第76話 ルーファスの誘拐
(油断した。自分の甘さとしか言いようがない)
ルーファスは両手を後ろ手で縛られ、両足も縄で縛られていた。口には猿轡がわりなのだろう、布が詰め込まれていた。
早朝のことだった。
ルーファスは早く目覚めた。今日のアビー奪還が気にかかっていた。
準備に抜かりはないはずだったが、嫌な予感が消えなかった。
それほど、イザベルの父――フォートレル侯爵は嫌な男だと感じていた。
自分たちの思惑を知って既に手を打っているのではないか。
あの訳の分からない茶会には、顔は出さなかったが彼が知らないとは思えない。
では、何故姿を見せなかったのか。
(あまり気にし過ぎても仕方ない。今はアビーのことに集中すべきだ)
頭を切り替えるために部屋を出たのが間違いだった。
夜が明けたばかりで、辺りは薄暗い。深夜に降った雨が影響し、じめっとした空気が肌に纏わりついた。雨は止んでいたが、雲は分厚く空を覆い尽くすようだった。
光の見えない空が、解決の糸口が見いだせないことを暗示するように思えた。
(自分がこんな思いでどうする。イザベルの不安を取り除くと決めたんだ。アビーを奪還して、彼女の不安を消して、そして何にも縛られなくなった彼女に自分の思いを告げて、そして――)
ルーファスは守るべきものを意識して、初めて自分の弱さを感じた。
失敗をしたときの挽回策など、何通りも考える癖はついていた。
必要によっては、何かを切り捨てることの覚悟も持っていた。
そういう教育を散々受けて来た。
時に非道で有らねばならない。
それが、王太子の側近の役割で、ルーファスが課された宿命だった。
自分の感情は、いつだって二の次だ。
国のためになるなら、自分の感情が犠牲になるのは当たり前だ。
だから、イザベルとの婚約も当たり前のこととして受け入れた。
でも――。
何かあったとき、イザベルを切り捨てられるか。
いや、イザベルだけではない。
イザベルが大切にしているドリスやアビーを、切り捨てられるか。
そう考えると、感情が揺れた。
(それだけ自分の中でイザベルの存在が大きくなったということか。仮にオフェリアとの再婚約を王命の名で下されたとしたら、自分はそれにあっさりと従うことができるだろうか)
答えは火を見るよりも明らかだった。
(そうならないためにも、アビーを奪還して一日でも早く王国へ戻る)
ルーファスは朝の静けさの中、そう強く誓った。まだカーテンが開いていないイザベルの部屋を見上げた。
(イザベルも眠れない夜を過ごしているかもしれない。イザベルを不安にさせたくない。イザベルを守るのは、俺の役割だ)
じめっとした風が一瞬微かに揺れた気がした。
ハッとして後ろを見ると、早朝の穏やかな風景に似つかわしくない男が立っていた。
(――いつの間に……)
自分の身分を隠す気のない男の服には、フォートレル侯爵家の紋章が入っていた。
「こんな朝早くに一体何の御用ですか?」
ルーファスは、男に向き合った。目の前の男以外に、姿を隠している者の気配を屋敷の影から感じた。
(二人? いや、木陰にもいるのか……?)
宿には護衛もいたはずだが、フォートレル侯爵家の間諜なのだろう。隠密行動に長けているようだ。
「ご主人様が貴殿に御用があるようで、お迎えに上がりました」
「今日は用があるのでお断りしたい」
口調の丁寧さとは違い、潜んでいる男たちからは殺気を感じた。
目の前の男も、帯剣をしている。
(穏やかにお断りするのは無理だろうな)
丸腰のルーファスは、目の前の男に向かって氷の槍を放った。
が、氷の槍は男の頬を掠めることなく、自分の目の前でパリンと割れた。
(なっ……――氷の槍が跳ね返された!?)
予想外のことに驚きながらも、剣を振り上げる男の太刀を読みスッと身体を反らした。男の剣はルーファスの身体から逸れ、地面に深々と突き刺さった。かがんだルーファスは下から男へ氷の槍を放ったが、再び男の身体を貫く前に氷は割れた。
(なんだ? 一体。もしかして――)
ルーファスの魔法が弾かれる瞬間、男の指にはめられた指輪がキラッと光るのが分かった。
(魔道具か)
ヴァルハルド帝国では、セレフィード王国との戦争に備え、魔法を無効化する魔道具の開発が熱心に行われているという話を耳にしたことがある。セレフィード王国がヴァルハルド帝国と和平を結ぶことになったのは、聖女不在の期間が長かったこともあるが、魔道具開発の進歩も理由の一つだった。
(ここまで進んでいるとは……。しかし、魔道具と言えど何度も弾けるわけではないはず)
影に潜んでいた男たちも現れ、ルーファスを取り囲むように5人の男が姿を現した。
(5人もいたのか)
ルーファスは男たちに氷の槍を放ったが、先ほど同様に氷は男たちの身体を貫くことなく割れた。
(まずい。この数だと……――)
男たちが振りかざす剣を避け続けるのにも限界がある。
ルーファスは一人の男の太刀を避けたところで、もう一人の男にみぞおちを殴られた。
みぞおちを殴られた瞬間、重い音が聞こえた。
痛みを感じる前に、もう一人の男がルーファスの口にハンカチを押し当て何かをかがせた。その瞬間、プツリと意識が消えるのが分かった。
そして、いま――。
どこかの室内で転がっていた。壁際には意匠が凝らされた剣や盾が飾られている。
(フォートレル侯爵家か……)
男たちの服からも分かり切っていた。
ルーファスは腕や足に巻かれた縄を外そうとしたが、頭がぼんやりしているからか、何らかの魔道具の影響なのか、魔法が全く利かなかった。
(くそっ――。一体、どういうつもりなんだ)
セレフィード王国の公爵家の息子を誘拐するなんて、どうかしている判断だ。
(まさか、戦争でも仕掛けるつもりか? 和平条約を結んだばかりで? 救国の聖女が出現したセレフィード王国に戦争を仕掛けるなど、さすがのヴァルハルド帝国もやらないと思ったが甘かったか)
ルーファスが何とか抜け出す策を巡らしていると、静かに扉が開いた。
カーテンが閉め切られて薄暗い部屋に僅かな光が漏れた。
(いまは何時くらいなんだ?)
カツッと靴音が聞こえた。
扉から入って来る者を見ようと身を捩ると、ビジューが付いた金色の靴が目に入った。
(フォートレル侯爵ではないのか!?)
視線を上に向けると、静かにほほ笑むオフェリアの顔があった。
「ごきげんよう、ルーファス様」
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