第二百十三話 攻めずに攻める
天王寺砦を包囲したその夜。
芋粥軍の陣帳には、秀政・政親・鷺山の三人が集まっていた。
外では七千の兵が静かに息を潜め、明日の攻城に備えている。
鷺山が口を開いた。
「先ほど明智様の使者が参られて……
明日、力攻めを行うとのお達しがありました」
秀政は頷き、苦笑を浮かべた。
「それはそうだろうな。
こちらは佐久間殿の指示を無視して搦手に張り付いている。
いつ撤退命令が出ても不思議ではない。
急ぐ必要があるだろう。他に何を言ってきた?」
鷺山は少し言いにくそうに続けた。
「……我らは“力攻めに全力を尽くす”と」
政親が肩をすくめた。
「そうとしか言えますまい。
“全力を尽くせ”などと言えば、西方軍団に対する越権行為。
しかし明智様としては、こちらが全力を尽くすのは当然だと考えている。
芋粥も全力を尽くせ――そういう意図でしょうね」
少し考えて、秀政は政親を見た。
「よし、此度の戦は政親。
お前が策を立ててみよ。
野戦の力は分かった。
攻城戦でどう動くか、見せてみろ」
政親は苦笑した。
「試されているようで良い気分ではありませんが……仕方ないですね。
元々、私の力を示すつもりではありましたので」
そして、静かに言った。
「では恥ずかしながら、拙策をば。
“全力を尽くせ”と無言の念押しをされたからと言って、素直に全力を尽くすのは馬鹿です」
鷺山が目を丸くした。
「ん? しかしここで全力を尽くさねば、明智様との関係が悪化するぞ?
芋粥も佐久間と変わらんと思われでもしたら、今後やりにくくないか?」
政親は首を振った。
「もちろん、やりにくくなります。
ですが既に芋粥は五十名近い農兵を喪いました。
これ以上の犠牲は避けるべきです。
ですから――
全力は尽くしませんが、全力を尽くす“振り”だけはします」
秀政が眉を上げた。
「振り?」
政親は地図を指で叩いた。
「搦手に七千もの兵が居たら、敵はどう思います?」
鷺山が即答した。
「気が気ではないな。
兵を割らねばならん」
秀政も頷く。
「兵を割らせるのは、明智殿にとっても願ってもないことだろう。
だが、こちらに攻める意志がないと分かれば効果は半減するぞ?」
政親は微笑した。
「はい。だから“全力のふり”をすると申し上げました。
具体的には……鉄砲です。
こちらには黒鬼鉄砲五百、白鬼鉄砲百。
この規模で六百挺の熟練鉄砲隊を揃えているのは芋粥ぐらいでしょう」
秀政は笑った。
「なるほど。言いたいことが分かった」
鷺山が首を傾げる。
「つまり?」
政親ははっきりと言った。
「六百挺で、あらん限り鉄砲を撃ち尽くすのです。
半分の兵は弾を込めなくても良い。
火薬だけ入れた空砲でも構いませぬ。
――鉄砲の音を鳴らし続けるのです」
秀政は膝を叩いた。
「ここは堺に近い。
サンパイオ商会に頼めば火薬の補充は心配いらん。
鉄砲の音だけ聞かせれば、明智軍も本願寺軍も“芋粥が規格外の火力で攻めている”と勘違いするかもしれんな」
政親は頷いた。
「はい。明智軍は焦りましょう。
何だかんだ言っても、この砦は明智様の手で落としたいはずです。
無理攻めに走るでしょう。
本願寺側としても、双方から猛攻を受けるなら、鉄砲で一方的に撃たれるより、明智軍と斬り結んだ方が生存率は高いと考えます」
秀政は呆れたように笑った。
「やはりお前の策はどこか嫌らしいな。
明智殿と本願寺、双方を思い通りに操る。
だが、その策は良い。
搦手の敵は竹盾の後ろから出てこれなくなるだろう。
そしてほとんどの主力を大手門に向ける。
そして、その敵を明智殿が討つ。
手柄は譲ることになるが、元より張りきったところで手柄になるかすら疑問だ。
ならば芋粥が犠牲を出さずに、天王寺砦攻めの功を少しでも分けてもらえれば上々だ。
政親の策でいく」
鷺山も深く頷いた。
「……なるほど。
“攻めずに攻める”か。芋粥らしい戦い方だな」
秀政は立ち上がり、陣帳の外を見た。
「明日は明智殿が正面を破る。
我らは搦手を封じ、逃げ道を断ち、鉄砲の音で敵を縛る。
手柄は明智殿に譲る。
我らは“勝利の条件を整える”だけで良い」
政親は静かに頭を下げた。
(……芋粥は今回、功にはならぬ。
だが政治的にも安全で、犠牲も最小。
佐久間殿の面子も守れる。
そして明智殿の信頼を得られる)
秀政は拳を握った。
「よし。明日は鉄砲の音で天王寺を揺らすぞ」
その夜、芋粥軍七千は静かに眠りについた。
明日の戦は、芋粥にとっては力攻めではない。
だが――芋粥の鉄砲が、戦場の空気を支配する一日となる。
*
翌日、早朝から力攻めが行われた。
芋粥軍は六百挺の鉄砲を三段に分けて間断なく放ち続けた。
実際に弾を詰めているのは各段二十人ほどだ。
半分どころか1割しか戦わない。
それでも二十発が竹盾を揺らし続けるため、本願寺勢は顔を出すこともできなくなった。
実際の戦果とは裏腹に、その轟音は大手門の本願寺勢すら肝を寒からしめ、明智軍は自分たちの功を奪われると感じて焦った。
まさに政親の掌の上で両軍が躍ることになる。
上機嫌で秀政が政親に悪態をついた。
「明智殿もかなりの智将だ。
だが人を舐めた嫌らしい策という意味では政親、お前には及ばなかったようだな」
「酷い言いようですね。
せめて心理を突いた極めて高度な策とでも言ってくだされ」
「ははは、まさにまさに。極めて高度な嫌らしい策だな」
「あくまで褒めるのが嫌なのですな?」
二人はそこで笑いあう。
それと同時に天王寺砦の本丸から明智軍の鬨の声が響いた。
「終わったな。お前の策の通りだ。
火薬代は高くついたが、誰一人犠牲は出ておらぬ。
明智殿に悟られたくない。今すぐ花隈に戻るぞ。
『おめでとうございます。
佐久間殿を慮って早々に撤退させていただく』
そう祝辞だけ伝えておけ」
「は!」
明智軍が戦後処理に奔走している間に、芋粥軍は颯爽と撤退した。
*
花隈へ戻ると、門前に佐久間右衛門が立っていた。
その顔には、叱責とも安堵ともつかぬ複雑な色が浮かんでいる。
秀政は下馬すると、佐久間の元へ慌てて駆け寄った。
すぐに佐久間が口を開く。
「明智が天王寺砦を落とした。
元より軍議で決まった動きである。それについては問題ない。
だが――伊勢守、お前もその戦いに参陣したと聞いたぞ?
どういう了見だ?」
秀政は深々と頭を下げ、あえて困ったような顔を作った。
「佐久間殿、いや実は……荷駄隊が襲われましてな。
救援に入ったところ、逃げる敵を追ううちに
天王寺砦攻めに巻き込まれ申した。
日頃の行いが悪いのか、俺も運が悪いものです。
それよりも!」
秀政は声を強め、佐久間を持ち上げるように言った。
「佐久間殿、早く殿にご報告を。
総大将は佐久間殿なのです。
明智殿と私を差し向けて天王寺砦を落とした――
そうお伝えすれば、殿もお喜びになりましょう」
佐久間の目がわずかに輝いた。
「ん? そ、そうだな……」
秀政はさらに畳みかける。
「それに、計らずも西方軍団は明智殿に大きな貸しを作りました。
今頃は明智殿も、佐久間殿に頭が上がらぬ状況でしょうな」
佐久間は鼻で笑い、満足げに頷いた。
「……なるほど、確かにそうだ。
あの小生意気な爺に恩を売れたのは重畳よ。
うむ、伊勢守、よくやった。
儂はこれより殿にご報告の文を書いてまいる」
「は! 私は少々休ませていただきます。
いやはや、働き損のくたびれもうけでございます」
佐久間は上機嫌のまま、花隈城の奥へと戻っていった。
秀政はその背を見送りながら、内心で息をついた。
(よし……佐久間殿からのお咎めは無しか。一安心だ。
さて、俺も殿に報告の文を書くか。
きちんと功を伝えておかねば、佐久間に功を全て奪われかねないからな)
その通りである。
織田家の体制は複雑だ。
明智は畿内防衛の責任者として、東方軍団長として常に独自に報告を上げている。
芋粥もまた織田家の一角を担う大名であり、自らの戦功は自らの言葉で伝える必要がある。
今回の戦いの報告も、総大将である佐久間からはもちろん、明智や芋粥からも信長へ直接行われる。
こうして――天王寺砦の戦いを記した三通の書状が、それぞれの思惑を乗せて、信長のもとへ届けられることとなった。
一通目、佐久間信盛の報告。
建前としては総大将の功を前面に、明智や芋粥の功にも触れている。
本音としては面目維持を訴える内容だ。
「天王寺砦之儀、
去る廿五日、明智日向守並びに芋粥伊勢守を以て
搦手・正門へ向かはしめ候処
両将力を合わせ、遂に落城仕り候。
此度の働、偏に東方軍団の面目、
また摂津之地の鎮定、急務に候間、
早々御耳へ入れ奉り候。
仍って、
明智・芋粥両将、殊更に忠節顕著に候。
御褒賞の儀、御沙汰次第に候」
二通目、明智光秀の報告。
建前としては東方軍団長としての職務遂行を報告している。
だが本音は佐久間の城に閉じこもった消極性を暗示しつつ、自軍の功を強調するものである。
佐久間殿は動かなかったが、東方軍団、すなわち自分が実質天王寺砦を落とした。
芋粥殿は偶発的に助けてくれたが、功は主にこちらであると言っている。
「天王寺砦之儀、
佐久間殿御在陣の下、
東方軍勢、正門を囲み候処、
敵勢頑強にて、日々攻め口を改め候。
然る処、廿五日、
芋粥伊勢守、兵站之途上にて敵襲を受け、
追撃の末、搦手へ至り候由。
これにより砦内大いに動揺仕り、
正門より攻め寄せ候て、遂に落城仕り候。
此度の勝利、
偏に東方軍団の働、また芋粥勢の助力、誠に大なるものに候」
三通目、芋粥秀政の報告。
建前は巻き込まれただけと記すが、本音は鬼隊の武威を挙げて自軍の働きを事細かに示しつつ、敢えて明智に功を譲っている。
「此度、兵站之荷駄を運送仕る折、
敵、住吉口砦より出でて急襲仕り候。
青鬼勢これを迎へ撃ち、
黒鬼・白鬼之兵、追撃の末、
天王寺搦手へ至り候。
折しも日向守殿、正門にて攻勢を強められ、
敵勢大いに乱れ候間、
我等も其の端を助け奉り、
遂に落城之運びと相成り候。
此度の儀、
偏に日向守殿の御働、
我等は只々、兵站守備の延長にて候」
これに対して、信長は短く、冷たく、核心だけを述べた文を返した。
「天王寺砦之儀、
明智・芋粥両名、よく働き候。
佐久間も総大将として相違なく勤めたる由、承知仕り候。
摂津之地、なお油断あるべからず。
各々、以後も疎略無き様、心懸くべし」
信長は心中で、明智・芋粥は確かに働いたことを認めた。
そして佐久間の面子は立てておくが、動きは見ているぞと念を押したようなものだ。
功の沙汰は後で決めると評価を保留したことになる。




