第二百二十八話 明の大商い
長政がサンパイオ商会との会談に向けて、伊勢から運ばせる物品の一覧を、明へ差し出した。
「とりあえず会談に向けて必要な物は、これで良いか?」
長政は明の表情をうかがいながら言った。
「これらは急いで運ばせる。我らは先に堺に向かおうか?」
明は紙を受け取ると、しばらく黙り込んだ。
内容を確認しているようで、どこか遠くを見つめている。
やがて、その瞳の奥にふっと光が宿った。
「……長政様」
明は顔を上げた。
「やはり私たちも一度、伊勢に戻りましょう。私に策があります。
松之助叔父上に一度お会いします」
長政は驚きに眉を寄せた。
「策?千種屋か?堺支店ではできぬことか?」
明ははっきりと頷いた。
「はい。千種屋を巻き込む“大商い”をロレンソ様に仕掛けます」
「大商い……?」
長政は思わず言葉を繰り返した。
明の声には、いつもの柔らかさではなく、確かな熱があった。
「はい……上手くいくか自信はありませんが。
……叔父上に一度相談したいのです」
長政は短く息を吐き、そして静かに頷いた。
「……分かった。明に任せると決めたのだ。私はそれを支える。
急ぎ伊勢に向かおう」
*
伊勢へ戻ると、長政は明から頼まれた物資の準備に取りかかった。
兵站の帳場は朝から人が出入りし、荷札の声が絶えない。
その一方で、明は悠と松之助と急遽会談を開いた。
秀政からの指示と、自ら思いついた策をその場で二人へ打ち明けた。
明の口から語られた内容に、お悠も松之助も目を丸くした。
三人の前には、明が「大商い」と呼んだ商材が一つずつ置かれている。
それは、普段なら誰も気に留めない“捨て値の品”と南蛮珍品だった。
お悠はそれを手に取り、驚きと感心が入り混じった声を漏らした。
「この策を本当に貴女が一人で考えたの?」
明は少し照れながらも、真っ直ぐに答えた。
「はい。上手くいきますでしょうか?」
お悠は柔らかく微笑んだ。
「えぇ、見事な考えです。
弥八様がいつも言われる“うぃんうぃん”ですね」
「はい! 母様にそう言っていただけると自信が付きます!」
松之助は商材を手に取り、まじまじと眺めた。
「千種屋としても大歓迎です。
まさか捨て値で出回るこれを宝に変えるとは……」
彼は感嘆の息を漏らし、続けた。
「我々としても金の生る木を得るようなもの。
是非お願いしたいくらいです。
明姫様、調達と販路はお任せください。
初期投資も千種屋で受け持ちます」
「叔父上様、ありがとうございます!」
明はぱっと顔を明るくした。
「つきましては見本としていくつかを手土産に持っていきたいのですが、これをご用意いただけますか?」
松之助は力強く頷いた。
「早急にご用意いたします。三日お待ちください。
しかし、よく気づかれましたな」
明は少し照れながら答えた。
「はい、女子ならではと思います。
実は“これ”を最も気に入ったのは蘭なのです。
“これを売れば千種屋は大儲けできるのに”と。
蘭の言葉がこの策を思いつかせました。
それに私も“これ”は今後も使いたいと思いましたゆえに」
松之助は目を細め、深く頷いた。
「なるほど……蘭姫様の目利きですか。これはこれは。
将来の千種屋女将として、これほど頼もしいことはありませんな。
姉上、千種屋のために一日でも輿入れを早めてください」
戯れめかして言う松之助に、お悠は肩をすくめて笑った。
「まぁ……それはできませんよ。
弥八様は一日でも遅くしようとなさってますからね」
三人はしばし笑い合い、場の空気が柔らかくほどけた。
やがて明が再び口を開いた。
「そして、長政様と堺見物した際、南蛮人が高値で“これ”を買いあさっているのを見ました。
この宝と、この捨て値が交換できると考えたのです」
松之助は深く頷いた。
「お見事にございます。では準備はお任せください。
堺支店には私の方から事前に手配しておきます」
「ありがとうございます!」
*
明が長政の元へ戻ってきた。
その顔には、先ほどまでの不安はなく、確かな自信が宿っていた。
長政はその表情を見て、自然と笑みを浮かべた。
「明、どうやら上手くいったようだな。
あとは堺のサンパイオ商会か?」
「はいっ!」
明の声は弾み、伊勢の空気が少しだけ明るくなったように感じられた。
*
数日後、明たちは千種屋が手配した荷を伴い、急ぎ堺へ向かった。
伊勢からの道は長いが、明の胸には策が形を成しつつあり、疲れよりも期待が勝っていた。
堺に到着すると、千種屋支店の者たちが温かく迎え入れ、数日間は旅の疲れを癒すために滞在した。
その間に荷の整理と段取りを整え、いよいよサンパイオ商会との会談の日が訪れた。
*
サンパイオ商会の屋敷に足を踏み入れると、入り口にはロレンソ支配人が両手を広げて待ち構えていた。
「これはこれはー。ようこーそおいで下さいまーした、メイヒメ様」
明は柔らかな笑みを浮かべて一礼した。
「本日はお忙しい中、お時間を頂きましてありがとうございます」
ロレンソは胸に手を当て、誇らしげに言った。
「いえいーえ、イモガユ様の princesaをお迎えすることよーり優先する仕事はありまーせん」
「ありがとうございます。それにしても日本語がお上手ですね」
「はーい、イモガユ様やチクサヤさんと仲良くするため日本語覚えまーした。どうぞ、中へ」
明たちは案内され、商会の奥へと進む。
南蛮の香油の匂いがほのかに漂い、異国の空気が肌に触れた。
「ロレンソ様、こちらは夫の長政です」
ロレンソは目を丸くし、すぐに笑顔を広げた。
「あぁ、あなたがイモガユ様の príncipe、ナガマサ様でーすね。
以後よろしくお願いしまーす」
長政は丁寧に頭を下げた。
「はい、こちらこそお見知りおきを」
明は長政のラフ襟付きの南蛮服を指さした。
「これはロレンソ様に以前に頂いた服です。とても気に入っておりますの」
ロレンソは嬉しそうに目を細めた。
「そうですかー。よくお似合いです。喜んでもらえて嬉しーいです」
そのまま奥の部屋へ通され、中央の机を挟んで向かい合って座った。
*
明は静かに口を開いた。
「昨年ロレンソ様が父様に贈って下さいました“しゃぼん(石鹸)”なるもの、とてもよかったです。
この髪も、しゃぼんで洗ってまいりました」
ロレンソは目を見開き、感心したように頷いた。
「喜んでいただけてよかったです。
それはまだ日本には数えるほどしか入ってなーい希少なもーのですよ」
長政が驚いたように明を見た。
「な、なるほど……先ほどから明より良い香りがすると思っていたが……」
明は髪を指先で軽くすくい、さらりと流れる感触を示した。
「良い香りだけではありません。余計なべたつきが取れて、手触りが滑らかになります。
ロレンソ様、これは市中では高価すぎて売れませぬが、武家では必ず流行します。
千種屋が大量発注した場合、仕入れて頂くことはできますか?」
ロレンソは腕を組み、少し考えるように首を傾けた。
「はい、仕入れることはできまーすが……元より希少で値が張りますよ」
明は微笑み、静かに言った。
「ロレンソ様、私は常々父様より言われております。うぃんうぃんと」
「Win-Winとは?」
「あら?南蛮言葉と聞いておりましたが……ご存知ありませんか?
双方が得をするということです。
ロレンソ様も儲かり、私達も儲かる嬉しいお話を持ってきました」
ロレンソは身を乗り出した。
「儲かる話は大好ーきです。お聞きしてーも?」
明は頷き、用意していた包みを開いた。
「はい。私達はしゃぼんを大量に手に入れることが出来れば、千種屋はそれを全国の大名家に売って儲かります。
そしてサンパイオ商会も、しゃぼんの代金で儲けることが出来ます。
つまり――芋粥はしゃぼん二個の代金として日本刀をお渡しします。
香料入りのしゃぼんであれば、一個の代金として日本刀をお渡しします」
明は松之助に用意させた十振りの刀を机の上に並べた。
刃は軍用のなまくら刀だが、拵えだけは名刀のように豪華に飾り立ててある。
一本あたり銀十五匁(およそ六万円相当)――それが南蛮では三倍の値でも売れる珍品だ。
ロレンソは目を輝かせた。
「そのespadaをですか?
それは南蛮では宝飾品にもなって高く売れまーす。
大歓迎です。ですがメイヒメ様の方が割に合わないと思いまーすが?」
明は首を横に振った。
「もちろん、私達も得させていただきます。
刀にも高価な物や安価な物があります。
質を落とした物を大量に生産すれば、安く、数も安定して揃えられます。
それを拵えだけ名刀のように飾れば良いのです」
明は心の中でそっと呟いた。
(日本では売れないようななまくら刀の再利用です)
ロレンソは大きく頷いた。
「質が落ちても大歓迎です。
我が国ではそのespadaは珍品です。実際に戦場では使いません」
明が笑みを見せると、ロレンソは愉快そうに声を上げた。
「ヒデマサ様も日本一の reiと思っておりましたが、
メイヒメ様も日本一の princesa ですね、はっはっは」
石鹸は腐らず、軽く、場所も取らない。
希少ではあるが、日本刀との大量交換であれば商会としても運んで損はない。
ロレンソの笑いは、商談が完全に成立したことを示していた。
明は姿勢を正し、静かに続けた。
「ありがとうございます。つきましてはもう一点、無理を言うことになりますが……
特別に急ぎの仕入れをお願いしたいのです」
ロレンソは胸に手を当て、誇らしげに言った。
「はい、私は麗しき princesa の忠実な下僕です。何なりと」
明は息を整え、はっきりと告げた。
「南蛮大砲六門と、九十発分の弾薬を至急納入していただきたいのです」
ロレンソは一瞬だけ目を見開き、すぐに深く頷いた。
「おぉう、なかなか難しい注文ですね。
ですが、イモガユ様のため、メイヒメ様のため――三十日で揃えます。
在庫はそれほどありませーん。ですが母国の船団にも声をかけて、予備を買い取って集めます」
明は深く頭を下げた。
「ありがとうございます。三十日でご用意いただけるのならば、ありがたい限りです」
ロレンソは胸を張り、力強く言った。
「はい、我々は女性の頼みは無下にしません。お任せを!」
その言葉に、明は静かに微笑んだ。
明の“調達戦”は完成した。




