第百四十五話 竜田川初日
芋粥家は、那古野時代より兵農分離を徹底している。
二十万石の大名として六千の常備兵を持つことは、
この時代としては限界に近いが、
政成とお悠の手腕によって、辛うじて成立している。
すなわち兵の質は、他家とは比べ物にならない。
だが、秀政はそこに過酷な能力主義を新たに植え付けた。
六千の内、三千を鬼兵とする。
すなわち、常備兵の半数が選抜兵である。
赤鬼兵、黒鬼兵、青鬼兵は各千。
赤鬼兵は秀政・長政直属の精鋭集団であり、
村瀬や比自山によって認められた一騎当千の武芸者集団である。
黒鬼兵は浅野が大将を務め、騎馬術、鉄砲術、砲術といった、
専門技能を持つ者や、浅野によって認められた、
冷静沈着、死をも恐れぬ不屈の精神を持つ精鋭集団である。
青鬼兵は鷺山が大将であり、戦場によって鍛え上げられた
勇猛果敢な好戦的な精鋭集団である。
毎年、村瀬や比自山、浅野、鷺山が、戦功や訓練状況の査定により、
六千名の常備兵から入れ替えを行う。
即ち、鬼甲冑自体が芋粥軍の中では羨望と競争の象徴である。
芋粥兵は二十石扶持である。
鬼兵になるだけで、それが五石上乗せされる。
鬼兵足軽頭や鬼兵足軽大将になるとさらに扶持が増える。
それゆえ鬼兵は、その地位に留まろうとはしない。
*
この竜田には赤鬼兵と青鬼兵を連れてきている。
黒鬼兵は伊勢の守備にあたり、大砲砲手として連れてきた者たちも、
今は大砲と共に伊勢に戻った。
今ここにいる鬼兵は――
血に飢えた超攻撃的な芋粥最強の二千だった。
秀政はその軍勢を見渡し、静かに言った。
「今日は軽く当たるだけだ。
深追いはするな。被害を抑えよ」
鷺山が頷く。
「承知しております。
敵も様子見でしょう」
長政は槍を握りしめ、前を見据えた。
「父上、私も前へ出ます」
「無茶はするな。
今日は“探り”だ」
秀政はそう言ったが、
長政の目には迷いがなかった。
*
午前。
両軍は竜田川を挟んで軽く衝突した。
槍が交わり、矢が飛び、
だが双方とも深く踏み込まない。
被害はわずかで、互いに探り合いの様相が濃い。
だが、時が経つほど動きが加わる。
「探りと殿は言われたが……。
俺の青鬼どもはそういう半端な戦いが苦手なのだ」
そう呟くと槍を構えたまま、横にいる日根野が制止するのを聞かずに、
前線まで駆け出た。
そして槍を突き合う最前線にくると馬上から叫ぶ。
「行け!
芋粥の最精鋭どもよ!
青鬼兵の恐ろしさを、
僧兵どもに思い知らせてやれ!」
その声を聴いた青鬼兵の目の色が変わる。
大将たる鷺山の目の前で武功を上げれば、
鬼兵の立場も安泰。
「おぉ!!」
それまでとは明らかに違う鋭さで槍が突き出される。
多少の怪我を顧みない猛烈な攻め。
“探り合い”のはずが、見る見る敵兵を討ち倒していく。
「行けぇ!行けぇ!」
鷺山の声が戦場に鳴り響いた。
*
「若、前に出過ぎです」
竹内が長政を制する。
だが、長政は敵の顔が見えるところまで馬を進めていた。
じっと前線の戦いを見つめる。
傍に控える佐治が馬上から弓を放つ。
乱戦の中、弓で長政を狙おうとした僧兵がことごとく射抜かれていく。
「そうです、若。危険です!」
矢を放ちながらも佐治が叫ぶ。
「ならぬ、戦を知らずして将足りえるや」
瞬きもせずに長政は前線で赤鬼兵に突き崩される僧兵を見つめる。
一息ため息を吐いた後、竹内が呟いた。
「それはそうですが……。今回きりですよ。
大将ってのは普通、後ろでズンとしているものです」
そこまで言うと大きく息を吸った。
「赤鬼兵!何をしておる!
若がここまで体を張っておられるのに、
お前達は日和見か!」
竹内の叫びを聞いて、赤鬼兵たちが一斉に長政を見る。
その瞬間、雄たけびと共に突き進んだ。
今までと動きが一段変わる。
次々と僧兵が突き崩されていく。
*
「強いな……。
赤備えを倒したというのも偽りではなさそうだ。」
頼廉が渋い顔のまま呟く。
「中央の赤鬼に一番押されている。
左翼の青鬼どももなかなかやる」
頼廉が伝令に伝える。
「中軍、崩れたふりをして後退せよ。
東の林まで誘い込め。
中軍に合わせて右翼も徐々に後退。
ただし前衛は防御に徹しろ。
青鬼どもには好きにさせるな」
(あの林には兵が伏せてある。
赤鬼どもを林から急襲し、
混乱したところで三方から押し包む。
多少の犠牲は仕方ない。
あの赤鬼からまずは潰す)
*
「敵中軍、崩れました。後退していきます!」
長政が馬上から敵を見据える。
(敵は崩れた。追うか?
いや、崩れ切っておらぬ。
整然後退している。
罠か?)
長政は歯を食いしばった。
「赤鬼兵、敵を追撃せよ!」
長政が命じると赤鬼兵が追撃に転じた。
それと同時に敵中軍は完全に崩れて撤退し始める。
「追え!」
(敵右翼も鷺山に押されて退き始めたか……)
長政は自分でも不思議なほど冷静に戦場を見渡していた。
*
「敵中軍、撤退。若殿、追撃に転じました」
小母衣衆が本陣の秀政に報告する。
秀政の顔色が一気に転じた。
「まずい!罠だ!
頼廉はそんなに脆くはない!
長政に伝えよ。深追いするなと」
小母衣衆が再び駆け出した。
*
中軍の赤鬼兵は逃げる敵兵を斬り倒しながら追った。
長政も馬上からそれを見つめながら追う。
(まっすぐ逃げておらぬ……)
その先をみる。
(林か……)
鷺山が追い立てる敵右翼も、中央寄りに後退していた。
長政が叫んだ。
「赤鬼兵!あの林には警戒せよ!」
竹内も声を合わせて叫ぶ。
「あの林には警戒だ!」
赤鬼兵たちは追い立てながら頷いた。
*
林の奥。
頼廉は伏兵三百を潜ませていた。
(南都と共に松永に当たる前に
消耗は防がねばならん……。
地道であれど、これが効く)
赤鬼兵が林の傍を通過するのを見て、
伏兵隊の隊長は手を上げた。
「今だ! 襲え!」
伏兵が一斉に飛び出す。
だが――
そこにいたのは、
村瀬と比自山が鍛え上げた 赤鬼兵。
剣豪隊、豪槍隊。
芋粥軍の“超精鋭”。
奇襲を受けたはずの赤鬼兵は、
一歩も引かず、むしろ前へ踏み込んだ。
長政が叫ぶ。
「来ると分かっておった!
奇襲など、我らには通じぬ!」
赤鬼兵が一斉に反撃した。
本願寺軍の突き出す槍は、いとも簡単にかわされ、
間合いを詰められる。
あるいは、それよりも早く槍を突き返されて、
先に貫かれる。
伏兵は一瞬で崩れ始める。
「な……何だこいつらは……!」
「押し返せん……!」
伏兵三百は、
奇襲を仕掛けたはずが逆に蹂躙される。
*
報告を受けた頼廉は歯噛みした。
(読まれていたか……!
しかもあれは精鋭……!
多度で突き崩せなかったあの厚い壁か)
伏兵側の被害は大きかった。
「まずい!中軍を戻せ。
踏みとどまれ!
このままでは右翼がやられる。
右翼は急速撤退!囲まれるな!」
矢継ぎ早に頼廉の指示を伝令が運んだ。
*
奇襲を退け、赤鬼隊が再び敵中軍に向き直る。
長政が叫んだ。
「反転!我らはこのまま青鬼兵と挟撃して敵右翼を殲滅する!」
竹内が目を丸くする。
だが、すぐに我に返って叫んだ。
「赤鬼兵反転!青鬼と共に敵右翼を挟撃!」
規律が整った赤鬼兵はすぐに反転して、
今度は敵右翼に向けて突撃を開始。
敵中軍は混乱して動けない。
軍を指揮する者が隊にいるか、あるいは本陣にいるか。
この差が如実に出た。
長政の中軍と鷺山の左翼が一気に敵右翼に襲いかかる。
*
「長政!?」
秀政は遠目に軍の動きを見る。
「ふ、やりおる」
秀政は胸をなでおろした。
*
頼廉が目を見開く。
「そう来たか!?
右翼はもうだめだ。本隊、中軍と左翼に合流し、
敵右翼に突撃する。
敵の弱点は右翼だ!」
頼廉は見抜いた。
この戦果のほとんどは赤鬼と青鬼によってなされ、
右翼、国人衆はどちらかというと本願寺左翼に押されていた。
「右翼はくれてやる。
だが貴様らの右翼もいただくぞ」
頼廉は移動しながら鋒矢陣に切り替える。
一直線に芋粥右翼に向けて突き進んだ。
*
敵右翼は赤鬼、青鬼に挟撃されて散々に討たれていく。
小母衣衆の騎馬が秀政の元に走る。
「大変です。敵本隊、中軍、左翼が合流して、
こちらの右翼に鋒矢陣で突撃を仕掛けてきます」
「まずい、あそこは数合わせだ。
赤鬼、青鬼に伝令、右翼撃滅は十分だ!
敵本隊を追え!」
小母衣衆が走る。
「……頼廉、転んでもただでは起きんか。
国人に犠牲が出ると伊勢支配に支障をきたす。
可能な限り救え……」
*
秀政の伝令を受けた赤鬼兵、青鬼兵はすぐに右翼救援に向かう。
鋒矢突撃の初撃により、右翼は多数の死傷者を出したが、
迫りくる鬼兵を警戒して、すぐに頼廉は引き下がった。
*
この竜田川の戦いは、敵右翼をほぼ壊滅させ六百を超える被害を与えた。
頼廉による最後の一噛みによって、右翼国人衆は三百近い被害を受けた。
総じてこの竜田川初戦は芋粥の大勝利といえた。




