第百六十三話 査定と選別
第十一章 伊勢太守編(長政飛躍編)開幕
天正四年 正月三日。
岐阜城大広間・年始軍議。
諸将がずらりと並ぶ。
柴田、丹羽、滝川、佐久間、明智、羽柴、そして芋粥秀政。
信長はゆっくりと席に着き、
全員が頭を下げるのを確認してから、
静かに口を開いた。
「……まずは、よう参った」
声は低く、張り詰めている。
「今の織田は、四方を囲まれておる。
東は武田・北条・上杉の三国同盟。
西は毛利と長宗我部、そして本願寺。
上杉は押し切れず、
武田も健在、
毛利は未だ中国に覇を唱える。
長宗我部は四国に戻ったが油断はできぬ」
信長は諸将を見回す。
その視線に、誰も顔を上げぬ。
「……昨年は、よく耐えた」
褒めているようで、褒めていない。
信長らしい“圧”だけが広間に落ちる。
「まず、西よ。
筑前」
秀吉が進み出る。
「播磨に橋頭保を築いたこと、悪くない。
姫路を守り切ったのは働きよ」
淡々とした評価。
だが秀吉は深く頭を下げる。
「しかし三木は落ちぬ。
別所も敵のまま。
まだまだ足りぬ」
秀吉の背に冷たい汗が流れる。
「右衛門」
佐久間が進み出る。
信長は、一切褒めない。
「花隈を取り返したと聞いた。
……それだけだ」
佐久間の顔が引きつる。
信長は続ける。
「本願寺は健在。
長宗我部は退いたが、
毛利はまだ動く。
お前の働きでは足りぬ」
佐久間は深く頭を下げるしかない。
「惟任日向守」
光秀が進み出る。
「丹波は半ば制したと聞く。
波多野・赤井が粘るのは承知よ。
……よくやっておる」
この場で唯一、
“まともな褒め言葉”が出た。
だが光秀は表情を変えない。
「だが急げ。
丹波が片付かねば、
畿内の背が空く」
「権六、五郎左」
柴田・丹羽が進み出る。
「上杉は強い。
三国同盟で後ろ盾を得た。
押され気味なのは分かる」
信長は目を細める。
「だが――押し返せ。
加賀・能登を失えば、
織田は北から崩れる」
柴田は拳を握り、
丹羽は静かに頷いた。
「左近将監」
滝川が頭を下げる。
「木曾は膠着か。
武田が強気に出ておる。
北条が後ろにおるからよ」
信長は短く言う。
「勝ち目を見つけよ。
時は何も解決せぬ」
「備前」
秀政が進み出る。
信長は秀政の功を認めていた。
だが、この場では褒めない。
「大和は……信雄、信孝のものになった」
淡々とした声。
「だが、松永と南都の私闘。
あれは何事だ」
どうやら領地を得た事よりも
こちらが気にかかるらしい。
秀政は身が引き締まりながらも静かに頭を下げる。
信長は続ける。
「――大和の件でお前には聞きたいことが山ほどある」
広間がざわつく。
信長は秀政を射抜くように見た。
「……後で奥の間に来い。
今年の目標もそこで伝える」
秀政は冷や汗を感じつつ、深く頭を下げた。
「そして徳川殿よ」
家康は不在だが、状況報告が読み上げられる。
「北条と睨み合いが続いている。
動けぬのは承知。
織田の戦いで徳川殿に後れを取るわけには参らぬ。
北条が動けぬ内に、東勢は武田・上杉を崩せ」
信長は全員を見渡す。
「今だ包囲網は崩れぬ。
東も西も北も、敵ばかりよ。
だが――」
声が低く、鋭くなる。
「織田は退かぬ。
退けば滅ぶ。
進めば活路が開ける。
今年は“耐える年”ではない。
“打ち破る年”とする。
各々、覚悟せよ」
信長が立ち上がると、
諸将は一斉に頭を下げた。
そのまま、信長は奥の間へ進んだ。
少しして秀政も立ち上がり後を追う。
小声で秀吉が呟く。
「おい、芋、お前、何をやらかした?」
少し引きつった表情で向き合う。
「……見当が多すぎて、どれのことやら……」
「絞られてこい、くくく」
秀政が歯を剥く。
「他人事だと思いおって……」
待たせるわけにはいかない。慌てて信長を追った。
秀政が退出した後、いつも通り、諸将の雑談する声が聞こえる。
*
岐阜城・奥の間。
障子が閉じられ、外の喧騒が遠ざかる。
秀政は正座し、信長の言葉を待つ。
静寂が落ちる。
気まずいほどの沈黙。
その沈黙が、刀より鋭い。
やがて――
信長が、低く、静かに口を開いた。
「……芋。
此度の伊勢・志摩・伊賀・大和の攻略。
よぉやった。
その子細をここで述べよ」
単純に褒めているだけのようには見えない。
「筒井城のことよ」
秀政は息を整える。
信長は続ける。
「一夜で落とした。
……見事と言えば見事だ」
信長らしい“半歩の評価”。
だが次の言葉は鋭かった。
「だが――」
信長の目が細くなる。
「城が、跡形もなかった。
その後、筒井の支城も全て一日で開城させたと聞く」
沈黙。
「芋、あれは何をした?」
声は静かだが、逃げ場がない。
秀政は、あくまで落ち着いた声で答える。
「……大筒を三十発。
夜陰に紛れ、近距離から撃ち込みました」
大筒という言葉を使った。
これは南蛮大砲というよりは和製大筒を指すことが多い。
あくまで南蛮技術を規格外に撃ちこんだことは伏せた。
信長は表情を変えない。
秀政は続ける。
「筒井城は古く、
梁も壁も乾ききっておりました。
火薬庫に火が回り、
放火も重なり……」
少しだけ間を置く。
「……崩れ落ちました」
信長は秀政の目を見つめる。
その視線は、嘘を見抜こうとする刃のようだ。
だが秀政は、微動だにしない。
「さらに芋粥は赤備えのように鬼兵を組織しました」
そこから仏罰を装った心理策を正直に話した。
「……たかが大筒、三十で、あれか」
信長は小さく呟く。
「火薬庫に火が回った、か。
夜襲で混乱した、か。
仏を信じる大和で仏罰を演じた、か」
信長は自分の中で“現実的な説明”を組み立て始める。
「……ふむ。
ならば、ああも崩れるか」
信長の一応の納得を得る。
だが完全ではない。
「芋」
信長の声が低くなる。
「お前は、嘘をつく時は目を逸らさぬな」
信長自身は勝ちの手段を咎める気はない。
だが、信長自身を欺き、裏切ることを許さない。
信長が理解できぬ力を持つなどと以ての外だ。
秀政は静かに答える。
「嘘は申しておりませぬ。
とはいえ、もし嘘をつくならば、目を逸らす方が怪しまれますので」
信長は、ふっと笑った。
「……そうよな」
信長にとっての秀政は、周りを無償で手伝うような野心の薄い害なき男である。
だが同時に、扱い次第でいくらでも働く道具でもあった。
疑いもあるが、信じもある。
真っ当な理由を聞き、自らの直感を信じたい――
そういう面があるようだった。
話題を変える。
「松永と南都の私闘……あれはなんだ?」
秀政は程よく目をそらしつつ、真実と嘘の見分けがつかぬようにしながら、
松永が先に鬼兵偽装の策を仕掛けてきたことを“正直に”告げた。
「そうか。
あの欲爺も困ったものよ」
嘘と真実は混ぜる。
どちらかに寄せれば、逆に見抜かれる。
「右衛門はどうやって立ち直らせた?」
「ただ、米を食わせて、武具・具足を与えて、
武士の誇りを少々擦ったまで。
さすれば、兵を後ろに控えさせただけで、
佐久間殿はご自身の力で立ち直られました」
「そうか。右衛門なら分からぬでもないな。
なぜ佐久間を立ち直らせた?」
「織田の西の安定のため……。
と言いたいところでございますが、
それだけではありませぬ。
本音は南蛮商会との伝手にございます」
ここでカーザ・デ・サンパイオ商会の織田名代を、
佐久間から引き継ぐ許可を正式に信長に願い出た。
信長も笑みをこぼす。
「なるほど。
芋、お前の考えそうなことよ。
許す。
ただし、鉄砲千挺を仕入れよ。
それが名代としての最初の任とする。
銭は武井夕庵と話をせよ」
「は!
しかし、千挺とは……」
信長は黙って呟くように応える。
「武田の騎馬赤備えをこれで討つ」
秀政の眉が上がる。
(まさか……ここに至って長篠の三段撃ちをやる気か)




