第二百十一話 碁盤の外
花隈城二の丸。
秀政は鷺山と碁盤を挟み、ゆったりと石を置いていた。
両者ともそこそこの腕前ではある。
「殿、そこに置いてもよろしいか?」
「いや、ここで良い。お前の扇動には惑わされん」
「後で後悔しまするぞ……あいや、待った!
俺の先ほどの一手変えさせてくだされ」
そんな軽口を交わしているところへ、政親が戻ってきた。
秀政は碁石を置く手を止め、政親の顔色を見てすぐに察した。
「戻ったか。どうせ良い報告ではあるまい」
政親は深く頭を下げた。
「はい。ですが……。
やはり私も大名になるべきですな。
部下に足を使わせている間に、そうやって遊んでいられる」
「いや、これは軍学の修行よ……す、すまぬ。
たまの息抜きくらい良かろうが」
「はぁ、とにかく……摂津の現実をお伝えいたします」
秀政も鷺山も姿勢を正し、三人は自然と軍議の形となった。
*
政親は淡々と語り始めた。
「まず封鎖ですが、形ばかりで実態は笊にございます。
佐久間家の石頭役人は責任を上へ押しつけ、何も動きませぬ。
村々は門徒衆の恐怖で協力せず、荷駄も出ない。
門徒衆だけが原因ではありませぬ。
村を取りまとめる村長の婿と名乗る男が安芸訛りを返しました。
毛利の世鬼衆が潜伏しております。
さらに、摂津周辺の兵糧市場は本願寺が支配。
千種屋堺支店ですら米不足。
従来の問屋から細々と買うのみしかできませぬ。
本願寺には通常価格で売りますが、織田には高値・売り渋り。
陸路の兵站は完全に死んでおります」
秀政は碁石を握りしめた。
「……陸が死んでいるのは分かっていたが、ここまでとはな。
兵が飢えれば戦は終わる。
摂津周辺での調達は諦めるしかない」
政親は続けた。
「海路も死んでおります。
佐久間様が“封鎖”しておられますが、実態は逆でございます。
本願寺は抜け道を使い、荷を運び入れる。
しかし味方は止められる。
海路は陸路以上に破綻しております。
仮に味方の海運を通せば、本願寺はさらに満ちましょう。
佐久間様も信念のお人。
やっていることは正しいだけに、今の状況を変えるは難しゅうございますな」
秀政は苛立ちを隠さなかった。
「……陸も死に、海も死んでいるというわけか」
政親が困った顔で応じた。
「完全に死んでおれば佐久間様も過ちに気づかれましょう。
ですが、なまじ織田も最低限戦えるだけの兵站は確保できています。
これでは何が問題か、佐久間様の立ち位置では気づけますまい」
「そうか……参ったな。
このままでは摂津は大きく動けぬ。
だが海を開く策も見えぬ」
政親は明智との会談内容を報告した。
「明智様も同じ結論に至っておられます。
海を使うべきと理解しながら、道が見えぬと」
秀政は深く息を吐いた。
「ならば、遠方からの陸送を、今のうちに決めるしかない。
伊勢、大和、北近畿、北陸から買う。
輸送分が割高になっても構わん。
非効率でも必要ならやる。
それが兵站だ」
政親は静かに頷いた。
「若と明姫様は効率を求めて動かれましょう。
摂津では必ず失敗いたします。
しかし、失敗を経ねば摂津の現実は理解できませぬ」
秀政は政親を見据えた。
「……あれらにはそのまま任せておけ。
だが織田の兵站瓦解はさせぬ。
裏ではお前が動け。
明智殿とも連携して遠方調達の手筈を整えよ」
政親は深く頭を下げた。
「は」
秀政は碁盤を見つめ、石を一つ置いた。
「海を開く策……何かあるはずだ。
だが今は見えぬ」
政親は静かに答えた。
「左様にございます。
今は時間を稼ぐしかございませぬ。
もちろん黙ったままでは埒があきませぬ。
動ける手は打ち続ける必要があります。
義兄上……その一手よりもっと良い手がありますぞ」
「ん?」
打った碁石から手を放す前に考え込む。
「お、こっちか」
「あ、殿!待ったはなしにござる!」
鷺山に止められて苦笑しながら、秀政は決断した。
「兵糧が尽きる前に外郭を崩す。
折角大軍を連れてきたのだ。
七千ほどを動かす準備をせよ」
「承知いたしました」
鷺山は二人の会話を聞きながら、碁石をつまんで考え込む。
(……この二人、もう摂津全体を碁盤上のように見ている。
全体像をもうここまで掴んでいるとは)
鷺山の心服とは裏腹に、秀政は苛立ちを抱えつつ、遠方陸送と外郭攻めの二本柱で動き始めた。
*
秀政と政親の兵站軍議が終わり、場の空気は重く沈んでいた。
陸も死に、海も死に、摂津の兵站は崩壊寸前。
遠方からの陸送は始めるが、その場しのぎにしかならない。
秀政は腕を組み、深く息を吐いた。
「外郭を崩さねば摂津は持たぬが……佐久間殿は我らを出したがらぬ。
明智殿だけに押し付ける気でいる。
佐久間殿にとって、外郭攻めは犠牲が多い割には実入りが少ない。
それも一理ある。
芋粥は参戦したいが、総大将を説得する口実がない」
政親も静かに頷いた。
「佐久間様は“西方軍団が巻き込まれるのを嫌う”と明言されております。
こちらから攻めに出れば、必ず咎められましょう。
明智殿と同じ病に芋粥もかかってしまいましたな」
軍議は行き詰まり、沈黙が落ちた。
その時、鷺山がぽつりと呟いた。
「……攻められぬなら、応戦すればよいのでは?」
秀政と政親が同時に鷺山を見た。
鷺山は少し照れたように肩をすくめ、続けた。
「明智殿が外郭を攻めるのでしょう?
ならば、俺が輸送隊を、“あえて”その近くを通らせます。
敵が襲って来たら、俺が必死に耐えます。
今の織田には米は貴重。
殿が全力で援軍に来るのは必然。
その流れで、芋粥も砦攻めに巻き込まれたことにすればよい」
政親は内心で舌を巻いた。
(……なるほど。
稚拙ではあるが、この場ではもっとも有効な策だ。
私は少々考え過ぎていたか。
攻めるのではなく“巻き込まれる”か。
ははは。考えたな、鷺山。
それであれば芋粥が明智殿の援軍に向かうことを、佐久間殿も咎めることはできぬ)
秀政はしばらく沈黙し、やがて頷いた。
「……それだ。
攻めるのではない。荷駄隊の救援だ。
救援ならば、佐久間殿も咎められぬ。
明智殿も助かる。外郭も崩せる」
政親は補足した。
「輸送隊を襲わせるには、敵の動きを読まねばなりませぬ。
世鬼衆が潜む村を通れば、必ず襲ってきます。
そこを狙えばよい」
鷺山が碁石を手でどけて地図を広げる。
決して、負けそうだったから勝負をなしにしたわけではない……はずだ。
「うむ。ちなみに、松。狙うはどこぞ?」
「この策は一度しか佐久間様に対して使えませぬ。
となると最大の難所を狙うのが良いかと」
秀政が割り込んで力強く答える。
「……天王寺砦。
ここを落とせば、本願寺の東側防衛線が一気に崩れる。
明智殿が最も苦しんでいる場所であり、佐久間殿が絶対に手を出したくない“最重要地点”」
「はい、さすが義兄上。私もそう思います。
明智様も天王寺砦を攻めるとあれば大いに賛成して下さるでしょう。
天王寺砦を狙うのであれば、そうですね……。
私の調べでは、こことここの村が世鬼衆に侵されているはずです」
鷺山は笑みを浮かべた。
そのまま自らの策を述べた。
「任せてください。
それならば、この道を通します。
ここであれば、敵も襲いやすく、こちらも受けやすい。
そして殿の本隊も援軍として駆け付けやすいでしょう。
奇襲隊を追い返した後はこのまま、ここ。
天王寺の搦手側から襲いまする」
政親も満足そうに頷く。
「上出来だ、鷺山。その策は良いぞ。
これならば主に被害を受けるは明智。
だが、芋粥が“居る”というだけで天王寺砦は守りが分散する。
我らは痛手を最小限に留めながらも、この外郭攻めに最大の効果を与えるでしょう」
秀政は大きく頷くと立ち上がり、決断を下した。
「よし。外郭を攻める準備をせよ。
鷺山、輸送隊の指揮を任せる。
政親、お前は明智殿と連携し、救援の段取りを整えよ」
「は!」
政親は深く頭を下げた。
(……攻められぬなら、巻き込まれる。
鷺山の一言で道が開けたな)
秀政は碁盤を見つめ、静かに呟いた。
「佐久間殿がどう言おうと、摂津は待ってはくれぬ。
動くしかない。
名目がなくば、作れば良い」
「義兄上、陣容は?」
「今回は長政の赤鬼を置いていこう。
全力で向かえば、偶発的に巻き込まれたという言い訳が出しにくい。
それに長政は今、明と共に苦難に立ち向かっているからな。
親として邪魔したくない。
鷺山、荷駄隊は五百の青鬼と五百の農兵で向かえ。
お前も青鬼も農兵の格好で行け。馬には乗るな。
隊長格は雑賀に狙われる恐れもある。
外に農兵を置くことで、統率の低さが見えよう。
だが内には最精鋭の青鬼とお前だ。
必ず耐えられよう」
「もちろん!なるべく犠牲を少なくして敵を受け止めましょうぞ!」
「頼むぞ。そして五百の黒鬼騎馬と百の白鬼騎馬鉄砲隊を政親に預ける。
騎馬の機動力で迅速に駆け付けよ。
敵を掻き混ぜて、追い返せ」
「は!」
「俺が少し遅れて黒鬼鉄砲五百と常備兵二千と農兵三千を率いて合流する。
逃げる敵を追撃する形で天王寺砦の搦手門に張り付く」
政親と鷺山もその策を聞き、不敵に笑った。
「「芋粥の強さを示しましょう!」」
「あぁ、ようやく戦だ!」




