第二百二十七話 夫婦の絆
「俺の策は……。ん?待て、政親。
お前はしたり顔でおるが、策があるのか?」
突然の問いに、政親は一瞬だけ困ったように眉を寄せた。
だがすぐにいつもの落ち着いた調子へ戻る。
「え?私ですか?あるにはありますよ。
おそらくですが義兄上が考えているものと一致していると思います」
秀政は口元をわずかに吊り上げた。
「ほぉ、面白い。聞かせてみよ」
政親は姿勢を正し、淡々と語り始めた。
「若の策は正攻法ですが、時間がかかります。
そして、此度は時間が敵に味方します。
きつい言い方になりますが――下策です」
長政は自分の案を思い返し、少し考え込んだ。
やがて、もっともだと悟ったのか、気落ちしたような顔で静かに頷いた。
政親は視線を鷺山へ移し、容赦なく言葉を重ねる。
「鷺山の策も上策に見えますが、実に甘い。
松永殿は情報戦、心理戦において名人と言えます。
すでに多聞衆が相当な活動をしておりましょう。
この手の情報戦は先手を打った者が有利です。
今更、噂を仕掛けた所で返されて終わりです。
場合によっては、当方が嵌められます。――下策も下策です」
鷺山は肩をびくりと震わせ、思わず声を上げた。
「むむむぅぅ……おい松。
お前は正しいが、少しは手心を加えよ。
そんな正論で潰されると立ち直れぬわ!」
政親は苦笑し、少しだけ声を和らげた。
「はは、それはすまなかった。
いやいや、なかなか良い策だった」
鷺山は机を軽く叩きながら抗議する。
「良い策で、下策も下策かよ!」
政親は肩をすくめた。
「やれやれ。手心を加えよと言うたのはお前だろう。面倒くさい奴だな。
……まぁ、良いでしょう。
この状況で義兄上が考えるならば――」
秀政は政親の次の言葉を待ちながら、わずかに身を乗り出した。
その張りつめた状況の中、政親は静かに告げた。
「銭袋で殴る――違いますか?」
その一言で、陣屋の空気が変わった。
秀政は言い当てられて、額に手を置いた。
長政と鷺山が、同時に目を見開いた。
政親は確信を込めて続ける。
「義兄上が筒井城を一夜で吹き飛ばしたあの策を今回も実行します。
ここ、大和と聞いた時点で、すぐに思い出しました。
そうですね。
今回は更地にする気はありませぬので、以前のように仏罰二百七十発も撃ち込む必要はないでしょう。
南蛮大砲六門を二門ずつ三段に分け、各門十五発。計九十発も撃てば、信貴山は一夜で終わりましょう。
ただ、この方法は準備に時間がかかるので、しばらくは包囲が続きます。
その間は茶器を手に入れるために開城交渉を続けるしかありますまい」
秀政は、苦笑ともため息ともつかぬ息を吐いた。
「政親、俺が言うことが何もなくなったではないか。
お前は本当に可愛げがないな」
軽口を叩きながらも内心で唸った。
(……こいつは底が知れぬな。
俺の策はお見通しか)
政親は思わず身を乗り出した。
「な!?ご無体な。
義兄上が言えと申されたのですよ?」
秀政は肩を竦め、わざとらしく嘆息した。
「それでも上を立てて、分からぬふりをするならば可愛げがあろうものを」
鷺山が、待ってましたとばかりに口を挟む。
「そうだぞ、松。
俺の様に全てを悟りながらも馬鹿を装う。
これが可愛い部下というものだ」
政親は即座に切り捨てた。
「お前は何も分かってなかっただろうに」
陣屋の中に、短い笑いが広がる。
だが、その笑いの底には、南蛮大砲九十発という現実の重さが沈んでいた。
秀政は、笑みを消し、静かに言葉を続けた。
「まぁ、その通りだ。今回は一刻でも早く鎮圧せねばならん。
時間が経てば、摂津が崩れる。
摂津が崩れればこの大和も崩れる。
そしてそれは織田の崩壊の始まりだ。
準備に時間がかかると言うたが、急がば回れとも言う。
実はこれが一番早い。
松永にはあの夜の種明かしを、自らの身をもって知らしめてやろう」
長政は、自分の策を思い返しながら、悔しさと納得をないまぜにした顔で呟いた。
「私もまだまだ至りませんね……その手がありましたか」
秀政は長政へ視線を向け、穏やかに言った。
「長政、お前の策も間違ってはおらん。
正攻法こそが最も安全に確実に攻め取れることも多い。
奇策とは裏を返せば博打に近い。
お前にはお前の良さがある。腐るな」
そして、秀政は鷺山へ視線を移した。
「ところで、全てを悟った鷺山。
この策において、調達以外に今すぐ我らが対処すべきことは何か?」
鷺山は肩をすくめ、苦笑混じりに返した。
「と、殿。
あまり意地悪いことを言っておりますと、松のように捻くれた性根になりますぞ」
秀政は喉の奥で笑い、すぐに真顔へ戻った。
「ははは。そうだな」
政親がわずかに咳払いをした。
「……義兄上」
秀政は軽く頷き、話を本筋へ戻した。
「先ほど言った通り、この戦いは一刻を争う。
だが、準備にも時間がかかる。
なれば、その間には松永の情報戦に対抗せねばならん。
大和を落としても摂津を奪われては、織田にとって壊滅的だ」
秀政は鷺山へ向き直り、声を少しだけ低くした。
「鷺山、伊賀忍びを貸す。
摂津における多聞衆の情報戦を可能な限り妨害せよ。
お前には綾芽が付いている。
白鬼くノ一隊も使ってよいぞ。
これも学びと思ってやり遂げてみせよ」
鷺山は背筋を伸ばし、真剣な顔で頭を下げた。
「はっ。やり遂げまする」
秀政は、今度は長政へ視線を移した。
「長政、一日でも早く南蛮大砲六門と砲弾・火薬九十発を集めよ。
“短期で効率よく”だ。
その方法はよく考えよ。お前には明が付いている」
長政は拳を握り、力強く答えた。
「はっ、お任せください」
秀政が笑顔を二人に向ける。
「俺にはお悠がいる。随分助けられた。
今、俺のこの立場はお悠のおかげだ。
女子と馬鹿にするな。
元来、夫婦とは助け合い、支え合うものだ。
お前達にも立派な女丈夫が付いている。
時には頼れ」
「「は!」」
信貴山の山風が陣屋を揺らし、
銭袋で殴る戦の再現――南蛮大砲九十発による一夜の信貴山攻めが、静かに動き始めていた。
*
秀政から命を受けた長政は、すぐに兵站の帳場へ戻り、明を呼び寄せた。
明は駆けつけるなり、長政から状況を聞いて、粗方を察した。
「……此度は急ぎですね」
長政は頷いた。
「南蛮大砲六門、砲弾と火薬九十発。
“短期で効率よく”だと義父上は言われた」
明は机の上の帳簿を開き、指で素早く数字を追った。
その目は、戦場の兵よりも鋭く、確実に“物の流れ”を捉えていた。
「急ぐ場合は、値段が跳ね上がります。
でも、跳ね上がる幅を抑えることはできます」
長政は静かに息を吐いた。
「……頼りにしている」
明は微笑んだ。
「長政様が私を信じて任せてくださるから、私は働けるのです」
その言葉は、秀政が言った「夫婦の絆」をそのまま体現していた。
明は地図を広げ、摂津・堺・兵庫の商業地を指でなぞる。
「火薬は堺、砲弾は鋳物師、南蛮大砲はサンパイオ商会。
サンパイオ商会はともかく、火薬も砲弾も今は本願寺の影響が強い。
正面から行けば高くつきます」
長政は眉を寄せた。
「では、どうする?」
「一択です。
サンパイオ商会を頼ります。
支配人のロレンソ・メネセス殿は父様と盟友です。
きっと動いてくださいます。
長政様も一緒に堺の千種屋支店へ向かいましょう。
ロレンソ殿からいただいた、あのラフ襟の装束も運ばせます。
会見の際は着てください」
「あ、あれをか。
承知した。手配しよう。堺へ向かう準備もしてくれ」
「はい!」
長政は深く頷いた。
「……明。
お前がいてくれて、本当に助かる」
明は少し照れたように笑った。
「夫婦は支え合うものです。
長政様が戦うなら、私は物を動かします」
*
同じ頃、鷺山は陣屋の裏手で綾芽を呼び止めていた。
伊賀忍びの血を引く綾芽は、すでに状況を理解していた。
「殿は……多聞衆の妨害を、と」
鷺山は頷いた。
「摂津が揺れている。
松永殿は噂を武器にしている。
その噂を断つのが我らの役目だ」
綾芽は静かに言った。
「伊賀は“噂の流れ”を読むのが得意です。
多聞衆がどこで動いているかも、おおよそ掴めます」
鷺山は目を細めた。
「……頼もしいな」
綾芽は少しだけ視線を逸らした。
「私は浅野家の娘。
忍び働きは任せてください」
鷺山は苦笑した。
「いや、綾芽。
お前がいてくれるから、俺は動ける」
綾芽はその言葉にわずかに頬を染めた。
「多聞衆は摂津の商人筋と国人筋を使います。
噂を流し、国人を揺らし、兵庫津を動かす。
その流れを断てば、松永殿は孤立します」
鷺山は頷いた。
「では、どう動く?」
綾芽は地図を広げ、摂津の街道を指でなぞった。
「まず、尼崎と兵庫の商人筋を押さえます。
次に、池田殿の家中へ“逆の噂”を流します。
最後に、多聞衆の連絡役を断ちます」
鷺山は息を呑んだ。
「……それは、できるのか?」
綾芽ははっきりと頷いた。
「白鬼くノ一隊がいます。伊賀の忍びがいます。
多聞衆は強敵です。
ですが、負ける訳には参りませぬ。
決して、あなたに恥はかかせませぬ」
鷺山は綾芽の肩に手を置いた。
「……綾芽。
お前は本当に頼りになる」
綾芽は小さく頷いた。
こうして、二組の夫婦によって、“調達戦”、“情報戦”が開始した。




