第82話 ヘイデン
扉の隙間から《たすく》が部屋の中を確認した。
その間、イザベルは誰かが廊下を通らないよう、祈るような思いで様子を見ていた。
《ルーファスとヘイデンしかいないみたい》
(他は誰もいない?)
《うん。でも、ルーファスは手足縛られてる》
(《たすく》、ルーファス様の縄を切ることとか、できない?)
いつもの感じであっさりと《できるよ》と言ってきそうな気がしていたが、今回ばかりは《できない》と《たすく》が言った。
《僕もやろうと思ったんだけど、なんでだか魔法が使えなくて》
(え!? 魔法が?)
《うん。ルーファスが捕まったのも、その所為かも……》
魔法の使用に制御をかけられたのだとしたら、ルーファスが捕縛されたことも理解できた。
(魔道具かもしれない)
《魔道具?》
(魔法無効化の魔道具の開発の話、聞いたことあるの。でも、そんな強力なものがもう出来ているなんて……)
セレフィード王国との緊張関係が続いていた頃、セレフィード王国では魔法無効化の魔道具の開発に多額の予算が注ぎ込まれていた。成功したという話は、イザベルが国にいた頃は耳にしなかったが、どうやら完成していたようだ。もしかしたら試作レベルなのかもしれないが、実用を試されるところまでは進んでいることは間違いない。
(魔法が使えないとなると……。本当に短剣の出番かもしれない)
イザベルはコルセットの下に隠した短剣に手をかけた。
(正直言えば、護身の意味合いが強いと思っていたけれど……。こうなったらレンナルト様のご指導通り……)
《イザベル、こんなときにごめん》
(《たすく》謝らないでよ! あなたにはやってもらうことがあるわ)
《え?》
(あなたにしか、できないことよ)
イザベルはしょんぼりしている《たすく》を励ますように微笑むと、廊下の小窓をそっと開けた。
◇◇◇
(3、2,1……)
客室の扉をそっと開けた。
扉の前に立つと、ヘイデンと目が合った。
ヘイデンはお仕着せを着たイザベルを見て、目を眇めた。
「イザベル……。なんのつもりだ」
ヘイデンがそう言うとルーファスが驚いたように首だけ後ろに向けた。
ルーファスの顔が見えた。半日会っていないだけだったのに、瑠璃色の瞳を懐かしく感じた。
(会いたかった……)
イザベル込み上げる思いを押し殺して、ヘイデンに向き合った。
「それは私の台詞よ、ヘイデン。ルーファス様を拘束するなんて、何を考えているの?」
「俺は指示に従っているだけだ」
イザベルは扉から少しずつソファの方へと歩いた。
コルセットに押し込んだ短剣の柄を後ろ手に握った。
ヘイデンはじりじりと近付く私を完全に馬鹿にした態度だった。
イザベル一人で乗り込んで来て、一体何ができるのだとでも言うような瞳だった。
イザベルは息をスーッと吸い込むと、短剣を前に持ち直すと一気にヘイデンへ向かって突き進んだ。
「短剣は接近戦でしか使えない。何かあったときは、一直線に走り込め」
レンナルトに言われた通り、体勢を低くし、短剣を落とさないよう両手でしっかりと握ったまま、まっすぐにヘイデンへ向かって走った。
イザベルの全速力にヘイデンは少し目を見開いたが、突撃したイザベルの背中に肘鉄を食らわせた。倒れ込んだイザベルの身体をあっという間に上から押さえつけた。イザベルはヘイデンの拘束から逃れようと身を捩った。イザベルは暴れながら仰向けになると、思い切りヘイデンの股間を蹴り上げた。まともに蹴られたヘイデンは一瞬苦悶の表情を浮かべた。
「この野郎ッ! 手加減してやれば良い気になりやがって……」
顔を赤くしたヘイデンはイザベルの頭を掴むと床へと押し付けた。
頭を床に打ち付けられた瞬間、ガンッと鈍い音が響いた。
「痛っ」
「イザベル!」
ルーファスが悲痛な声で叫んだ。
(高級絨毯のおかげで、多少痛みは和らいだけど。ヘイデンの馬鹿力が……)
馬乗りになるヘイデンを睨みつけた瞬間、「あらぁ」というわざとらしい声が響いた。
「まさか、お姉さま!?」
ヘイデンに押さえつけられているイザベルを見ると、ニヤァッとオフェリアは口角を上げた。
「お姉さまは本当に地べたに這うのがお好きなのね」
オフェリアは、アビーのときのことを揶揄していた。
オフェリアの後ろからは、イーデンが現れた。二人はヘイデンに押さえつけられているイザベルを見て、愉快で溜まらないようだった。
「あら。あなた、役に立たないと思っていたけれど、ついに使用人になることにしたのね? 珍しく懸命な判断だと思うわ」
「そうね。お姉さまだったら、私がセレフィード王国へ輿入れするときは、侍女として連れて行ってあげても良いわよ」
クスクスと、二人の悪趣味な笑い声が響いた。この家で嫌になるほど聞いたものだ。
逆らえば、やられる。ただじっと我慢をして災厄が通り過ぎるのを待つ日々だった。
でも、そんなこと、もう終わりにしたい。
「馬鹿なこと、言わないで」
イザベルはオフェリアをまっすぐに見た。
「あら。お姉さまごときが、私に口答えなさるの? 国を出られてから、ずいぶん伸び伸びなさっていたみたいね」
オフェリアは微笑を浮かべながら、ヘイデンに押さえつけられているイザベルへと近付いた。イザベルの顔の前で止まると、オフェリアはゆっくりと屈み、イザベルの顔を覗き込んだ。
「そんなお化粧、ヴァルハルドの女狐らしくないわ。髪だって、私が言った通りにしてくださらないと」
「あなたに……関係ないでしょう?」
「関係あるわ。だって、ルーファス様には本当のお姉さまを知っていただきたいんだもの。そうじゃないと、フェアじゃないでしょう?」
「……何よ。本当の私って」
オフェリアの瞳はまるで人形の目のようだった。
イザベルの問いに、不吉にニィッと笑った。縄で縛られているルーファスに微笑みかけた後、ヘイデンを見た。
「ヘイデン、お姉さまの乙女を散らして頂戴?」
オフェリアは、ヘイデンに甘えるように小首を傾げた。
さすがのヘイデンも、オフェリアの指示に「は……?」と声を漏らした。
「いくらお姉さまにルーファス様が心を寄せられていたって、“男好きの女狐”として名を馳せているお姉さまをご自分の目で見られたらどうかしら?」
「あなた……何を、言っているの?」
イザベルは震える声で、オフェリアを咎めた。
イーデンはオフェリアの突飛な提案に少し驚いたようだったが、止める気はないようだった。イーデンは、どこまでもオフェリアの好きにさせている。オフェリアは、周囲の反応などお構いなく、名案とばかりに話し続けた。
「ヘイデンだったら良いでしょ? 幼馴染で気心も知れているし」
「ヘイデン、どうかしら? 私のために、お願いできる?」
「どうって……」
「お姉さま、女性らしいお身体ですもの。ヘイデンも満足できるんじゃなくて?」
「し、しかし。オフェリア様、それは……旦那様にも……」
「お父様はルーファス様の婚約者になるのが、私でもお姉さまでも構わないのですって。ですから、この件は私の一存に任せていただいているの。だから、心配しなくても良いわよ。そうだわ。ヘイデン、お姉さまとお子を成したら侯爵の道も開けるのではなくて?」
「いい加減にして」
「あら。まだそんな目をする元気があったの? ねえ、お姉さま。お姉さまがこの屋敷に来ることなんて、初めから分かっていたのよ。まあ、お一人で来るとは思わなかったけれど」
オフェリアは立ち上がると、イザベルの頭を踏みつけた。
「そこまでお馬鹿だとは思わなかったの。でも、よくこの部屋まで入って来られたわね。それは褒めてさしあげるわ」
「オフェリア、こんなことをしてもルーファス様は手に入らないわ」
「あら。お姉さまったら何がお分かりになるの?」
「ルーファス様はまっすぐな方だわ。こんな曲がったやり方で、お心を動かすとは思えません」
イザベルはオフェリアに足蹴にされながらも、オフェリアを睨みつけた。
「そう……。私、お姉さまのそういうお馬鹿なところ、大嫌いだわ」
オフェリアはそういうと、低い声でヘイデンの名を呼んだ。
「あなたは、私のお願い、聞いてくれるでしょう?」
ヘイデンは戸惑いながら、イザベルを抑えつける手を緩めた。
その瞬間、ヘイデンの後頭部をルーファスが思い切り蹴り上げた。
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