第百六十二話 金の種と見せ札
政成の顔は、これまでになく重かった。
報告の内容が、軽くないことを物語っている。
「……殿。
千種屋はかつてないほど火の車にございます」
静かに、しかし逃げ場のない断定であった。
「ガレオン調査費、南蛮大砲の前金、
鳥羽修理湊の整備費に加え、
南蛮商会への贈答。
全てが同時に重なりました」
一つ一つは必要な出費である。
だが、同時に来れば耐えられぬ。
「決して松之助に商才がないわけではありませぬ。
むしろ、あの子は才がある。
……ただ、殿と同じでございます」
そこで一度言葉を切る。
「はまり込めば、金に糸目を付けませぬ」
それは欠点ではない。
だが、商家としては致命となり得る。
「今ならまだ戻せます。
立て直しに専念させれば、立ち直りましょう。
ゆえに、しばし千種屋を当てにはできませぬ」
資金源の一つが、止まる。
軍に直結する話であった。
だが――
秀政は笑った。
「なんだ、そんなことか」
軽い。
あまりにも軽い。
「想定内だ」
政成の声が低くなる。
「……殿。
商いは軽ぅございませぬぞ」
当然の反応である。
だが秀政は首を振った。
「軽い重いではない」
即答であった。
「見えているかどうかだ」
そして、話を切り替える。
「南蛮は肉を喰らう」
政成は眉を寄せる。
唐突である。
だが、秀政は構わず続けた。
「そして、その味気なさに飽きている」
政成は一瞬、意味を測りかねた。
「……それが、何か?」
秀政は続ける。
「信じられぬかもしれんがな。
胡椒というただの薬味が、砂金と同価値で取引される」
「……は?」
理解が追いつかぬ。
「薬味が、でございますか?」
だが、秀政は説明を止めない。
*
「南蛮の航海食は塩と酢だ。
肉は臭い。
魚は腐る。
味がない」
条件を並べる。
「ゆえに“味”に飢える」
ここで結ぶ。
「薬味が宝になる」
政成の目が細まる。
秀政はさらに踏み込む。
「伊勢、伊賀、志摩。
ここは宝の山だ」
指折り数える。
「山椒。
生姜。
柚子、橙。
紫蘇。
芥子。
胡麻。
味噌玉」
どれも珍しくない。
伊勢と伊賀の山にいくらでもある。
いくらでも植えられる。
雑草のように生える。
この地があればいくらでも量産できる。
だが――
「軽い。
腐らぬ。
船に積める。
肉に合う」
南蛮の条件に全て合致する。
「南蛮商人にとっては、宝だ」
政成の目が変わる。
ただの物産ではない。
価値の転換である。
「山椒は胡椒の代わりになる。
柚子皮は壊血病を防ぐ。
生姜は船酔いに効く」
食と医が一体となる。
「必ず買う」
断定である。
「しかも、この国では、元値が驚くほど安い」
沈黙が落ちた。
短いが十分である。
「……殿。
これは……」
政成が言葉を選ぶ。
「金の山にございますな」
「そうだ」
即答である。
だが、秀政はそこで終わらせない。
「そして俺は佐久間から手に入れた」
一歩踏み込む。
「カーザ・デ・サンパイオ商会との太い繋ぎをな」
政成の表情が一段引き締まる。
「あの商会は人を選ぶ。
だが、一度繋がれば離さぬ。
日本の顔は我らということになる」
ゆえに――
「我らが独占できる」
結論はそこにあった。
*
政成が問う。
「ならば、高く売ればよろしいのでは」
当然である。
だが秀政は首を振る。
「それでは続かぬ」
理由は明確であった。
「元手が高ければ、商人は来ぬ」
視点が変わる。
「航海は命がけだ。
積荷は軽く、高く売れるものがよい。
だが、仕入れが高すぎれば意味がない」
ゆえに――
「ほどほどに売る」
政成が息を吐く。
「……利を捨てますか」
「違う」
即答である。
「利を移す」
*
「南蛮商人はこう考える」
指を折る。
「軽い。
腐らぬ。
売れば儲かる。
船員の命も助かる」
利が重なる。
「ならば武器を安くしても損ではない」
ここで繋がる。
「鉄砲が安くなる。
大砲が安くなる。
火薬が安くなる。
船の部品も手に入る」
政成は深く頷いた。
「……薬味で稼がず、戦で取る」
「そうだ」
秀政は言い切る。
「銭は一度きりだ。
だが軍は、何度でも勝ちを生む。
それにな、必要ならば他の軍団長に
高値で鉄砲を売ればよい。
俺達の本質はなんだ?
商人大名だ、ははは」
*
「それにもう一つ重要なことがある。」
さらに秀政は踏み込む。
「流行を作る」
政成が顔を上げる。
「南蛮で!?」
「そうだ」
「山椒入りの肉。
柚子のスープ。
生姜酒。
紫蘇の香り」
小さい。
だが――
「持ち帰る。
真似る。
広がる」
そして――
「日本の薬味を積めば儲かる」
常識になる。
市場が生まれる。
「我らが作る」
断定であった。
*
秀政はさらに一手を置いた。
「香辛料は秘せよ」
断定である。
「他国にも、殿にもだ」
理由は言うまでもない。
「知られた時点で終わる。
これは“種”だ」
政成が深く頷く。
だが秀政は、さらに踏み込む。
「代わりに、餌を撒く」
「餌、でございますか?」
「鉄甲安宅船だ」
派手である。
分かりやすい。
だが――
「使い道は限られる。
だが、目立つ」
ゆえに最適である。
「我らの秘密を暴いたと思わせろ。
徳川も、秀吉も、そこに目を向ける」
本当の秘密は見えなくなる。
「機密性を甘くせよ。
偽の宝を握らせる」
政成はそこで、ようやく全てを理解した。
「……お見事にございます」
*
それからの動きは速かった。
薬味は集められる。
密かに。
大量に。
南蛮へ流れる。
銭には変えぬ。
代わりに――
武を引き出す。
千種屋は、表では苦しい。
だが裏では膨らむ。
黒字へ転じる。
*
火薬が流れる。
弾が揃う。
撃てる数が変わる。
戦の密度が変わる。
*
この話を秀政が松之助に打診して、3か月。
早くも南蛮商人の反応が出始める。
香辛料の試し買い、船員の評判。
まだこの時点では収益の改善には至らないが、
松之助は品質の均一化、乾燥・保存技術の確立、
仕入れルートの整理、秘密保持の徹底を心掛けた。
そして半年もしないうちに、カーザ・デ・サンパイオ商会から、
武器・火薬の割引に応じてでも入荷量の増加を打診される。
それは千種屋の財政難の底打ちを意味する。
一年が経とうとする頃、松之助は安く大量に仕入れた
鉄砲、火薬、弾丸、南蛮胴具足等を芋粥には格安で、
他には相応の値で売る仕組みを整えた。
元々、在庫の安定性、品質の良さを売りにする千種屋は
瞬く間に黒字化へと持ち込む。
そして三年後。
再び千種屋は近畿・東海有数の大商家へと返り咲くことになる。
第十章 伊勢太守編(転戦編)終幕




