第二百二十五話 大和の激震
三日後、鈴鹿館の大広間には、芋粥家の主だった武官が勢揃いしていた。
冬の名残とは裏腹に集う諸将の熱気は激しい。
宿老となって初めて開く軍議だ。
秀政が軍団長として、芋粥の力をいかんなく発揮できる。
諸将が奮わないわけがなかった。
「四国方面軍の編成は、先の本願寺攻めと同じとする」
秀政は上座に座し、政親、長政をはじめとする諸将が秀政の説明に聞き入る。
秀政の言葉に、諸将が静かに頷いた。
ほぼ去年の出陣と同じ顔触れである。
だが一つの違い、それは白鬼兵団長・綾芽。
浅野清隆の次女にして、鷺山の妻。
白鬼兵を率いる彼女が、今回の遠征に副将として参陣する。
綾芽は静かに座していたが、その背筋は弓のようにしなやかで、戦場に立つ者の気迫を纏っていた。
秀政は地図を広げ、指で道筋を示す。
「三月十五日に伊勢を発つ。
途中で関盛信・一政父子と合流し、四月には岸和田へ入る。
松浦肥後守信俊が待っている」
政親が頷く。
「伊勢は浅野殿が守ります。
政務は新体制で滞りなく進めましょう」
秀政は静かに言った。
「後顧の憂いは断った。
芋粥軍は四国へ向かう」
その言葉は、軍議の場にいる全員の胸に重く響いた。
*
その頃――摂津・花隈城。
松永久秀は、佐久間信盛の軍団に合流していた。
本願寺攻めの副将として、松永は招聘された。
だが松永の胸には、別の火が灯っていた。
信長は松永に密かに告げていた。
――本願寺を落としたのち、摂津を平らげ、信孝を大和から摂津へ転封する。
その際、松永弾正の働き次第で、大和一国を与える。
(大和が戻る……!
儂の居場所が織田家に残る……!)
松永の胸に強い闘志が宿った。
彼は戦略眼、地理知識、政治感覚に優れた、戦国最高クラスの軍略家である。
次々と佐久間へ有益な案を提案した。
「右衛門殿、石山を攻めるより先に、大物浜と兵庫津を押さえて兵糧道を断つべきにござる」
本願寺の補給は兵庫から大坂へ、海路を通して運ばれる。
毛利水軍が虎王丸のいない兵庫へ兵糧を送り込む。
手札を封じられた毛利にとって、兵庫を押さえられると本願寺は干上がる。
摂津の地理を知り尽くす松永は、この補給線を断つことが最優先と判断した。
だが佐久間は首を振った。
「兵庫は毛利が強い。無理じゃ」
松永は内心で舌打ちした。
(兵站を断てば勝てる戦を……)
それでも諦めず、次の策を出す。
「池田知正を本願寺から引き剥がすのは如何か?
池田殿は本願寺に恩義はあれど、織田に背くほどの覚悟はござらぬ。
摂津の一部を与えると囁けば動きましょう。
いや、池田殿が本願寺を裏切ったと噂を流せば、本願寺は池田殿を疑い、摂津は崩れまする。
こちらの方が手っ取り早いですな」
摂津の国人は噂に弱い。
松永はそれを熟知していた。
だが佐久間は国人を信用していない。
また、調略や兵站戦、噂による流言を軽視している。
そして池田の重要性も理解していない。
佐久間はまたも否定した。
「池田は信用ならぬ。放っておけ」
(戦を知らぬ男め……)
松永の苛立ちは募る。
さらに松永は水軍戦の策を出した。
「兵庫湾にて毛利水軍を夜襲すれば、
本願寺への補給は止まりまする」
松永は夜襲の名手、水軍も扱える。
兵庫湾は潮流が複雑だが、松永は熟知している。
だが佐久間は言い放った。
「水軍戦は九鬼に任せればよい」
(九鬼は志摩の海の男であって、摂津の潮は知らぬ!)
松永は叫びたくなる衝動を抑えた。
佐久間は続けた。
「焦るな、弾正。
今年こそ必ず本願寺を落とす。
まもなく荒木が落ちて日向守も戻る。
そこが勝負所よ」
その言葉を聞いた瞬間、松永の心が折れた。
(右衛門の下では摂津は取れぬ。
摂津が取れねば大和も戻らぬ。
ならば儂は織田家の端で死ぬだけよ)
松永は軍備を整えるとの名目で、信貴山城へ戻った。
しばらくして――安国寺恵瓊が極秘裏に松永を訪れた。
「松永殿、大和を守りたいのであろう。
織田にいては大和は戻りませぬぞ。
逆にこのまま本願寺が落ちねば、佐久間も松永殿も信長に見限られましょうな。
そうなれば松永殿は大和を召し上げられるやもしれません。
ならばいっそのこと、織田に背き、大和を自力で取り戻されてはいかがか?
毛利と本願寺がその後ろ盾となりましょう」
松永は黙って聞いた。
先日の佐久間との会談で、すでに佐久間を見限っていた。
恵瓊は続けた。
「摂津から織田を追い払えば、毛利と長宗我部の軍は大和を襲います。
そうなれば織田は大和からも、逃げ出すことになりましょう。
大和は松永殿のものとなる。
毛利はその約束を違えぬ」
松永は静かに目を閉じた。
(今のままでは儂は織田家で朽ちて死ぬ。
ならば儂の国を守るために立ち上がろう)
松永久秀は黙って頷いた。
それは――大和の激震を意味する。
*
そんなことは露知らず。
芋粥軍は堂々と伊勢を発した。
伊勢から関を抜け、大和国境を通って摂津南部、岸和田へ向かう予定だった。
大和国境行軍中に、岸和田の松浦から早馬がとんだ。
「松永久秀、謀反」
芋粥陣中に衝撃が走る。
長政が小さく呟いた。
「また松永殿にかき回されるのですか……」
*
その後、秀政も伊賀忍者を放ち、状況把握に努めた。
だが、その結果が訪れるよりも前に織田信長からの文が秀政本陣に届いた。
『上意。
伊勢守秀政、
四国攻伐之儀、当初の沙汰の通り其方に任せ置き候へども、
信貴山松永弾正、近年の働きに背き、
今また不穏の挙動顕著に候。
一、
四国渡海の儀、暫時これを止め置くべし。
まず大和の乱端を鎮め、
信貴山の松永弾正を討ち果たすを急務とす。
一、
弾正、平蜘蛛茶入を献上し、
その身を以て忠節を示すならば、
一命のみは赦す余地これあり。
然れども、城を捨てず、器を献ぜずば、
速やかに攻め崩し、首級を以て天下に示すべし。
右の旨、既に諸将へも触れ置き候。
其方、軍勢を率い、
摂津南部より信貴山を包囲し、
弾正の去就を見極めるべし。
四国の儀は後日改めて沙汰す。
遅疑あるべからず。
怠慢無きよう心懸けあるべし。』
信長の怒りが籠った文を丁寧に折りたたむと、秀政は困った顔で諸将を見た。
「……四国攻めは延期じゃ。
まずは松永を討てとの命だな」
そんな中、秀政は内心で呟く。
(平蜘蛛を寄越せ、か……歴史は覆らないというわけか)




