第90話 会いたかった
腹部に当てられたエコー。
小さな黒い影。
生まれてくるはずだった私の「侑」。
不妊治療の末に授かった我が子を思い出した。
あなたに会えるのを待ちわびていた。
だけど……。
イザベルの瞳からぽろっと涙が零れた。
あの子とは出会うことができなかった。
前世では結局自分の子どもを授かることは敵わなかった。
イザベルの涙は、たすくの頬を濡らした。
その瞬間、たすくの声がイザベルの脳内に響いた。
《だーいせーかーいっ》
眠り続けるたすくの顔と、明るいたすくの声にあまりにギャップがあった。
突然響いたたすくの声に、イザベルは思わず笑ってしまった。
イザベルの様子の変化に、ルーファスが心配そうな顔をしていた。
イザベルは「大丈夫」というように、小さく首を振った。
(たすく、大丈夫なの?)
《ちょっと、力を使い過ぎちゃった》
(あんまり無理しないで)
《それはイザベルもそうじゃない》
(それは……)
《僕はイザベルに会うのを、待っていたんだ。ずっと、ずっと。イザベルを守れて、僕は嬉しい》
(でも)
《大丈夫。僕は今度は死んだりしないよ》
(……うん)
《でも、ちょっと回復に時間がかかりそう》
(回復って? 時間がかかるって?)
《ちょっとだけ、イザベルの前から姿を消すよ》
(え!?)
《でも、すぐに戻るから。大丈夫。心配しないで》
「たすく!?」
思わず声を出したイザベルに、車内の視線がたすくへと集中した。
丸まっていたたすくの姿がスーッと消えて行く。
皆の目にはもちろん、イザベルの目にも、たすくの姿が見えなくなる。
「待って、たすく。どこへ行くの!?」
イザベルの問いかけは、馬車の中に響いた。
脳内に響いた《たすく》の声は、今はもう何も聞こえない。
手のひらにあった確かな重みは、もう何もなくなっていた。
(たすく……)
イザベルは何もない手のひらを見つめながら、《すぐに戻る》と言ったたすくの言葉を反復していた。
「たすくは……一体……」
ルーファスは、突然姿を消したたすくを心配していた。
イザベルはじっと手のひらを見つめたあと、ルーファスを見た。
唇をきゅっと噛んだ。
「すぐに、戻ると、言っていました」
その言葉は、自分に言い聞かせているようだった。
たすくが姿を消した馬車は、セレフィード王国へと向かって急いでいた。
国境を超えると、エリーアスや伝令へと先に国へ戻ったカーターたちが待ち構えていた。
いつものエリーアスとは違い、鎧を身に纏った彼は辺境領の騎士そのものだった。
イザベルたちの馬車を見つけると、ボロボロになった皆をすぐにエリーアスの屋敷へと迎え入れてくれた。酷く慌てたエリーアスの様子に、皆の肩の力が抜けるのが分かった。
(ようやく……セレフィード王国に戻って来られた……)
馬車の中で身を隠すように縮こまっていたアビーやドリスの顔も、ホッと気持ちが緩んだのが分かった。屋敷へと着くと、今度はアニヤが泣きながら抱きついてきた。
◇◇◇
翌日。
ハンスはハンカチに包んだ“石”を見せた。
その宝石は、バーレントの剣の装飾の一部だったものだったという。
大きな宝石は見事にバラバラに砕け散っていた。
「魔石か……」
エリーアスは小さな欠片を手にした。
ハンスは頷いた。
「ルーファスくんの話を聞くと、ヴァルハルド帝国の魔道具の進化はかなり進んでいるようだ。バーレントが魔法を使っていたのは、おそらく剣に施された魔石が原因だ。ルーファスくんや《たすく》様から吸収した魔力を、この剣を利用して発動させていたのだろう。ただ、あまりの魔力量に制御が効かなくなったのか、魔石の効力が切れたのか、魔石が破裂したということだろう」
「訓練していない者が、見よう見真似で発動できるほど魔法の制御は簡単なものではないからな」
ルーファスの言葉にイザベルはいつかのアンガスを思い出した。
(確かにあのときも、アンガスはうまく制御できなくなっていた。魔法の発動と制御はまた別なものなのね)
「まあ、ルーファスくんの魔力だけでも強力なのに、《たすく》様の魔力まで吸収したとなると、その魔力を制御できるほどの魔石があるとは思えないな」
「ただ、ここまで魔道具が進化しているとなると、油断はできないな」
エリーアスは効力を失った魔石の欠片を見つけると、辺境領を預かる者らしく厳しい顔をしていた。が、すぐにアビーを見ると優しい顔を浮かべた。
「イザベルの大切な人を連れ戻すことができたことは、私も嬉しいよ。アビー、ここでゆっくりと休養してくれ」
「ありがとうございます。こんなによくして頂いて……どうしたら良いか」
「気にしないでくれ。イザベルの大切な人なら、私にとっても大切な人なのだから」
エリーアスがニコニコと笑顔を浮かべてそう言った。
「どういう意味ですか?」
エリーアスの言葉をどう受け取って良いのか、アビーが戸惑っていた瞬間、ルーファスの鋭い声が響いた。
「別に、そのままの意味だよ」
「誤解を与えるような言い方はしないでください。イザベルの婚約者は私です」
「分かっているよ。ただ、イザベルの大切な人を慮っただけじゃないか。相変わらず、心の狭い男だ」
エリーアスの言葉に、ルーファスがムッとした。
アビーは最初はきょとんとしていたが、事態を察したようでくすくすと笑った。
「お嬢様は良い方を婚約者になさったようで、アビーは安心しました」
不毛なやり取りを前に言葉を失っていたイザベルの耳元に、アビーがそう嬉しそうに囁いた。
お読みいただきありがとうございました!
残すところ、数話となりました。連休中には完結を迎える予定です。
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