第百五十七話 姫路防衛戦決着
秀政が手を伸ばす。
だが替えの鉄砲の準備ができていない。
この凄惨な光景に、農兵たちの手が止まる。
装填の動きが、そこで途切れた。
叱るとなく、秀政が彼らを見つめる。
(まずいな……これはまずい。
農兵はもう持たん。
このままでは、鬼兵も連鎖して崩れる)
歯を食いしばり粟屋の陣を睨む。
「これでは一刻と持たぬ……」
*
赤鬼側も凄惨だった。鬼首は欲しいが強すぎる。
そこで国人たちが考えるのは農兵の首だ。
毛利はこれほど羽振りの良い褒美をくれる。
十貫とは言わずとも農兵の首でも大きな価値があるやもしれぬ。
一攫千金のために鬼を狙う者と、農兵を執拗に狙う者に分かれる。
青鬼同様、赤鬼は農兵を守り切れず、大量の血が流れる。
こちらの戦いにおいても、秀政の悪い予感は的中しようとしていた。
*
その時、遠くから、太鼓の音が聞こえた。
敵、粟屋陣の背後で、土煙が上がる。
歴戦の鷺山の顔から、血の気が引いた。
「……援軍だ。とどめを刺しに来やがった」
秀政は陣中に連れてきていた伊賀忍者たちを全員呼ぶ。
そして神妙な顔で命じた。
「お前達、命をくれ。
敵を突破し、粟屋陣の後方の様子を探って戻れ。
小母衣の馬を与える。
半刻で戻ってくれ」
「「は!」」
秀政は伊賀忍者も大事に扱う。
この忍びたちの所属元頭領である、
阿拝監物から聞いた言葉を今でも覚えている。
『忍びも人の子』
だからこそ、使い捨てには、したことがなかった。
だが今、この場では違う。
秀政は、使い捨てる覚悟で忍びを放った。
忍びもまた、今までの働き口と違って人として接してくれる芋粥のため、
命を賭けた。
鷺山と同様、青鬼兵たちも敵の増援と思い、悲嘆にくれる。
ここで士気が落ちては、もはや立ち直れない。
「耐えよ!味方じゃ!味方が来たぞ!」
秀政が叫んだ。
意図して声を震わせる。
青鬼兵の目に生気が戻る。槍を握る手に力が入った。
鷺山が慌てて秀政に問いかける。
「殿!」
真に?
そう問いかけようとして止めた。
もし、味方であれば、無理に忍びを飛ばして確認は行わない。
言葉を止めた鷺山に秀政は静かに答えた。
「半刻耐えよ」
「は!」
*
半刻。
派遣した忍びの半数だけが戻った。
彼らは興奮気味に秀政に報告する。
それらの内容は全て一致した。
「羽柴軍三千が毛利の粟屋隊の背後より奇襲!
背後から突撃を行い、毛利二千を押しています。
挟撃する絶好の機会です!」
秀政が鼻息荒く、拳を握る。
「遅い!待ちわびた!」
そして青鬼隊全軍に向けて大声で叫ぶ。
実際には、それは敵国人衆に向けての叫びでもあった。
「青鬼隊、よく耐えた!
羽柴軍二万が粟屋の背後を突いた!
まもなく粟屋は首となり、
こ奴ら、国人どもは三倍の兵に囲まれて、
今度は――
獲物じゃあ!」
双方の兵が、一瞬動きを止める。
その後、青鬼兵が雄たけびを上げた。
「おぉぉ!!
獲物じゃあ!」
*
羽柴陣。
「兄者、道中、のんびりしすぎでは?
このままでは芋粥殿が討たれてしまう!
早ぉ全力で突撃しようぞ」
秀吉は薄ら笑みを携えたまま、諭すように言う。
「心配いらんわ。
芋は、あれで簡単に討たれる男ではない。
それよりもじゃ。
ここは最大限に芋に恩を売る場じゃあ。
そして儂らの名を上げる場じゃあ」
「いや、それはそうじゃが」
「それにだ、考えてもみやぁ。
今、全力で突撃してみろや。
儂ら羽柴が毛利の粟屋と全面対決じゃ。
この状況で、少しのらりくらりとしとれば、芋は立ち直る。
そこで挟撃じゃ。
そしたらの――
羽柴の兵は温存できるわい。
これから播磨は忙しうなるぞ。
兵は一人でも残さにゃならん。
功名だけ貰おて、最後まで芋の兵を使い潰すんじゃ」
小一郎が困ったような顔をした。
「兄者、あまり恩人に唾を吐かん方がいいぞ?」
「小一郎、心配するな。唾は吐くところを見せなければ、
どんなけ吐いても許されるのが武士じゃ」
秀吉が豪快に笑う。
「調子がええのぉ。
まさか芋粥殿も唾を吐かれた上に、恩まで売られるとは思うまいになぁ」
「ははは!
さて、芋を助けて、その恩とやらを最大限高値で売りつけるぞ。
全軍、突撃!
粟屋の汚ぇケツを蹴り飛ばしに行くぞ!」
*
芋粥陣。
鷺山が興奮したように、秀政に問いかける。
「殿!いつの間に羽柴殿と援軍の約束をしておられた?」
秀政はすました顔で答える。
「約束などしておらぬ。
秀吉のことだ。
あいつのことは、よく分かっている。
例え防衛であっても、俺に全てを任せない男だ。
最後の最後で旨い部分を食い逃げする男よ」
(だからこそ、この戦は負けない戦だった。
まさかこんな手を粟屋が打ってくるとは思いもしなかったがな。
予定を少し変更して俺に恩を売るつもりで慌てて出てきたんだろう)
「さすが殿!
秀吉殿のことは何でもお見通しですね。
このまま挟み込みますか?」
鷺山の問いに少し考えこむ。
(あいつ、まさか俺達にここまで痛手を背負わせながら、
まだ酷使する気か?
敢えて粟屋の背後まで回ってから、
すぐに突撃してこないところをみると、
どうやらそのようだな。
ち!これ以上、ただ働きで被害を背負ってたまるか!
俺だって兵の温存は必須だからな。
全く小憎たらしい奴だが、残念だったな。
俺はそんな簡単に乗せられんぞ)
秀政の口角が上がる。
「いや、ここは秀吉に任せる。
俺たちはただの与力だ。
ここで粘れば青鬼の損耗がもっと膨らむ。
そして赤鬼の損耗もだ」
「ではどうなされるので?」
鷺山が不思議そうに問いかけた。
普通に考えれば、ここは挟撃が最上策だ。
「挟撃を恐れて敵が混乱した隙に、
我らはここから逃げて赤鬼と合流する。
そして全戦力で敵の後背陣に穴を開け、
そのまま姫路まで逃げる。
秀吉は姫路を手薄にしておるからな。
俺たちで代わりに守ってやろう」
「……。なるほど。
少々疲れたので休みたいですしな」
秀政はにやりと笑うと、再び大声で両陣営に聞こえるように叫ぶ。
「青鬼兵、よく聞けい!
目の前の国人どもが粟屋隊と合流しては、
せっかくの粟屋を討ち取る機会を逃してしまう!
いざ……
おーや、なんじゃーとう!?
赤鬼隊が危険?
青鬼隊、敵を見逃してやれ!
一心不乱に後方へ走れ!
絶好の機会を逃すが、味方救援が第一じゃあ!」
少し芝居じみたが、この状況下で敵味方も正しい判断を出来る者が少ない。
秀政や鷺山が一目散に赤鬼兵の元へ走り出したのを見て、
青鬼兵は警戒しながらも、後退する。
少し距離が出来たら、秀政に付いて走り出した。
ほぼ全滅状態の農兵もそれに続く。
見逃されたのか、それとも追うべきか。
敵国人衆は判断が出来ない。
そして、既に青鬼討ちの功を得た者は、生き延びることを優先する。
敵を追わずに、さらには粟屋への救援すらも消極的になりつつあった。
まずは命を守るため、散開する者が現れると、
そのまま国人たちが手に入れた証を抱えて、
散り散りに走り出す。
青鬼兵は追撃を免れた。
鬼兵の損耗曲線は――
奇跡のように、そこで止まった。
先行して騎馬小母衣衆を長政に向けて派遣する。
『青鬼兵と合流して赤鬼兵は敵を突っ切り、姫路へ向かう』
長政も機転を利かせて叫ぶ。
もちろん敵に聞かせるためでもある。
「義父上が粟屋四千五百を千五百で討ち破られた!
今よりこちらに援軍に駆け付けて下さるぞ。
粟屋も既に討ち取ったそうじゃ!
四千五百と比べれば、こ奴らは大したことがないぞ!
血祭じゃあ!」
長政の叫びを聞いて、敵の背筋が伸びる。
そして言葉の通り、背後から土煙が迫るのが見えた。
国人衆の一人が、逃げる。
それをきっかけにして、一斉に後陣の国人衆たちが散り散りになった。
赤鬼と青鬼が合流する。
芋粥軍は、そのまま退却する国人衆を追いかけながらも、
深追いせず、姫路へと入った。
*
一方、羽柴陣。
先鋒が激しく毛利の粟屋勢とぶつかり合う。
そこに早馬が届く。
「芋粥勢、後方へ移動!
そのまま突っ切って姫路方面へ退却しました」
秀吉の顔が固まる。
「は?」
小一郎が笑う。
「唾は吐くところを見せなければ、
いくらでも吐いていいと思っているのは、
兄者だけではなかったようですな」
秀吉が悔しそうに呟く。
「くそぉ、芋め!
名前の割には、本当に食えん奴だぎゃ!」
ただ、そう言いながらも楽しそうだった。
「ふん、わしが認めた男じゃ。
そうでなければな!
よし、芋に頼るな!
我ら羽柴の力で毛利を追い返し、
今後の播磨調略に活かせ」
*
この戦いは羽柴の後方奇襲によって毛利が崩れ、
織田方の防衛成功として決着した。
姫路は守れたが、粟屋は討ち漏らしたことで、
播磨国人が一気に織田に流れるようなことは起きなかった。
しかしながら、これは織田の勝利であり、
羽柴勢は姫路に、そして播磨に確固たる足場を築くことに成功した。
芋粥にとっては、
今まで温存し続けた鬼兵を多く喪失することになった。
芋粥軍死者は、各五百において、
赤鬼隊 三十二名、
青鬼隊 百三十五名、
農兵 四百六十一名。
農兵の尊い犠牲のおかげで、あの状況下においても、
奇跡といえる二割弱の損耗で耐えきった。




