第93話 ハート湖へ
手綱を握るルーファスの前に座ったイザベルは、まるで後ろから彼に包まれているようだった。
ヴァルハルド帝国でもルーファスに乗せられ二人乗りはしたが、あのときとは状況が違う。軽く揺れる度にルーファスの身体に触れ、その度に落ち着かない心持になった。
(あのときはそれどころじゃなかったし、《たすく》も一緒だったし……。でも、今は――)
ルーファスの温度を背中で感じながら、イザベルは密かに顔を赤らめていた。
(イリーナが言うことを真に受けるわけじゃないけれど、ルーファス様もさっきからいつもと違うし……)
なんとなく居心地が悪く、使用人が用意してくれたランチボックスの取ってをぎゅっと握った。今日は外でピクニックをすると聞いていたので、昼食を用意してもらっていたし、昨日は料理人に無理を言って、クッキーを手ずから焼かせてもらっていた。以前ルーファスが気に入ってくれていたものだ。
『また、作ってもらえますか? 私のためだけに』
そう言ったルーファスが懐かしい。結局あの後、色々あってルーファスのためにクッキーを焼くことができていなかった。
(喜んでくれるかな……?)
イザベルは、クッキーを渡したときのルーファスのリアクションを想像し、思わずニヤついていた。
「イザベル」
すっかり妄想の世界の住人になっていたイザベルの耳に、ルーファスの声が響いた。
なんだか、いつもよりも甘く聞こえるのはイザベルの妄想だろうか。
名前を呼ばれただけなのに、胸がぐっと苦しくなるのを感じた。
静かに馬を止めると、ルーファスはさっと馬から降り、イザベルの手をそっと握り恭しくイザベルを馬上から下ろした。
陽の光を浴びて、いつも以上に輝いて見えるルーファスは、王子様そのものだった。
「ここって……」
ルーファスの手を取り、馬から降りると目の前に広がっていたのは「ハート湖」だった。
イザベルは湖を目にしながら両手で口を押えた。
感動で声が出ないイザベルの様子を、ルーファスは満足そうに見た。
「ハート湖です。今日は天気も良いから、絶景でしょう?」
『ハート学園で恋して』の世界で、「ハート湖」と言えば、攻略対象者とのメジャーなデートスポットだ。ハート湖で攻略対象者と口づけをすると、好感度が爆上がりするという初キス名シーンのスポットだ。ハートに見える湖は、陽光を浴びキラキラと輝いて見える。
(ゲームで見たスチルと一緒……!!!)
思わずイザベルは興奮した。と、同時にうるさいほどに胸が期待に高鳴っていた。
(ここに連れて来られたってことは……)
この世界はゲームそのものではない。でも、ゲームで見た景色でもあるのもまた事実なのだ。ハート湖がゲームと同じ意味合いの場所なのか、イザベルには分からなかった。が、ついルーファスとの関係の進展を期待してしまう自分が、確かにいた。イザベルのルーファスへの思いは、もう隠すことのできないものへと成長していた。攻略対象者としてではなく、政略結婚の相手としてでもなく、一人の男性として確かに彼に惹かれていた。
(もっと、近付きたい)
ルーファスはイザベルの手からランチボックスを受け取った。大きな樹木の下にシートを広げると、そこに座り二人で湖を眺めた。
「たまには、こういう場所でゆっくりとするのもいいでしょう?」
ハート湖の周辺をルーファスの手に引かれて散策した。
ルーファスは色々と湖のことを説明してくれていたけれど、イザベルの頭にはほとんど入っていなかった。
(ルーファス様と、ハート湖を歩いているなんて……)
イザベルを見て、時折目を細めるルーファスに、イザベルはドキドキが止まらなかった。
「じゃあ、ランチでも食べましょう」
そう言いながら、ルーファスが手際よく準備をしてくれていた。レープ侯爵家の料理人は外でも食べやすいようにサンドウィッチをペーパーナプキンに包んで用意してくれていた。前世の記憶があるイザベルはサンドウィッチにかぶり付くことに抵抗はなかったが、彼らは貴族令嬢が食べやすいサイズに用意してくれていた。
侯爵家の使用人の気遣いに感謝しつつ、イザベルは小さめサイズのサンドウィッチにパクついた。横に座るルーファスを見上げると、ルーファスはハート湖に反射する木漏れ日に目をやっていた。穏やかな表情を浮かべる彼は、久しぶりに心からリラックスしていた。イザベルはそんなルーファスを見て、自分の心が凪ぐのを感じていた。
(今日は二人でのんびり過ごすって話だったんだわ。一人で変に意識しないで、この時間を楽しみたい)
ヴァルハルド帝国から戻っての、一カ月。学園を休んでいたときの勉強をしたり、アビーの治療を進めたりとそれなりに忙しい時間を過ごしていた。ルーファスはイザベル以上に忙しなく王宮と学園、屋敷を行ったり来たりしていた。
「こんなのんびりした気持ちは久しぶりだ」
ルーファスはイザベルの手にそっと手を重ねた。
微笑みかけるルーファスに、イザベルは再び胸の鼓動をうるさく感じた。
が、この穏やかな時間をイザベルも堪能したかった。
「ずっと忙しそうでしたので心配していました」
イザベルは小さく微笑みながら、ルーファスを見た。
「実は療養所の件のことをシュトライヒ侯爵とディオンと相談していて……」
「え? 療養所の件って」
「フォートレル侯爵家の療養所の利用者のことです。療養所を半焼にして終わらないことは分かっていましたから」
イザベルはルーファスの言葉に目を見開いた。
ヴァルハルド帝国から帰国してから、祖国の人たちのことが気にはなっていた。
が、自分にできることを見つけることができずにいた。自分にはどうにかできる力はないと正直諦めていた。
(それなのに……)
「フォートレル侯爵家からは引き渡しの申し出があるようです。ただ、避難した教会はシュトライヒ侯爵が懇意にしている貴族と繋がりがあるところなので、とりあえずはすぐに引き渡しということにはなっていません。療養所の実態を明らかにして、フォートレル侯爵家の失脚に協力してもらえる貴族に声をかけているところです」
(まさか、ルーファス様が気にかけて動いてくれていたことなんて)
「あなたの生家を糾弾することに、手を貸すのは申し訳ありませんが」
「ありがとうございます。私ができないことをしてくださって」
ルーファスは、エリーアスやディオンと協力して、フォートレル侯爵家と政敵関係の貴族とやり取りをしてくれていたようだ。表立って盾突くことはできないようだが、裏では反フォートレル侯爵家の団結も高まっているようだ。
「それと――」
「はい」
「あなたの妹君のことですが」
「オフェリア?」
(諦めたと思っていたけれど、まさか……)
「フォートレル侯爵家から、父宛に婚約者変更の打診の手紙が届きました」
「え!?」
「もちろん、正式にお断りしております」
「あ、ありがとうございます」
ルーファスがオフェリアとの婚約を受けるとは思っていなかったが、改めて彼の口から聞くと安堵した。
「あなたとは正式に婚約式も行っています。養護院での活動など、あなたがこの国でしてくださったことは陛下もご存知です。そういったことも含め、陛下にも報告の上返事をおりますので、安心してください」
「そう、でしたか」
なんでも自分の思い通りになると思っているオフェリアが、この返事をどう受け取ったのか。
イザベルは知るすべはなかった。
「久しぶりに家に戻って改めて思ったんです。アビーだけではなく、使用人たちも、ずっと辛い状況に置かれていたんじゃないかって。自分が気付いていなかっただけで、彼らは彼らなりの苦しみを抱えていたような気がしたんです」
あの家にいたときは、自分のことばかりで周囲の様子に気付くことなんて出来ていなかった。
「ヘイデンのことも……」
大嫌いだと思っていた、横暴な幼馴染を思い浮かべた。
「ヘイデンだったら、私の腕の短剣を叩き落とすことなんて簡単だったんじゃないかと思うんです」
時間が経つにつれて、その不自然さに気が付いた。もしかしたら、ヘイデンは自分を助けようとしたのではないか。そんな甘い妄想にも駆られていた。自分は思っていた以上に、あの国でもいろいろな人に助けられていたのかもしれない。
「まあ、私はあの男を許すつもりはありませんが」
そう言ったルーファスの顔は、予想以上に厳しいものだった。
(あれ……? なんか、まずいことを言った?)
イザベルは急に厳めしい顔をしたルーファスの機嫌を取るように、クッキーの包みを広げた。以前ルーファスが気に入ってくれた猫型のクッキーにした。
「これは……」
「ルーファス様が、前、おっしゃっていたので。遅くなりましたが」
ルーファスは自分の言葉を思い出したのか、口元が緩んでいた。
が、急に真一文字に結ぶと「私を単純な男だと思っているのではありませんか?」と言った。
「え? 別にそういうつもりでは」と慌てるイザベルに、ルーファスはごにょごにょと何かを言った。聞き返すと、ルーファスは「食べさせてください」とイザベルに向かって口を開けた。
「え?」
「折角のデートなのに、あなたがあんな男のことを思い出させたんです。責任を取ってください」
「せ、責任って……」
「責任を取って、私の機嫌を取ってください」
そういうとルーファスは、もう一度イザベルに向かって口を開けた。
お読みいただきありがとうございました!
あと2話です!明日完結予定です!!
「面白い」と思っていただけましたら、ぜひ「ブクマの追加」や「リアクション」、「感想」、下の☆☆☆☆☆を★★★★★に変えて応援いただけますと嬉しいです!
皆さんの応援で執筆のモチベーションがアップします!!!
どうぞよろしくお願いいたします。




