第二百一話 西方副将
天正六年正月三日 岐阜城・大広間。
大広間には、
信忠、柴田勝家、丹羽長秀、明智光秀、羽柴秀吉、滝川一益、
佐久間信盛、芋粥秀政――
織田家の中枢が勢揃いしていた。
新年の冷気が張り詰める中、
信長がゆっくりと立ち上がる。
その動作だけで、場の空気が一変した。
信長は扇を手に、諸将を鋭く見渡す。
そして、前年の総括を語り始めた。
「皆、よく集まった。
まず言う。
今年、織田は試される。
去年の勝ち負けではない。
今年こそが天下に向けた正念場である」
大広間がざわつく。
信長は続けた。
「去年の戦は、どれも“決め手”に欠けた。
勝った者も、負けた者も、皆まだ半端よ」
まず信忠、滝川を見る。
「東の武田――
木曽谷での三段撃ち、見事であった。
山県、馬場を討ったこと、
赤備えの両腕をもいだに等しい」
信忠と滝川が顔を上げる。
「だが勝頼は伸びしろを持つ学ぶ男よ。
既に完成していた信玄とは違う。
今でこそあの強さ。
いずれは信玄をも超える器やもしれん。
木曽谷の敗戦を勝頼は恐れぬ。
むしろ対策を練る。
今年の武田は、去年より厄介よ」
信長は扇で机を軽く叩いた。
「去年勝ったからといって、油断するな。
武田はまだ落ちぬ。それを忘れるな」
信長は秀吉へ視線を向ける。
「筑前」
秀吉が膝を正す。
「お前の働きの本質は“速さ”だ。
北近江、若狭、因幡、播磨――
どれも遅れず、止まらず、崩れずに進んでおる」
秀吉は深く頭を下げる。
「石高が増え、播磨の地盤が強化されたこと。
すなわち“遅れぬこと”を褒める。
戦は速さよ。
お前はそれをよく分かっておる」
信長は佐久間と光秀を見据える。
「本願寺は、弱らぬ。
毛利が海から支え、
長宗我部が背後で吠え、
門徒が地を固める」
信長は静かに言った。
「去年、お前たちが苦戦したのは、
敵が強いからだ。
それを認めよ」
光秀の眉がわずかに動く。
「だが――
強い敵ほど、崩れた時は早い。
今年は“本願寺の綻び”を探せ。
敵が強きからと言って留まる理由はないと心得よ。
今年こそ結果を出せ!」
信長は柴田と丹羽へ視線を移す。
「北陸は、去年息を吹き返した。
能登の切り取りが順調に進んでおる」
信長は扇を開いた。
「今年は呼吸を整える年だ。
能登を固め、完全に奪い返せ。
上杉がまたいつ兵を挙げるかはわからぬ。
隙あらば越中へも手を伸ばせ」
信長は最後に秀政へ視線を向けた。
「伊勢守」
秀政が頭を下げる。
「紀伊を切り取り、
三介を大名に押し上げた。
それ自体が大きな功よ。
だが紀伊には雑賀、根来が残る」
信長は扇を閉じ、
大広間を見渡した。
「去年は、皆が自分の戦をした。
それでよい。
だが今年は違う」
信長の声が低くなる。
「今年は――
織田の戦をする年だ。
東も西も北も南も、
皆が同じ方向を向け」
そして、信長はゆっくりと言い放った。
「今年、織田は形になる。
来年、天下が動くための形だ。
そのための一年だ」
大広間に重い沈黙が落ちた。
*
それを破るように信長が声を張る。
「各軍団の今年の目標を申し付ける。
まずは――対武田方面軍だ。
武田と織田、決定的な違いは何だ?」
信長は、鋭い眼光を走らせ、続けた。
「国力だ。
木曽谷、伊那谷、飯田、高遠……
これらの国境線を執拗に攻め、
“揺動戦”を徹底させよ。
勝頼は動けば強い。
だが、動き続ければ弱る。
それこそが国力の差よ」
信長の声が低く響く。
「補給線を断て。
村々を焼き、荷駄を襲撃せよ。
甲斐から信濃への補給路を妨害し、
兵站を弱らせ、戦えぬ身体にせよ。
そして、信忠、左近。
三段撃ちを改良し、今度こそ赤備えに引導を渡せ」
「「はは!」」
信長は視線を柴田勝家へ向けた。
「権六。
能登を揺るがぬ織田の地とし、
越中へ踏み石を置け。
ただし、深入りするな。
砦を並べ、越中へ手を伸ばす“形”を作れ」
「はは!」
次に丹羽長秀へ視線が向かう。
「五郎左。
七尾・輪島・穴水の三湊を押さえよ。
湊の監視、交易統制、軍港化。
湊を押さえれば、能登は落ちる」
「は!お任せあれ!」
信長は秀吉へ向き直る。
「筑前。
今年の目標は播磨の完全な制圧である。
播磨の国衆を織田の家臣に変えよ。
迷う者は切り捨て、揺れる者は抱き込め。
姫路・三木・英賀を鉄壁化せよ。
本願寺を弱らせた暁には、すぐに毛利へ攻勢をかけよ」
秀吉は大きく頷いた。
「承知っ!
お任せくだされ!」
信長は最後に、軍議の核心へ踏み込んだ。
「そして――
石山本願寺だ。
あの強大な勢力を打ち破るべく、
今年は補強を行う」
秀政は息を呑んだ。
(いよいよだな……)
信長は明智光秀へ向けて言う。
「惟任率いる東方軍団は引き続き、
細川藤孝と高山右近を副将として、
石山本願寺に圧力をかけよ」
秀政の胸に、冷たいものが落ちた。
(む……やはり俺は明智殿の副将ではないらしい。
だが“共闘”と仰せだった。
つまり、独立部隊でも任されるのか?)
信長の視線が、次に佐久間信盛へ向いた。
「右衛門率いる西方軍団は、中川清秀の他に――
伊勢守を副将として付ける」
秀政は度肝を抜かれる。
(ひぃえ!? 俺が佐久間の副将か!?
待て……今の佐久間は“亀佐久間”と噂されるほど消極的。
こいつに付き従っていては功どころではないぞ。
……いや、なるほど。
総大将であり、西方軍団長でもある佐久間を更迭はできぬ。
だからこそ俺を副将に据え、
西方軍団を実務面で動かしつつ、
明智殿とも連携せよということか)
信長は二人を見据えた。
「右衛門、惟任。
今年こそ本願寺を落として見せよ」
「「ははぁ!」」
そして、信長の視線が秀政に突き刺さる。
「伊勢守。
佐久間を支えよ」
秀政は背筋を伸ばし、深く頭を下げた。
「は……はは!」
信長は全軍を見渡し、締めくくった。
「各々――
今年こそ天下への足掛かりを構築せよ。
以上だ」
(どうしてもこうも毎年憂鬱にならねばならぬ……。
三介ほどではないにしても、佐久間も貧乏くじもいい所だ)




