第二百十話 非公式同盟
政親が天王寺・平野郷の東方本陣に到着すると、陣の周囲には明智軍特有の整然とした空気が漂っていた。
政親は馬を降り、明智光秀に面会を求めた。
取り次ぎとして明智秀満が現れた。
秀満は政親の名を聞くと、眉をわずかに上げた。
その場に待たせたまま、光秀に報告する。
「殿、いかがなさいますか?
芋粥の副将、千種伊勢介という者が面会を求めております。
たかが陪臣、しかも西方。
多忙を理由に追い返しますか?」
光秀は筆を止め、わずかに目を細めた。
「千種……?
……あの男か。会おう。通せ」
秀満は即座に頷き、政親を本陣へ案内した。
*
政親が入ると、光秀は地図の前から立ち上がり、丁寧に迎えた。
「千種殿。先の軍議では見事な采配であった。
あの場を動かしたのは、そなたの一言であろう」
政親は軽く頭を下げた。
「いえ、明智様のご判断があってこそ。
私はただ、状況を整理しただけにございます」
光秀は微笑を浮かべたが、その目は政親を測るように鋭い。
政親もまた、光秀の反応を観察していた。
互いに“知”で相手を探る、静かな火花が散る。
秀満が控えに入り、三人が卓を囲む。
光秀が促した。
「では、ご用件を伺おう」
政親は淡々と語り始めた。
「まず、摂津の現場を見た私の報告をお聞きください。
佐久間家の役人は動きませぬ。
命令書を示しても、郡代、奉行、家老の裁可が必要と、上へ上へと責任を押しつけ、実際には何も進みませぬ。
村々も協力を拒みます。
“商いが滞る”、“門徒衆が反発する”と理由を並べ、封鎖の話は形ばかりで、実態は笊でございます。
さらに、村長の婿と名乗る男が安芸訛りを滞りなく返しました。
おそらく毛利の世鬼衆が潜伏しております。
他の村々も同様でしょう。
彼らの反発は、世鬼衆が根を張っているせいでしょう」
秀満が即座に補足した。
「世鬼衆……。殿、これは厄介です。
こういった手の込んだ潜伏を得意とする者らです。
村に溶け込み、門徒衆と結びつき、“村の総意”として反対を作り出しておるのでしょう」
光秀は深く頷いた。
「やはり、そうであったか」
政親は地図を指で押さえた。
「摂津は“命令が届かぬ土地”です。
恐怖と利権と門徒衆が絡み合い、佐久間家の統治は形ばかりで、実態は崩壊しております」
秀満が数字を示した。
「殿、村々の納入率は平均で四割。
封鎖に協力すると答えた村も、実際に動いたのは一割。
門徒衆の影響が強い村は、皆無と言えます」
光秀は政親を見据えた。
「千種殿。
そなたは一日で摂津の全体像を掴んだ。
私は一年かけて、ようやく同じ結論に至ったのだ」
政親は静かに答えた。
「明智様が一年積み上げた理解があったからこそ、私は今日一日で全体を掴めました。
明智様の視点がなければ、ここまで早くは辿り着けませぬ」
光秀はわずかに笑みを浮かべた。
(なるほど。芋粥め、良い駒を持つ)
政親もまた、光秀を内心で評価していた。
(この方は構造を理解している。
佐久間殿とは違う。話が通じる)
光秀は卓に手を置き、声を低めた。
「千種殿。そなたと私で“非公式の協力関係”を結びたい」
政親は頷いた。
「望むところです」
光秀は続けた。
「まず、情報を共有する。
村々の押さえは時間をかけて行う。
俄かに動かせる土地ではない。
我らは外郭攻めを急ぐ」
「承知いたしました。
西方の芋粥一万も、必要とあらば動かすよう殿を説得します。
この地の最優先は外郭崩しです」
光秀は表情を変えずに、声音だけが上がった。
「外郭攻めは我らが主に行うが、芋粥殿が加勢してくれるならば、それは心強い。
だが、それよりも補給だ。
補給が滞れば維持できぬ。
芋粥の兵站の知恵を借りたい」
政親は即答した。
「兵站は芋粥の得意とするところ。
ですが、実は大いに悩んでおります。
陸路を使ったこの辺りの兵站は死んでおります。
補給は海を使って遠方より行うしかありません」
秀満が驚いたように目を上げた。
「海……。殿、これは大きな転換です」
光秀は政親を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「千種殿。そなたの言葉は理に適っている。
そなたと共に、海を使う策を練ろう」
「難しゅうございますよ。
海は佐久間様によって封鎖されております。
本願寺は抜けて荷を運び入れるが、味方である我らは止められる。
馬鹿馬鹿しいことこの上なし。
佐久間様を説得せねば、これは解決いたしませぬが、
あの頭がどれほど固いか想像が付きませぬ」
「はっはっは。これほど気が合う意見を聞けるとはな。
だが固かろうが、砕かねば明智も芋粥も殿に見捨てられようぞ」
「はい、それは我が主、秀政も重々懸念いたしておるところ。
両者の知恵が合わされば必ずや盛り返しましょう」
こうして政親と光秀は、表には出せぬ協力関係を結んだ。
摂津攻略は、ようやく動き始める。
そして、この二人の知将の邂逅は、後に摂津攻略以上の意味を待つことになる。
*
政親が明智との会談を終え、花隈城二の丸の芋粥本陣へ戻ると、長政が待っていたように歩み寄ってきた。
その顔には、何かを抱え込んだ者特有の緊張が浮かんでいる。
「政親殿、摂津の兵站について、明と話した内容を聞いてほしい。
村々が米を出さぬ理由、荷駄が動かぬ理由……
いくつか策を考えたのだが、そなたの意見を聞きたい」
政親は軽く頭を下げた。
「は、この拙見でよろしければ」
長政は地図を広げ、真剣な表情で語り始めた。
「まず、村々が米を出すと門徒衆に睨まれるという恐怖だ。
これは、村だけに任せず、こちらが“守りの兵”を置けばよいと考えた。
だが、それだけでは不十分な気がしてならぬ。
兵を置くなら、村の“入口”だけでなく、寺社の出入りも見張る必要がある。
門徒衆が夜に回り、村を脅すと聞いた。
ならば、寺の周囲に番所を置き、村人が“夜に脅されぬ”ように守るべきではないかと思う」
政親は長政の言葉を聞きながら、内心で静かに評価した。
(ふむ……浅いな。
寺を見張れば、門徒衆は別の道から入る。
世鬼衆が潜んでおれば、番所など形だけのものになる。
だが、長政は失敗を重ねればよい。
そうすれば、義兄上もお前が芋粥の世継ぎには向かぬと気づかれよう)
政親は表情を変えずに答えた。
「理に適っておるかと。
寺の出入りを押さえれば、門徒衆も動きづらい。
村も“夜に脅されぬ”と知れば、米を出す気にもなりましょう」
長政は安堵の息をついた。
「そうか!そなたにそう言って貰えると心強い。
次に荷駄だ。
今は荷駄が不足しておるらしい。
荷駄を出した村には役を軽くするだけでなく“荷駄を出した村の名を掲げる”のはどうだろうか?
摂津は面子を重んじる土地だと聞く。
ならば“荷駄を出した村は誉れ”と示せば、他の村も競って荷駄を出すかもしれぬ」
政親は静かに長政を見つめた。
(……誉れなど通じぬ。
門徒衆の“恫喝”の前では、名誉も利も意味を持たぬ。
明には可哀想だが、お前は無駄なことに労力をかけておればよい)
政親は穏やかに頷いた。
「それも良いでしょう。
誉れを示せば、動く村も出ましょう。
“荷駄を出せば名が立つ”と広まれば、他の村も追随するやもしれませぬ」
長政はさらに続けた。
「実は船頭が佐久間の役人によって止められて動かぬという問題もある。
海からの兵站も滞るのだ。
だがその件も考えた。
佐久間家の役人が止めているなら、船頭を“芋粥家の直轄扱い”にしてしまうのはどうだろうか?
義父上が佐久間様に直接話を通していただければ、叶いそうなものだが。
佐久間家の許可を通さず、我らが直接、船頭に命じる形にする。
これなら役人の妨害は避けられるはずだ」
政親は即座に危険を察した。
(……直轄にしたところで、世鬼衆が船頭の家族を握れば終わりだ。
佐久間家の役人も世鬼衆と裏で繋がっておるだろうよ。
そんな浅慮で解決するならば明智様が黙っているわけなかろうが。
これは止めた方がよいな。
義兄上と佐久間の仲が悪化しても困る)
政親は慎重に言葉を選んだ。
「それは難しかろうと思います。
佐久間様は海に対して非常に強い懸念を持っておられる。
現に今も海からの補給で本願寺は一切弱りを見せない。
そんな中、容易に例外を認めるとは思い難いです。
これは芋粥と佐久間の信頼関係すら壊しかねない危険な策です」
長政ははっと息を呑んだ。
「そうか。さすが政親だ。
危うく、義父上に迷惑をおかけするところだった。
そなたに意見を聞けて良かった。
また何かあれば教えてくれ」
政親は深く頭を下げた。
「は!若も義兄上から兵站を任されましたな。
ここで明姫に良い所を見せれば……」
政親がいつもの調子で茶化すと、長政が照れた様に否定した。
「め、明は関係ない。私は芋粥のために何とか成し遂げたいだけだ」
「はは、そうですな。若もご立派になられました」
長政は軽く手を振って誤魔化しながら、満足げに去っていったが、
政親は静かに地図を見つめたまま動かなかった。
(……摂津の陸路は死んでいる。
長政の策――観点は悪くない。
成功の前例もあろうが、今のこの状況においては不十分。
何一つ解決へは動かぬ。
だが、これでよい。
私と明智様が海を使う策を練る。
芋粥が動くべき道は、すでに決まっておる)
政親は地図を畳み、灯を落とした。
「義兄上の元に向かわねば……」




