第百六十四話 表と裏の勘定
信長の言葉が耳に残ったまま、
秀政は思わず息を呑んだ。
「……千挺、追加にございますか?」
声がわずかに震えたのを、
自分でも感じた。
信長は腕を組んだまま、
秀政の反応をじっと観察している。
秀政は慎重に言葉を選びながら続けた。
「殿……既に五百挺はございます。
もしや、あれを合わせて――
三段に構えて撃たせるおつもりで?」
信長の目が細くなる。
「芋。
お前も思う所があるようだな。
策を述べよ」
促され、秀政は深く息を吸った。
「は。
馬防柵を構え、武田の突破力を殺し、
その間に千五百挺で撃ち抜きます。
ですが、一工夫も必要。
鉄砲を五百ずつ三列に分け、
“撃つ・構える・装填する”を絶え間なく回します。
三列はただ回すのではございませぬ。
間を切らさぬことが肝要にございます。
撃ち終えた列が退く間に次が狙い、
その発射の間に後ろが装填する。
鉄砲の欠点たる装填時間を感じさせずに、
前は火を噴き続けるのです」
秀政は畳に指で三本の線を描いた。
信長は満足げに、黙して聞く。
「武田は決して鉄砲を侮ってはおりませぬ。
しかしながら五百という数ですら、
甲州では縁遠いでしょう。
その価値を正しく知るがゆえに目に見える五百は、
織田が必勝の策として用意させた五百と見るはずです。
……織田はその想像を超えて鉄砲を持ち込める所に
武田の限界があります」
「武田の限界……か」
「武田の赤備えの騎馬突撃はかつて一度、
目の当たりにしましたが、
馬防柵があろうが、五百挺では止めることは出来ぬ。
拙者はそう感じます。
それは武田も同じ。
多少の犠牲を覚悟してでも押し切れると踏むでしょう。
しかし実際は――」
秀政は指を止め、信長を見た。
「三列が途切れず火を吐けば、
馬防柵に辿り着く前に赤備えは崩れましょう」
奥の間が静まり返る。
信長はしばらく秀政を見つめ、
やがて、口の端をわずかに上げた。
「……やはり気づいておったか」
秀政は頭を下げる。
信長は立ち上がり、障子越しに岐阜の街を見下ろした。
「五百では足りぬ。
千でもまだ薄い。
ゆえに千五百……
千の追加よ。
千五百の三段こそ……
侮る武田に引導を渡す策となる」
秀政の背筋が震えた。
(……千五百挺で、新たな長篠を再現しようとしている。
歴史の修復力なのか、あるいは信長の必然的な思い付きか)
信長は振り返り、秀政を指差した。
「芋。
南蛮との口はお前が握れ。
鉄砲千。それも南蛮製の最も質の良いもので揃えよ。
途中で詰まるような粗悪品は許さぬ。
火薬も弾も、可能な限り集めることを忘れるな」
秀政は深く頭を下げた。
「御意……!
質の良い千挺ともなると、
一年はかかるやもしれませぬ。
その間、調達に専念するため出陣は叶いませぬが
よろしいでしょうか?」
信長は言葉を重ねる。
「心得ておる。
それが今年のお前の戦よ」
無理のない目標、
秀政にとってはこれ以上ない任だ。
ポルトガル製の高品質火縄銃は、
鍛造精度が高く、射程・命中率が段違いに良い。
扱いが安定し、連続運用に向く。
信長はそれを望んでいる。
そしてそれは相場として一挺あたり十貫は必要だ。
大口購入することで九貫までは値切れるかもしれない。
だが、その分納期を遅らされる恐れもある。
また弾でいうならば、一戦で必要な量を計算すると、
十五万発近く必要となる。
火薬に至っては五百キログラムにもなるだろう。
弾薬費だけでも六千貫は下らない。
秀政は直前まで白鬼兵のために鉄砲相場を調べ尽くしていた。
すぐに暗算で答える。
「は!
鉄砲は九千貫、弾薬は五千五百貫頂きまする。
そして十ケ月で集めまする!」
信長は満足気に頷く。
「期待しておる」
信長の想定よりも一割は安く、そして期間も短い。
これがもし佐久間であれば、
南蛮人に何割か増しで搾取された恐れもある。
信長が満足いくのも頷けた。
だが、これには香辛料である和製薬味の値切りが含まれていない。
サンパイオ商会は薬味を安く大量に得るためには、
鉄砲は七貫、弾薬は二割引きまでは軽く応じる。
それが松之助がサンパイオ商会の窓口商人から得た現時点での感触のようだ。
即ち、この差額で秀政は数千貫の裏金を作ることができる。
それが芋粥自身の鉄砲と弾薬・馬に化ける算段を、
秀政は同時にしていた。
秀政は退出しようとしたが、
信長が最後に一言だけ付け加えた。
「芋」
秀政が振り返る。
信長は薄く笑った。
「……嘘をつくなら、もう少し上手くやれ」
秀政は肩を震わせ、深く頭を下げた。
「……肝に銘じます」
多少裏金を作ることは信長も折り込み済みのようだ。
そうする事が巡り巡って織田のためになると知っている。
だが、まさか数千貫とは思うまいが。
こうして、
秀政によって“短期での鉄砲千挺調達”という
織田家最大級の密命が始まった。
*
そして秀政が鈴鹿に戻る。
毎度、信長との謁見の後は必ず重い役目を背負わされる。
ゆえに戻る時の顔は決まって重い。
今回もそうだろうと心配した、
政成とお悠と子供たちが秀政を出迎える。
「おかえりなさいませ。
大殿様のご様子はいかがでしたでしょうか?」
「いつもとお変わりない」
そうぶっきらぼうに返す言葉とは裏腹に、顔は緩んでいる。
明らかに機嫌が良い。
政成が恐る恐る確認する。
「次の任は何を仰せつかりましたか?
そのご様子からするとそこまで無理なものではなさそうですが」
そこで改めて秀政が機嫌よく笑う。
「あぁ、今年の任務は簡単で、儲けられて、しかも楽しい」
その言葉に、政成とお悠は顔を見合わせた。
戦国において、その三つが揃うことはまずない。
簡単な仕事は儲からず、儲かる仕事は危険であり、
安全な仕事はつまらぬ。
それを三つとも満たす任など――
通常は存在しない。
「は?」
「そんな任務があるのでしょうか?」
政成とお悠が不思議そうに問う。
「あぁ、普通の者には難しく、面倒で、つまらん作業だ。
だが俺にとってはこれ以上ない任務だった」
「はぁ?」
「鉄砲を千挺、弾薬を十五万発分、十ヵ月で用意する。
しかも銭は織田家持ち、一万四千五百貫予算取りしていただいた。
この十ヵ月はそれに専念してよいとのことだ」
「はて?それだけで?」
他の軍団長であれば、この数を聞いた時点で顔色を変え、
頭痛が絶えまい。
調達、輸送、保管、弾薬。
どれ一つ取っても破綻しかねぬ規模である。
だが――
芋粥にとっては違う。
秀政だけでなく、政成やお悠でさえも、
それを聞いてホッとした表情だ。
お悠が唇に指を当て、首をひねって考える。
「……儲けることができる……はてさて。
父上なら三千貫ほどは抜けますか?」
お悠は単純に利益を見ていない。
流通、値切り、再販まで含めた“回し”で見ている。
政成が首を振る。
「いやいや、サンパイオ商会の伝手もある。
この状況下ならば商人たるもの、四千貫は作らねば。」
秀政がにやりと笑う。
「その金で芋粥家の鉄砲と馬も充実させよう。
だが、一番嬉しいのは十ヶ月も内政に専念できることだ。
鈴鹿を大きくできる。それにお悠や子供たちとゆっくりできる」
お悠も笑顔を見せた。
「それはようございました。
いつもこのような任であればよいのですが」
「実は今やりたいことがあるのだ。
これから考えをまとめ、下準備する。
政成、後で相談させてくれ。
これは芋粥を強くする。いや伊勢を強くする妙案だぞ」
「おやおや、これはお聞きするのが楽しみでございます」
これほど穏やかな新年は久しい。
戦の只中にあって、この静けさはむしろ異様であった。
*
穏やかな二ヵ月が経とうとしていた。
秀政は第二次織田包囲網を政親に教えられるまで気づけなかった教訓から、
方々に伊賀忍者を放って各地の状況把握に余念はない。
北陸に放った忍びから第一報が届く。
上杉に大きな動きあり。
嫌な予感を感じつつも、忍びの数を増やして引き続き探らせることにした。
*
三日後
岐阜から信長の急使として、わざわざ黒母衣衆の前田利家が訪れた。
岐阜に呼ばれるでもなく、単なる使者をよこすわけでもなく。
信長が「急ぎ・確実・気まずさ」を同時に処理したい時に使う人物として
前田利家は最適解だった。
上段の間に通された利家が信長の名代として、
芋粥家に指示を伝える。
「兵四千以上をもって、芋粥家も北陸へ参陣せよ」
秀政の表情が固まった。
(あれだけ喜ばせておいて……。
殿も朝令暮改が過ぎる……)




