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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十章 伊勢太守編(転戦編)

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第百五十九話 生きて帰るということ

天正三年十一月二十九日。


姫路城の朝は、まだ戦の匂いを残していた。

鬼兵たちにはまだ疲れが残り、農兵の姿はほとんどない。


荷駄を担ぐのも、今は鬼兵の役目だった。


秀政は馬上から全軍を見渡し、短く告げる。


「……帰るぞ。伊勢へ」


ようやく伊勢に帰れる。

その声に、兵たちが静かに頷いた。



出立に際し、秀吉が米俵をいくつか運ばせてきた。

必要最低限。だが、今の芋粥軍には十分だった。


「これだけあれば伊勢までは持つじゃろう。

 あとは好きにせい」


秀吉は軽く笑う。

その裏に“これ以上はやらんぞ”という計算が透けて見える。


秀政は礼だけ述べた。


「恩に着る」


秀吉は肩をすくめる。


「死なれては困るでな。小一郎、頼んだぞ」


秀長は静かに頷き、芋粥軍に加わった。



三日目。


山陽道を東へ進む道中、秀長が鬼兵の歩みを見て感嘆する。


「……荷を持ってなお、この乱れのなさか」


「うちの兵は、戦うだけが能ではない。

 運ぶ、作る、支える。

 それができてこそ軍は動く」


秀政の言葉に、秀長は小さく笑った。


「兄者が欲しがるわけだ」


潮風は薄れ、代わりに京の喧騒が近づいてくる。



七日目。


京を抜け、東海道へ入る。

秀政が長政にぽつりと呟く。


「……伊勢に近づくにつれ、

 死んでしまった者たちの家族にどう告げるか。

 気が滅入るな」


「はい。

 農兵にせよ、鬼兵にせよ、

 花隈の時点で帰っておれば死なせずに済みました。


 ですが、羽柴殿の仰られる通り。

 あの戦のおかげで織田の西は盛り返すのではないでしょうか?


 あの者らのおかげで、今後、

 幾千、幾万と死ぬ者が減るように思います」


「それはそうかもしれん。

 だがな、長政。


 誤ってはならぬ。


 将が兵を数で見るようになるな」


「は、はい……」


「分からぬのも無理はない

 お前は若い。そして我ら武士は命を数で捉えがちだ。


 しかしだ。

 人の心とはそう簡単なものではない。

 他人の命よりも自身の身内に生きて帰ってきて欲しいのだ。


 名を残して死んだ。

 それで満足するのはそ奴自身だけなのだ。


 家族とは、そんな名よりも生きて帰ってきてくれるだけで良い」


「そういうもの……ですか」


「そういうものだ。


 お前自身もそうだぞ。

 名を残す。芋粥の役に立つ。


 そんなことのために命を軽く捨てようとするな。

 残される者の気持ちを第一に考えよ。


 そして兵に対してもその気持ちを持て。

 使い捨てにするな。


 使い捨てにした兵は我らからみれば“一人の”兵に過ぎん。

 だが家族からすると、“かけがえのない一人の”兵なのだ」


長政は何か悟ったように目を見開く。

秀政がそのまま淡々と続ける。


「良い機会だ。

 死んでしまった者への香典米を配る際に、

 お前も付いていけ。


 死なせてしまったことを詫びて回れ」


力強く長政が頷く。


「はい。


 義父上の強さが分かった気がします」


後ろについていた秀長が馬の足を速めて、

秀政に並ぶ。


「芋粥殿の強さが分かった気がします」


長政の真似をする。


「小一郎殿、茶化すな」


「ははは、すみませぬ。

 あまりにも心に響いたもので。


 早速と学ばせていただきました」


「ふん」


それ以上、三人は何も言わなかった。



十四日目。


伊勢の山並みが見えた。


鬼兵たちの足取りが、わずかに軽くなる。


「……帰ってきたな」


秀政の言葉に、秀長が笑う。


「長い道のりだったな」


「これからもっと長くなるぞ」


「望むところです。

 楽しみで仕方がないです」


伊勢の風が吹き抜ける。

戦の匂いはもうない。


だが、次の戦の気配は確かにあった。


芋粥軍は、静かに伊勢へ帰還した。



伊勢・桑名。


桑名城主である鷺山はここで離脱した。

数日休んだ後、秀政と長政は兵を連れて鈴鹿館を目指す。


そして、十二月十五日。


ようやく皆が待つ鈴鹿へと帰還した。


冬の風が海を渡り、城下に冷たさを運んでいた。

だが、その空気は一瞬で変わる。


「殿のお戻りじゃあ!」


見張りの声が響くと、

城下の者たちが一斉に顔を上げた。


鬼兵の列は痩せ、農兵の姿は消えていた。


だが、その歩みは確かだった。


秀政は馬上から、

懐かしい城下の景色を見渡した。


(……帰ってきたな)


胸の奥が、じんわりと熱くなる。



城門の前には、お悠が立っていた。

その少し後ろに、明がいた。


明は袖を整え、背筋を伸ばし、

凛とした表情で立っている。


だが、その目は赤い。

泣いた跡を隠しきれていない。


長政はその姿を見た瞬間、

胸がぎゅっと締めつけられた。


ゆっくりと歩み寄り、

少し背伸びをするようにして言う。


「……ただいま戻りました、明」


明は一瞬、唇を噛んだ。


強くこらえていたものが揺らぐ。


「……お帰りなさいませ、長政様」


声は震えていた。


ふと先日の言葉が蘇る。


“名を残すよりも生きて帰ってきて欲しい”


長政はそっと顔を上げ、

明の手を取る。


「心配をかけたな」


明は首を振る。


「いいえ……

 長政様が……ご無事で……

 それだけで……」


言い終える前に、

涙がぽろりとこぼれた。


慌てて袖で拭う。


「す、すみません……

 皆の前で……」


長政は、少し照れながらも優しく微笑んだ。


「泣いてくれて……嬉しい」


明は顔を真っ赤にし、

俯きながらも、しっかりと手を握り返した。


「……長政様。

 本当に……お帰りなさいませ」


その姿は、

まだ幼いのに、

夫を想う一人の女性だった。


そしてお悠もただ一言。


裾を押さえ、風に髪を揺らしながら、


「……弥八様」


声が震えていた。


秀政は馬を降りると、

歩み寄り、そっと手を取った。


「ただいま戻った」


お悠は強く首を振る。


「お怪我は……? 兵は……?」


「無事だ。

 ……いや、無事ではないが、生きて帰った」


その言葉に、お悠の目が潤む。


「弥八様……」


秀政は、彼女の手を包み込むように握った。


「すまん。

 だが、帰る場所があるから、俺は戻れた」


お悠は涙をこらえながら微笑んだ。


「お帰りなさいませ」


その瞬間、

小さな影が秀政の腰に飛びついた。


「父上ぇぇぇ!!」


松丸である。


まだ幼い体で、全力で抱きついてくる。

秀政は思わず笑った。


「おぉ、松丸。

 大きくなったな」


「父上がいない間、母上を守ったんだぞ!」


胸を張る松丸に、秀政は頭を撫でた。


「そうか。

 ならば、父より立派だ」


松丸は照れながらも、誇らしげに笑った。


その横で、

お悠がそっと袖で目元を拭っていた。


伊勢の風が、

戦の匂いを吹き流していく。

芋粥家の灯りが、

ようやく秀政と家族を迎え入れた。


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― 新着の感想 ―
例えパフォーマンスでもこういう気遣いは大事ですね 特に一番早く広がる情報手段が噂の時代だと火消しが間に合わないから、小まめに目に見える形で良いイメージを発信し続けるのが一番労力がかからない 芋殿と長政…
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