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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十四章 織田家宿老編

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第二百三十話 伊賀の力

伊賀上忍家が動く――

その決定が下った翌日から、摂津の空気は目に見えて変わった。


五月の終わり、兵庫津へ向かう街道。

人の往来はいつも通りだが、どこか“見られている”ような気がする。

それは国人衆の錯覚ではない。


伊賀百地家の潜伏網が、摂津一帯に張り巡らされたのだ。


ある国人の屋敷。

多聞衆の密使が夜半に忍び込み、離反の条件を囁こうとした瞬間――庭の闇が、ふっと揺れた。


密使は気づかない。

だが、伊賀の忍びはすでに屋根裏に潜んでいた。


翌朝、国人は庭先の松の枝が一本だけ、綺麗に切り落とされているのを見つけた。

そして切り落とされた枝は、一枚の紙を刺し貫いて地面に落ちていた。


その紙には昨日訪れた商人――多聞衆の密使――の名が記されていた。


“織田は見ているぞ”


そう告げているようなものだった。

誰も傷ついていない。だが、国人は震えた。


「……う、迂闊には動けぬ」


身構える国人を前にして、多聞衆はその日のうちに屋敷から退いた。

伊賀は一度も刃を交えていない。



ターン!


人気のない川沿いの道を歩いていた多聞衆の商人が頭を撃ち抜かれて川に落ち、流されていく。

目立たない襤褸服を着た黒鬼兵が向かいの木の陰にいた。


すぐに鉄砲を襤褸の中に隠して、何事もなかったかのように歩き出した。

その周囲には、この辺りでは見かけぬ物乞いが、互いに距離を置いて何人も座っていた。


紀伊で雑賀から味わわされた狙撃の恐怖を――今度は多聞衆に味わわせようとしていた。



多聞衆は流言を得手とする。

だが、その流言が広まる前に、藤林家の忍びが“逆流言”を流す。


「松永弾正は兵庫津を狙っているらしい」


という噂が流れれば、


「いや、弾正は摂津の国人を信用していない」


という噂が同時に流れる。


多聞衆の流言は、広まる前に必ず“別の噂”に飲み込まれた。


摂津の空気は揺れない。

国人衆は動かない。



兵庫津の裏手。

倉庫街の影に潜む多聞衆の一隊。


その気配を、服部家の忍びは一日で嗅ぎつけた。


「ここだ」


服部家の忍びは動かない。

ただ、白鬼軍団へ密かに合図を送る。


白鬼兵は遠距離から狙撃姿勢を取った。


夜半――

倉庫の壁に、乾いた銃声が何発も響いた。


多聞衆の密使たちが同時に倒れた。

白鬼兵はすぐに姿を消す。


翌朝、倉庫街の人々はただ「物盗りが撃たれたらしい」と噂するだけだった。


これだけではない。

すでに連絡の途絶えた者、行方の分からぬ者も多数いた。

多聞衆は、自分たちが狙われていることを悟る。



一週間もすると、多聞衆は動きの自由さえも失いつつあった。


多聞衆が国人屋敷に近づけば、屋根の上に伊賀の影がある。


多聞衆が流言を流せば、藤林家が即座に逆流言を流す。


多聞衆が兵庫津に潜れば、服部家が潜伏地点を洗い出す。


多聞衆が密使を送れば、白鬼兵が遠距離から“密使だけ”を撃ち抜く。


――伊賀は我らを見ている。動けば、必ず止められる。

多聞衆の間には、そんな恐怖が広がり始めていた。



二週間後。


摂津の国人衆は誰も動かない。

兵庫津は静まり返り、補給線は守られたまま。

流言は広まらず、国人離反も起きない。


多聞衆は焦り始める。


「このままでは弾正様の策が……」


だが、動けば必ず伊賀に見つかる。

そして白鬼兵の狙撃が飛ぶ。


とはいえ、潜むにしても一か所に留まることすら許されない。

どうやって探ったか、多聞衆の隠れ家が伊賀に見つかった。


伊賀忍びが廃屋となった国人屋敷を三重に包囲し、そこへ村瀬新陰流の印可を持つ赤鬼兵が一斉に突入した。

屋敷には、多聞衆十名ほどが潜んでいた。


さすがの多聞衆も武を誇る芋粥赤鬼兵の前に抵抗もままならず、斬り伏せられていった。



六月の終わり。


約束の期限がきたことで、伊賀上忍三家の忍びは、一斉に姿をくらました。

その後は綾芽率いる芋粥伊賀忍軍が再び多聞衆と対峙したが、既に多聞衆の弱体化は著しく十分に対処できた。


多聞衆による国人工作、流言、兵庫津撹乱は、白鬼・黒鬼兵によってほぼ壊滅した状態だった。

潜伏先は服部家によって、ほとんどが明らかにされており、多聞衆は潜む場所もなかった。


結果として、松永は摂津で何一つ為せなかった。

伊賀は大軍を動かしたわけではない。

表立って戦を起こしたわけでもない。

ただ、多聞衆の手を一つずつ止めただけだった。


そして綾芽は、静かに呟いた。


「……伊賀は、天下一の忍びにございます」


その言葉は、誰に向けたものでもなかった。

ただ、摂津の静けさがそれを肯定していた。


そんな中、サンパイオ商会から詫びと共に連絡が入る。


『なかなか苦戦しており、今はまだ半分しか調達が完了していない。

 全てを揃えるためにはあと一ヵ月を要する』


元々難しい調達ではあった。

本来ならこの追加の一ヵ月は大きな痛手になる恐れもあった。

だが、多聞衆が弱体化した今は、十分に持ちこたえられるだろう。


ロレンソ支配人は明姫を前に気を良くして、三十日で調達すると大口を叩いたわけだ。

もし当初から冷静に六十日かかると見積もっていたとしたら……伊賀上忍軍が二ヵ月にもわたって協力してくれたかは定かではない。


結果として、ロレンソが三十日と大口を叩いたからこそ、伊賀上忍家にも「一か月だけ」と協力を求めることができた。

まさに怪我の功名であった。


七月も終わりに近づき、サンパイオ商会から、遅ればせながら上物の大砲と弾薬をすべて調達したとの報告があった。

八月初旬には、信貴山城攻めに南蛮大砲が配備されるだろう。



摂津は、異様なほど静かだった。


国人衆は誰一人として動かず、兵庫津は平穏を保ち、毛利も長宗我部も海の向こうで沈黙を守る。


本願寺は自らの防衛に手いっぱいで、大和へは目が向いていない。


盤面の全ての動きが――芋粥家によって狂わされていた。


その報せを受けた松永弾正久秀は、信貴山城の奥の間で、久通を前にして怒りを露わにした。


久秀は机を拳で叩いた。硯が跳ね、墨がこぼれる。


「……何だ、この有様は」


久通は膝をつき、頭を垂れたまま答えられない。


久秀の声は、低く、震えていた。


「多聞衆との繋ぎが途絶えたと申すか。

 摂津の国人は誰一人として揺らがぬと申すか。

 兵庫津も、毛利も、長宗我部も……皆、石のように動かぬと申すか」


久通は唇を噛んだ。


「……はっ。

 芋粥によって伊賀の全てが動いたと……多聞衆の最後の繋ぎで報告がありました」


久秀はゆっくりと立ち上がった。

その動きは静かだが、怒気が部屋を満たす。


「伊賀が……伊賀が、我らを封じておると?」


久通は震えながら答えた。


「はい……。

 潜伏すれば見つかって襲撃され、流言を流せば逆流言が返り、密使を送れば狙撃され……。

 摂津で何一つ事を為せておりませぬ。


 ――おそらく、多聞衆は壊滅致しました」


久秀は笑った。

だが、その笑いは怒りの底から湧き上がるものだった。


「ふ……ふふ……

 またしても芋粥か。

 あの芋粥が、ここまで盤面を狂わせるか」


久通は頭を下げたまま、身を縮めた。


久秀は机の上の地図を睨みつけた。

摂津、大和、伊賀――

どこへ手を伸ばしても、芋粥が先回りして道を塞いでいる。


久秀は拳を握りしめた。


「……全て、芋粥のせいだ」


久通は震えながら言葉を絞り出した。


「父上……、いかが致しましょうか?」


久秀はゆっくりと久通を見下ろした。

その目は怒りではなく、冷たい光を宿していた。


「久通。

 この数ヶ月、我らは芋粥に踊らされた。

 伊賀に封じられ、多聞衆は影も形もなくなった」


久通は息を呑む。


久秀は吐き捨てるように言った。


「――腹立たしい。

 ただただ、腹立たしいわ」


久通は頭を垂れたまま、震える声で答えた。


「申し訳ございませぬ……」


久秀は手を振った。


「よい。

 これはお前の失策ではない。

 儂があの芋粥を侮ったのだ」


久秀は地図を睨みつけたまま、低く呟いた。


「芋粥……

 その首、この手で捻り斬らずにおくものか!」


その声は、怒りでも悔しさでもなく――

戦国の武将が本気で敵を認めた時の、静かな殺意だった。


「まだぞ!まだ負けてはおらぬ!

 毛利と長宗我部はこの農繁期が終われば必ず駆け付けよう。

 

 何も変わっておらぬ。

 一年でも二年でも籠ってやる!」

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― 新着の感想 ―
松永さんの決意は次話で即落ち二コマとなるのであった…合掌
三介様にちょっと撃たない?お誘いからの、使い終わった大砲売却なんかはどうなんだ?
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