第75話 たすくの秘密
「ただいま」
ハンスが宿に帰宅したときには、明日の打ち合わせも準備も一通り終わったときだった。
「ハンス、遅いよ」
実行日の決定に伴い、護衛の一人を急ぎエリーアスの元へ走らせた。不足の事態が起きたときは、国境沿いでエリーアスの力を借りる算段だ。紋章の入っていない馬車の手配や、姿を隠すためのマントや衣類などはエリーアスが事前に口利きしてくれたり用意してくれたりしたものがあったが、念のため帝国の量産品も手に入れることにした。
「明日の夜かぁ」
ハンスは少しがっかりしたように肩を落とした。
「何? ハンスはまだいたかったの?」
「ああ。実は《たすく様》の手がかりが掴めたんだよ!」
ハンスは嬉々として鞄の中から数冊の本を出した。
レンナルトは面倒なことを聞いたとばかりに、目を細めた。
「王国の書物にはなかったが、あったんだよ。黒髪の精霊の文献が!」
ハンスは古文書を手に興奮するように説明を始めた。あまりの興奮振りに、《たすく》は嫌そうな顔でイザベルの後ろに隠れていた。
「へぇ……」
「すごいですわね」
ハンスのテンションの高さに、レンナルトもジゼルも引き気味で相槌を打った。
「ヴァルハルド帝国の文献ですか?」
ルーファスが片眉を上げた。
「ヴァルハルドって言うか、正確にはファーリン王国の書物なんだ」
「なるほど。ファーリンのものなら精霊の書物は多そうだ」
ファーリン王国は、元はセレフィード王国の隣に位置していた小国だ。魔法と精霊の国と言われるセレフィード王国と並び、小国ながらも精霊が守りし王国として他国からも尊敬を集めていた王国だった。が、60年以上前に、ヴァルハルド帝国に侵略され、今は帝国の一部となった。
「よくそんな文献をすぐに手に入れられましたね」
「研究者同士のネットワークがあるからね。ヴァルハルドに来ると決まったときに連絡を取っていたんだ」
ルーファスはハンスが同行しようとした理由が腑に落ちた。
(こいつは《たすく》のことを調べたかっただけか。まあ、ハンスはセレフィード王国外にも名の知れた魔導士だし。彼の名であれば、それなりに協力してくれる研究者もいるということか)
「もう少しここに滞在できれば、《たすく様》のことも色々調べられたんだが」
《たすく》は、今日もハンスには姿も見せない。
(まぁ精霊はそもそも気まぐれなものだというし。ハンスみたいにやたらと構って来る人間は好まないんだろうな。ハンスにとっては残念なことだろうが……)
「ファーリン王国の文献に、黒髪の精霊のことはどう書かれているんです?」
イザベルは興味を持っていた。
「どうって。まあ、概ね《たすく様》が言っていたような話ではあったけどね。通常の精霊と違って、黒髪の精霊は複数の属性がまたがるようだ。ただ、黒髪の精霊が人間と契約を結ぶことは稀みたいだけどな。この書物でも、ファーリン王国の王女と契約を結んでいたらしいということくらいで」
「そうですか……」
《たすく》はハンスの解説を微妙な顔をしながら聞いていた。特に自分からは何も話す気はないようだ。沈黙を貫いていた。
「イザベル、何かあるのか?」
「いえ。《たすく》が何で私と契約を結んだのかは分かりませんが……。私の母はファーリン王国の王家に連なる家系ではあったので……」
「そうだったのか!」
ハンスがイザベルの言葉に目を輝かせた。
「ファーリン王国の血筋というのは関係があるのかもしれないな」
「傍系ですけれど」
「いやいや。それでも、ファーリンの神話では王族は精霊と契約して国を発展させて来たとあるだろう」
「それはそうですけど。もうずっと以前の話で、少なくとも私の母も、祖父母もそのような力は有しているようには見えませんでした。王族の方々も精霊と契約をしている方は既にいなかったのだと思います」
「だからヴァルハルド帝国に滅ぼされたということか」
イザベルはコクンと頷いた。
古くから精霊の国と称えられていた王国は、武力の力に勝てなかった。
セレフィード王国は、ファーリン王国と違い、現在も魔法の力を多用している。そのため、ヴァルハルド帝国も中々手は出せなかったのだろうが、ロザリンが現れる前は聖女不在の期間も長く、国防が危機に晒されていたのは間違いない。
「まあ、理由は分からないにしても、《たすく様》がイザベルに力を貸してくれているのは事実なわけだし。アビーを連れて帰れば、安心なわけでしょ?」
イザベルの緊張がハンスに伝わったのだろう。
「俺だって、世界有数の魔導士なわけだし。君の父親は厄介なのかもしれないけど、アビー一人くらい奪還させることはできるよ」
ハンスの言葉に、レンナルトやジゼル、ルーファスも、イザベルとドリスを穏やかに見た。イザベルもドリスも、セレフィード王国へ渡ったことを心から感謝した。
(この国を出なければ、ずっとあの家に捕らわれ続けていた。大丈夫。みんなが力を貸してくれる。きっと、アビーを連れてセレフィード王国へ帰れるはず)
イザベルは皆の笑顔に、勇気をもらっていた。アビーは奪還できる。
このときは本当にそう信じていた。
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