第78話 不穏な朝の気配
いつ寝付いたのか分からない。
昨夜は考えても仕方がないのに、中々寝付けずにいた。
ただ黙って目を閉じ、夜の静けさを感じていた。
馬の足音が微かに聞こえ、もう朝になったのだろうかとベッドの上で目を開けた。
イザベルの目覚めの気配を察したのか、《たすく》も傍らまで飛んで来た。
「おはよう《たすく》」
《おはよう、イザベル》
部屋はまだ薄暗い。朝が始まる活動の気配もしない。
にも関わらず、確かに馬の足音が遠ざかる音が聞こえた。
イザベルは嫌な予感がし、カーテンを開けた。
窓の外は何事もなく、静かだ。
しかし《たすく》も何かを感じたのだろう。
《ちょっと見てくるね》と、窓から外へと出て行った。
(気にし過ぎだった?)
どんよりとぶ厚い雲が、空を覆う。今にも雨が降り出しそうだ。
地面をぼんやりと眺めていると、地面の一部が変に凹んでいるようにも見えた。
何でない朝なはずが、少しずつ違和感がある。
(何だろう……)
《イザベル、フォートレル侯爵家の馬車だった!》
《たすく》が慌てて戻った。
「フォートレル!?」
フォートレル侯爵家の馬車が意味もなく来るはずがない。
イザベルは身支度を終えると、隣室のルーファスの部屋へと向かった。
何度かノックをしたが、反応がない。寝ているのかもしれないと思ったが、こんなに反応がないのはおかしい気がした。
「ルーファス様?」
イザベルは失礼を承知で、ルーファスの部屋の扉を開けた。
室内には人の気配が全くなく、静まり返っていた。
ソファにも、ベッドにも、つい先ほどまでいたような様子すらない。
「いない……」
室内は完全にも抜けの空だった。
◇◇◇
「部屋は荒らされた形跡はないが」
「前庭の地面は変に凹んだ箇所もあるし、植栽も枝が折れて散らばっている」
「フォートレル侯爵家が、ルーファス様を誘拐したとしか思えません!」
ルーファスの部屋で事情を確認したあと、宿周辺を手分けして確認した。
前庭の不自然な状況、フォートレル侯爵家の馬車、ルーファスの不在。
どう考えてもおかしかった。
「まあ……」
イザベルの断言に、レンナルトは頭を掻いた。
「でも、誘拐なのかな。何か話が合って着いて行ったのかもしれないし。待っていたら戻って来る可能性も」
「ルーファス様が黙って外出されるとは思いません。しかも、今日が大切な人だということは重々承知しているはずです」
「でもさ、普通、娘の婚約者を誘拐はしなくない?」
「普通の感覚で考えないでください」
イザベルは同意を求めるようにドリスを見た。
ドリスは躊躇いなくイザベルの言葉に同意した。
「ルーファスを救出に行くことを優先した方が良いな」
黙っていたハンスが、冷静に断言した。
イザベルもそう思ったが、心配そうなドリスの様子を目の端で捉えた。
(フォートレル侯爵家が何かしら動いているとなると、アビーを連れ出す計画もかなり厳しくなる……。ルーファス様は助けに行かなければいけないけれど)
レンナルトとハンスは、ルーファス救出に向けて相談を始めていた。
《イザベル、僕は大丈夫だよ》
《たすく》はイザベルの考えを読んで、声をかけた。
(危ないかもしれないけれど……)
「あの」
イザベルの声に反応し、皆の視線が集まった。
「ルーファス様の救出は、私と《たすく》が行きます」
「え? イザベルと《たすく》だけで?」
レンナルトの問いに、イザベルは決意するように深く頷いた。
「でも」
「私はフォートレル侯爵家の人間です。《たすく》も着いていますし、さすがに私を殺すことはないと、思います」
イザベルはそう口にしながら、内心はそうは思っていなかった。
ゲームではイザベルはあっさり父に裏切られて処刑されている。
フォートレル侯爵家は、そういう家だ。
利用価値がなくなった者は、家族であろうがすぐに切り捨てられる。
おそらく、みんなもそのことが分かっていたのだろう。
心配そうな沈黙が続いた。
「フォートレル侯爵家がルーファス様を誘拐したのだとしたら、ある意味アビーを救出するのにはこれ以上ない好機だと思います」
イザベルはドリスを見た。ドリスは眉根を寄せ複雑な表情をした。
ルーファス様の誘拐を企てたのなら、そちらに人員を割くはずだ。
「ハンス様、レンナルト様、ジゼル様は、計画通りドリスと一緒にアビーを救出してもらいに療養所へ向かってもらって、私と《たすく》はルーファス様を救出に」
「でも、別れて何かあったら」
(何かあったら……。最悪どちらもうまく行かなかったら。前の世界では、二兎追う者一兎も得ずって言うんだったわ)
イザベルは自嘲気味に小さく笑ったが、「でも」と思い直した。
「ハンス様はセレフィード王国一の魔導士と伺っております。レンナルト様も素晴らしい騎士です。ジゼル様も希少な癒しの力を使うことできる。皆さんの力をお借りできることが分かって、私も、ドリスも、光が見えた気がしました。ここで、諦めたくありません」
どちらかを切り捨てることはできない。
「ルーファス様が水魔法の達人だということも承知しております。《たすく》という最強の味方もおります。仮にフォートレル侯爵家が、私兵を上げて挑んできたとしても、なんとか逃げ切れるのではないかと思っています」
レンナルトとジゼルは、それでもまだ心配そうな顔をしていた。
イザベル自身、楽観的な観測を述べている自覚はあった。
(うまくいかない可能性の方が高いのかもしれないけれど)
「まあ、そこまで言われたら、やらないわけには行かないんじゃない?」
ハンスが渋い顔をするレンナルトにウインクをした。
「アビーの療養施設の守衛たちくらいなら、何人いようと訳ないでしょ」
「……アビーの救出が終わったら、すぐに駆け付ける」
レンナルトにとってもルーファスは大切な友人だ。
レンナルトは固い声でそう言った。
「イザベル様、無理はなさらないでくださいね」
ジゼルが心配そうもそうイザベルの手を握った。
「ええ、大丈夫よ。そうだ。レンナルト様、もう一つお願いがあるのですけれど」
「何だ?」
「予備の剣を貸してくださいませんか?」
「はあ?」
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