制した者どもか。
いや、相手も無理をしておるはず……。
この勢いは明日までは続くまい……」
*
翌日――
一領具足は再び猛攻を開始した。
昨日の疲れなどどこへ消えたのかと言うほどの苛烈な攻めだった。
松浦軍も必死に防戦した。
こちらも死に物狂いだ。
初日の攻撃を耐えたはずなのに、城兵の顔には勝ち残った者の安堵がなかった。
対する一領具足は、岸和田の守りを押し切れると確信し、初日以上の声を上げていた。
初日と同じ激戦を繰り広げ、二日目の夜を迎えた。
守兵たちは疲れ切って項垂れ、門は補修ができないほど損傷していた。
明日には打ち破られるだろうと誰もが思った。
松浦は三の曲輪の惨状を見た後、二の曲輪へ移動した。
「こ、このままでは三月まで持ちこたえられん……。
いや、三の曲輪を捨て、二の曲輪で守る。
あそこは門までの道が狭く入り組んでおる。
そこへ引き込んで長宗我部勢を打ち破れば、三の曲輪より守りやすかろう。
戦線を小さくすれば兵を一点に集められる。
休みながら戦うこともできよう。
いかに一領具足が化け物といえども、何れは疲れも見えよう……」
松浦は家臣に対し、城門が破られた際の退路を事細かに指示した。
混乱なく二の曲輪へ退き、継戦するためだ。
そして三日目――
一領具足は初日と変わらぬ勢いで力攻めを繰り返した。
遂に門が軋み、打ち破られようとしていた。
松浦は全軍に指示を出した。
「退け!二の曲輪に退けぇ!
まだ負けてはおらんぞ!
二の曲輪が長宗我部の墓場だ!」
門が突き破られ、一領具足が雪崩れ込む直前――
松浦軍は整然と二の曲輪へ退却した。
*
その様子を見届けるや、元親は槍を掲げて叫んだ。
「おう、やっと退いたか!
雪崩れ込めぇ!!」
親泰も声を張り上げる。
「おう!行けぇ!!
そして探せぇ!!
あれを見つけるがぜよ!!」
一領具足が三の曲輪へ突入し、瓦礫と血の匂いが混じる中を駆け回る。
やがて、兵の一人が叫んだ。
「ありましたぁ!!」
元親と親泰はその声を聞くや、すぐさま駆け寄った。
三の曲輪の奥、蔵が立ち並ぶ陰――そこに、分厚い木箱が鎮座していた。
元親は箱を見上げて鼻で笑った。
「開けぇ。壊しても構わんき」
兵が大槌で箱を叩きつける。
板が割れ、金具が飛び散り、箱は勢いよく崩れた。
だが――
中には、何もなかった。
空虚な闇だけがぽっかりと口を開けていた。
親泰が目を見開いた。
「……空かよ、兄者」
元親はふんと鼻を鳴らした。
「ふん、やっぱりじゃ。
芋粥め、よう考えちゅう。
まぁええ。目的は達したき」
元親は振り返り、三の曲輪を占拠した一領具足へ声を張り上げた。
「全軍、撤収じゃ!もう用はないき!
儂らぁは三月になりゃ田を耕さにゃならんがぞ。
忙しゅうて、こんな城――端から要らんわ。
芋兵ども、欲しゅうなった時に、またもらいに来るき。
それまでに、よう磨いちょけぇ!!」
「おぉぉぉぉ!!」
土佐勢の雄叫びが、岸和田の空に響き渡った。
*
元親の狙いは、岸和田城ではなく――雷神巨砲の“箱”だった。
この箱は芋粥にとってはただの空箱。
だが、反織田勢からすれば恐怖の象徴であり、「織田は巨砲を持っている」という噂を支える根拠だった。
松浦は三日間の激戦で疲弊し、長宗我部の異様な強さに意識を奪われていた。
その結果――
この箱の存在を、守るべき重要物として扱うことを失念してしまった。
それが、岸和田防衛における最大の失策となる。
そして元親の目的は、見事に果たされた。
「芋粥よ、この箱……わしが好き勝手使わせてもらうき。
わしの猿知恵は、ここからが本番じゃ!」
元親は、崩れた箱の残骸へ顎を向けた。
「板一枚、金具一つ残すな。すべて持ち帰るがじゃ」
一領具足たちは割れた外板を担ぎ、梁を肩へ載せ、地面へ飛び散った釘や金具まで拾い集めた。
原形を失った巨大な箱は、幾つもの荷へ分けられ、土佐勢の隊列の中央へ運ばれていく。
その様子は、二の曲輪からもはっきり見えた。
まるで討ち取った敵将の首を掲げるように、長宗我部軍は箱の残骸を戦利品として誇示していた。




