第96話【番外編】プロポーズの裏側(前編)
ルーファスは先日父のもとに届いたフォートレル侯爵家からの手紙を懐から取り出すと、黙ってディオンに差し出した。ディオンはその手紙に目を通すと、完全にあきれ顔を浮かべた。
「話には聞いていたが……。ここまで来ると清々しいな」
「どうかしたしましたか?」
ディオンの言葉にエリーアスが眉を上げた。
最近、エリーアスはルーファスとともにディオンの執務室を訪れることが続いていた。
エリーアスにはフォートレル侯爵家の療養所に捕らわれていた人々の扱いについて、帰国後も何かと相談に乗ってもらっていたからだ。
「ルーファスの婚約者に妹のオフェリアをどうか、というご提案だ」
ディオンは端的にエリーアスにそう説明した。
「本当にそんな連絡が、レープ公爵宛てに」
エリーアスにもヴァルハルド帝国でのことは共有済みだった。
エリーアスはルーファスに同情の視線を向けた。
が、すぐに「ルーファスくんが妹君と再婚約するというなら、イザベルの婚約者は私が代わりを務めますから心配は無用ですよ」と微笑んだ。
(本当にこの男は……。この男が言うと、冗談なのか本気なのか、分からないところがある)
エリーアスはヴァルハルドとのつながりもあり、頼りになる存在だ。
が、イザベルに関わることになると、面倒なやり取りになる。
ルーファスはあからさまにムスッとした顔をした。
「するわけないでしょう。そんなに再婚に乗り気なら、シュトライヒ卿が妹君と婚約されては?」
ルーファスに睨まれたエリーアスは、ははっと笑うと「私はアニヤが嫌がりそうな相手とはちょっとね」と交わした。
「で、冗談ではなく、レープ公爵家ではなんと?」
エリーアスはルーファスに訊ねた。
「検討するまでもありません。イザベルとは既に婚約式を挙げて正式な婚約者になっています。特に問題が起こっているのならともかく、女神の前で交わした誓いをそう簡単に違えるわけがない」
ルーファスはすらすらと最もなことを述べた。
「イザベル嬢は、養護院での活動も積極的に行っているし、評判も良い」
ディオンの言葉にエリーアスも同意した。
「養護院の子どもたちもイザベルが来るのを楽しみにしていますからね」
イザベルの活動にイリーナやジゼルが続いたこともあってか、いまは彼女たちに憧れる令嬢たちも積極的に活動をするようになった。それを考えると、彼女の功績は大きい。
「まあ、女神の前で神聖な誓いを交わしたのはその通りだけど。いま思うと、あの婚約式は酷かったな」
ディオンの言葉がルーファスの胸を抉った。
ルーファスの顔が一瞬強張ったのを見て、エリーアスは嬉しそうに追い打ちをかけた。
「指輪の交換の儀式を無視して自分で指輪をはめましたし、誓いの口づけは省略、婚約式後の夜会のファーストダンスには声もかけなかったんでしたっけ?」
「そう。仕方がないので、あのときは私が声をかけたんだ」
「あのときは……ディオンだって、彼女を警戒していただろう!?」
「警戒はしていたが、何もあそこまで冷たくしろとは言っていない。そもそも、イザベルをヴァルハルド帝国へと迎えに行くのも、使用人に任せて婚約式までほぼ会わないし」
「……」
「イザベルもよく怒らなかったですね」
ディオンとエリーアスの言葉がルーファスの胸をグサグサと容赦なく切りつけた。
(二人とも他人事だと思って……)
まあ、言われても仕方がないスタートだったということは、自覚していた。
あのときは戦闘狂の娘を娶ることへの警戒心しかなかった。
こちらの態度に何か反応しようものなら、婚約解消も止む無しと考えていたし、しばらくは、彼女は父の手先ではないかと疑っていたのだから。
でも――。
(時が巻き戻るのであれば、出会いまで戻ってやり直したい……)
ルーファスは、イザベルを知れば知るほど、自分が取った最低最悪な態度を消し去りたいと思いにかられた。
(イザベルは根には持っていないとは思うが)
それにしたって、印象は悪かっただろう。
あの日のことをやり直すためにも、なんとか挽回しなければとは思ってはいるのだが。
そう。せめて、ファーストキスは最高に思い出に残るシチュエーションでする。
ルーファスは、改めてその決意を固くしていた。
◇◇◇
「それで、ロマンス小説はお読みになったの?」
「いや、まあ、一応。ざっと目は通した」
「目を通したとか、そういうことではありません。小説から、乙女心はきちんと学びましたの?」
「まあ、一応」
「一応ってなんですの?」
(本当はこんなこと誰にも相談なんかしたくなかったのだが)
一人で悶々と考えても仕方がないので、ルーファスはひっそりとイリーナに相談をしていた。
妹にこんな話をしたくはなかったが、エリーアスになど相談できるわけはないし、ディオンやレンナルトに相談しようものなら、一生茶化される。そうなると、相談相手は妹しかいなかった。イリーナであれば、イザベルのために真面目に相談には乗ってくれる。しかし、イリーナは思った以上に手厳しかった。イリーナの強い口調に、ルーファスは頭を下げるしかなかった。
「お姉さまはどんなことでも喜んでくださるとは思いますけれど、そういうことではありません」
「それはもちろん、その通りだ」
「お姉さまのお好みは探ったのですか?」
「好み?」
「お好きな場所とか」
「場所」
歯切れの悪いルーファスにイリーナは呆れていた。
お互いのためを知るために公爵家に来てもらっていたが、ゆっくりと二人で話す時間はあまり取れていなかった。
「デートとか、なさらないのですか?」
「デート……」
考えてみたら、デートらしいデートはなかった気がする。
養護院の慰問に付き添ったことはデートカウントして良いものだろうか。
いや、たぶん違う。
「ヴァルハルド帝国までの馬車の中では、ずっと一緒にいたが……」
「は?」
「え?」
「お兄さま、ちょっと私、軽く絶望しました。お兄さまがまさかそんなに乙女心の分からない男性にお育ちだとは」
イリーナは大げさに嘆いた。
「仕方がないだろう。イザベルが来てから、ロザリンのことやら、ヴァルハルド帝国のことやらで、何かと忙しかったわけだし。呑気にデートに誘う時間なんて……」
「そういうことは、忙しさではありません」
「お前はしているのか? ディオンと」
ルーファスがイリーナに訊ねると、イリーナはポッと頬を赤らめた。
(聞かなければ良かった)
「それはもちろん」と恥ずかしそうに答える妹を前に、ルーファスは自分の質問が愚問だと気が付いた。
「……サンルーム」
「え?」
「学園でサンルームには誘った。あそこは甚く感動してくれているようではあった」
「サンルームですか」
「お茶も好きだろうし、甘いものも好むようだ」
「いま人気のスポットであれば、エリーアス様の」
「嫌だ」
エリーアスのティールームが人気なのはルーファスとて知っていた。
エリーアスのティールームであれば、コネもあるわけだが。
ルーファスはイリーナが言い切る前に否定した。
イリーナも事情は分かっているようで、「ですわよね」とため息をついた。
「そうでしたら、王国らしい場所へ連れて行くのはどうです?」
「王国らしい?」
「お姉さまもセレフィード王国に来てからまだのんびり観光をしているお時間もありませんでしたし」
「確かに」
「カーターに聞けば、色々分かるのではありません?」
イリーナは名案とばかりにカーターの名を挙げた。
「カーターか……」
ルーファスはイリーナの案に同感しながらも、自分よりもイザベルに詳しい男がいることに胸のもやもやを隠せずにいた。
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