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新武将・芋粥秀政  作者: 得生
第十章 伊勢太守編(転戦編)

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第百五十六話 餌となる兵

飾磨の海沿いの平地に、

絶え間なく続いていたざわめきが、

ふと質を変えた。


それは風でも波でもない。

槍と槍が擦れる音とも違う。


敵陣の奥から、何かが走った。


伝令である。


声は届かぬ距離。

だが、それが何を意味するかは、動きが語る。


次の瞬間、毛利方の列が一斉に変わった。


それは合図であった。



最初に変わったのは、目である。


これまでの国人衆は、

押されれば止まり、危うければ引く。

数に任せて前へ出るが、死を好む兵ではない。


だが今は違う。


恐れが消えている。


代わりに宿ったのは、明確な欲であった。


勝ちではない。

功でもない。


「狩る」という意思である。


鷺山はその変化を即座に読み取る。


「気を付けよ。

 敵の質が変わった。

 来るぞ……!」


声が落ちる。


その直後であった。


敵が一斉に押し寄せる。


これまでの押し合いとは明らかに違う。

命を惜しまぬ動きではない。


狙っている。見定めている。

弱った者を、崩れた箇所を、遅れた一歩を。


それは、まるで捕食者の群れが獲物を追い立て、

弱みを見せる者を探り出すかのようだった。


視線が走る。

列ではなく、人を見ている。



青鬼兵の列が、わずかに揺れた。


密集は崩れていない。

だが、敵の狙いが変わっている。


これまでの敵は列を押した。


だが今は違う。


「個」を狙っている。


前列の一人が、半歩だけ体勢を崩した。


その瞬間、狙いが定まった。


五人、六人が同時に殺到する。


合図などない。

しかし、動きは一致していた。


青鬼兵は反射的に連携する。


左右が支え、槍が差し込まれる。

敵は刺し貫かれる。


だが――止まらない。


倒れた仲間を踏み越え、

さらに後ろから押し寄せる。


恐れがない。


いや、違う。


恐れよりも欲が勝っている。


遂に、押し返しきれぬ一瞬が生まれた。


五人が、体勢を崩した一人へ同時に襲いかかる。


支えに入る隣の者も、その一瞬だけは手が回らない。


狙われた一人は、複数の槍に貫かれた。


周囲の青鬼が即座に敵を刺し貫く。


だが、その間に遺体が引きずられる。


持ち去られる。


青鬼兵の目に、初めて明確な恐怖が宿った。


この動きは一点では終わらない。


武器が折れた者。

足を取られた者。

息が上がった者。


至る所でその全てが標的となる。


仲間の援護は間に合わぬ。


刺され、崩れ、引きずられる。


列はまだ保っている。

だが、その内側で確実に削られていた。


「……俺達が、狙われている……」


青鬼兵の一人が、遂に声を震わせる。


事実であった。


これまで彼らは狩る側であった。


主を守り、敵を押し崩す側であった。


だが今は違う。


三倍を超える敵に囲まれ、

常に押し寄せられる中で――


自らが獲物に変わっている。


青鬼兵にとって、初めての状況であった。


狩る側から、狩られる側へ。


その認識が広がる。


一人が守りに入る。

また一人が余裕を失う。


最も弱い箇所から、順に削られる。



この変化は、後衛にも波及していた。


赤鬼兵の側でも同様に狙われる。


だが、こちらは兵差が小さい。


七百五十に対して二千。

そして一人一人が圧倒的に敵に対して力量が勝る。


圧倒ではない。

ゆえに被害は集中しない。


結果として、損耗は前面の青鬼に偏る。


戦場全体の圧は、前へ集まっていた。



「勇気を出せ!

 今まで通り支え合え!

 それが最も生き残る!」


鷺山の声が飛ぶ。


理は正しい。

だが、間に合わぬ。


恐怖は理屈より早い。


秀政も嫌悪感を露わに青鬼の遺体に群がる敵を撃ち倒す。


「皆、怯えるな!

 お前達は鬼であろう!


 地獄の光景など珍しくはないはずだ!」


秀政の鼓舞ですら届かない。


青鬼兵の列に、初めて明確な“穴”が生まれた。

即座に後列が詰める。


農兵である。


槍を差し出し、列の綻びを埋める。


だが――

ここで、もう一つの変化が生じる。



引きずられた青鬼の遺体。


それに群がる国人衆。


首を掻く。


だが、首は一つしかない。

五人、六人が奪い合う。


掴み合い、押し合い、怒鳴り合う。


これは異常ではない。

戦国において、首級は曖昧である。


誰が討ったか。

どの首か。

証は何か。


確実な基準など存在しない。


ゆえに、奪い合いは常であった。


討っていない者が名乗る。

横から奪う。

首の代わりに武具や別の部位で証明する。



そして――

首が取れぬ者は、次を探す。


今回は鬼兜首が功の対象だ。

鬼鎧は立派な証となるが、首が必要だ。


ここで、思考は一つに収束する。


代用。


鬼の証を持ち、

首を持たぬ者が見る先は――


農兵であった。



一人の農兵に、複数の国人が襲いかかる。


槍を差し出していた手が、引き裂かれる。


抵抗する術はない。


農兵は戦うための兵ではない。

支えるための兵である。


青鬼兵は助けられない。


そこへ手を伸ばせば、

自分たち青鬼に隙が生まれる。


その一瞬で、自らが斬られる。

首だけではない。腕も足も斬り裂かれる。


選択はない。


青鬼兵は守りに徹した。

農兵が次々と討ち取られていく。


だが、それで列が薄くなる。


槍の供給が滞る。


支えが減る。

青鬼兵の負担が増す。


この流れは明確であった。


本来、鬼兵への懸賞策によって、鬼兵が狙われる。

それは時間とともに指数関数的に損耗を増やす策である。


だが、今は予想もしない展開に陥った。


農兵が先に狙われることで、

鬼兵の損耗は劇的に抑えられている。


だが、それは全く楽観できるものではない。

遅れて崩れる。


農兵という、支えが削られている。


つまり――

時間の問題であった。


「……まずい」


鷺山が息を呑む。


敵は理解している。


弱りを見つける。

隙を突く。

奪えるものを奪う。


このままでは、

いずれ鬼兵そのものが崩れる。


秀政も、長政も、同じ未来を見ていた。


だが――

その未来が確定する前に。


戦場の空気が、もう一度変わった。



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