第89話 たすくの横顔
「フォートレル侯爵、勝負あったということで宜しいな?」
ルーファスは地面に倒れたバーレントの首元に剣を構え、腹を片足で踏みつけた。
肩で息をするルーファスは、今にも倒れそうな様子だった。
が、バーレントを逃がすつもりはなかった。氷の槍に貫かれたバーレントの手の平からは、赤黒い血が流れ続けていた。それでも彼は既に粉砕された剣をいまだに握っているようだった。宙を見ているバーレントの瞳は、何が起こったのか分からないように彷徨っている。返事がないバーレントの腹をぐっと踏みつけると、バーレントは苦しそうに呻いた。
「うぅっ!!!」
「侯爵、それでは私たちは国へ戻らせていただく」
ルーファスの鋭い瞳に射抜かれたバーレントは、渋々首を縦に振った。
バーレントが倒れたことで、まだなんとか立ち上がろうと足掻いていた私兵たちの士気も下がっていた。まだ動ける私兵たちは、倒れた仲間やバーレントを運ぶために、再びルーファスたちを襲いかかる気力はなさそうだった。が、氷の槍を出現させ、私兵たちの眼前に向けた。
「余計なことを考えるようであれば、いつでもお前たちを射抜く」
そう言い放つと、私兵たちは静かに頷いた。ルーファスの氷の槍を突き付けられながら、バーレントや仲間の私兵たちを引きずって行った。その姿を見送ると、ルーファスはレンナルトに肩を借りながら、倒れたイザベルの元へと急いだ。
地面に打ち付けられたイザベルの顔を、馬が心配するように舐めていた。戦闘が終わった瞬間に飛び出したジゼルに手を握られたイザベルは、薄目を開けてルーファスを見た。バーレントとの闘いで、ルーファスの身体もあちこち傷だらけになっていた。
「ルーファス様……」
心配そうにつぶやくイザベルに、ルーファスは眉間に皴を寄せた。
「なんで君は……! すぐにこういうことを……。あなたは剣だって、魔法だって使えるわけではないのに、なんだってこんな……」
「そんな役立たずみたいに言わないでください……」
非難がましいルーファスに、イザベルは悲しそうな顔を浮かべた。レンナルトやジゼルからも、「言い過ぎだ」という、責めるような視線を感じていた。
「……役立たずだと言っているのではありません」
「一瞬隙を作れたでしょう? お父さまのあの顔。私が何かするなんて、想像していなかったのね。清々しました」
(なんでも言いなりになると思っていた私に砂なんてかけられると思っていなかったはずだわ)
イザベルはジゼルの治癒魔法のおかげで、なんとか起き上がると笑った。
ルーファスは自分もレンナルトに支えられているにも関わらず、イザベルに手を差し伸べた。イザベルは満身創痍のルーファスの手を握るか迷ったが、彼の手をそっと握った。なるべく彼の身体に負担をかけないように立ち上がると、何もない空の先に、セレフィード王国が見えた。
「《たすく》……」
いつもだったら心配して一目散に駆け付ける《たすく》の姿が見えない。
さすがの《たすく》も相当な体力が削られているに違いない。
辺りを見回すと、ハンスが両手の平の上に《たすく》を抱えながら駆けて来た。
ハンスの手の平の上に収まる《たすく》は、意識を失っているようだった。
「《たすく》!?」
「息はある……。ただ、恐らく力を使い果たしたのだと……」
「力を……? 大丈夫なの!?」
ハンスも「分からない」と首を横に振った。
(そんな……分からないって……)
ハンスは《たすく》の身体に負担をかけないように慎重に運んだ。馬車の中で待機していたドリスやアビーは、ボロボロになったみんなの姿を心配したり、申し訳なさそうに謝ったりしながら、流れる涙を止められないようだった。バーレントもいなくなったいま、あとはセレフィード王国へと戻るだけだ。
(折角これで終わると思ったのに……)
イザベルは何も語らず横たわる小さな《たすく》を手のひらに抱えながら、自分の力不足に臍を噛んだ。
「《たすく》様は偉大な精霊だ。《たすく》様の回復力を待つしかない」
ハンスはそういうと、そっとイザベルの手に《たすく》を委ねた。
イザベルは馬車の中で、眠るように目を閉じる《たすく》を見つめていた。
(どうして、力を使い果たすほど……)
小さな《たすく》が目を閉じる姿を見ていると、鼻の奥がツンと痛むのが分かった。
目が熱を持っていたが、込み上げる涙は飲みこんだ。
《たすく》は前世の記憶が戻った瞬間に現れた。
《会いたかった》《覚えてないの?》と聞いて来た。
あれが何を意味するのかは、結局分からないまま一緒にいた。
何を考えなくとも、一緒にいるのが当たり前のように心地よかったから。
(なんで自分の身を削るまで、私に力を貸してくれたの? 私がファーリン王国家の傍系だから? なんであんなに会いたがってくれていた? 《たすく》は確かに“私”に会いたがってくれていた。前世の私を知っているようだった)
イザベルは何故今までそのことに気が付かなかったのかが不思議なほどに、するすると記憶の糸が解けていくのを感じていた。
(《たすく》がどうかは分からない。でも、前世の私が本当に会いたいと願っていたのは……)
身を縮め、丸くなる《たすく》の横顔にイザベルはハッとした。
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