第71話 妄想
ルーファスは紳士の笑顔を張り付けてイザベルの部屋の扉を閉めた。
(あっ……ぶな……。よく耐えた俺)
ルーファスは気持ちを落ち着けるため、ゆっくりと息を吐いた。
イザベルの隣の自分の部屋へと戻ってベッドにドカッと座った。
(あんな……キスを強請るように……目を……)
先ほどのイザベルを思い出すと、抑えきれない劣情が湧くのが分かった。
ポテッとした少し厚めの下唇がセクシーだと思ってしまった。
(あの感触を……確かめたい。最初は優しく触れて、その後少しかじって感触を……)
落ち着こうと思っているのに、妙な妄想で頭が支配される。
(ああっ。そういうことじゃない! 初めてのキスは、ロマンチックな場所で、完璧なシチュエーションを整えるって決めたんだ。……今日は、イザベルは不安定になっていた。そんな彼女の不安を利用して、自分の欲望のままに触れるなんて……――そんなこと、やっていいわけがない)
『あれにも、君の誘いは丁重に受けるよう、指示している』
下卑た視線が溜まらなく不快だった。
同性だからと言って、自分を同類に置いているかのようなあの口調。
何度思い出しても、イザベルの父・フォートレル侯爵は不快過ぎる男だった。
(あんな男がイザベルの親だなんて、信じ難い。イザベルの不安を埋めたいと思った。抱きしめて、安心させたかった)
公爵家に住まうようになってから「婚約者の距離感」を口実に、イザベルと抱擁をした。自分の身体とは違う、柔らかで繊細な身体は触れていると心が凪いだ。密着すると、彼女の鼓動を感じて、彼女も自分と同じ気持ちだと思えた。
(最初はそれで満足していたのに……)
抱擁を繰り返す度に、イザベルの香りに自分の劣情が掻き立てられていた。
優しく触れていたいのに、彼女を乱したいような欲望にも駆られる。
自分だけが知っているイザベルを見たい。
彼女の特別になりたい、という感情は綺麗事ばかりではなかった。
(もちろん、そんな欲望のままに……彼女と接するつもりはないが――)
フォートレル侯爵の言葉が不快だったのは、自分の心の奥底を見透かされているような気がしたからなのかもしれない。
(あの男と……自分は、絶対に違う。絶対に……。私はイザベルを思い通りにしたいと思っているわけじゃない。イザベルに優しく……)
何度も自分に言い聞かせるように繰り返していた。
が、相反する思いを抱いていることは、自分が一番分かっていた。
(ああ……)
ルーファスは無意識に自分の唇を指でなぞった。
(あの……唇を……。いや、でも……初めてのキスは――。初めての……。そういえば、イザベルは……? イザベルはキスを、したことがあるのだろうか?)
ふと妙なことが頭を過った。
夜会でのイザベルは男どもに囲まれていた。
(“ヴァルハルドの女狐”なんて、本当のイザベルに相応しくないあだ名だとは分かっている。でも、あの父親だ。俺にだってあんなことを平気で言う男だ。娘に変な指示を出したっておかしくない。イザベルが私以外の男と――……)
イザベルが自分以外の男と口づけをするところを想像して、今度は頭がカッと熱くなるのを感じた。
(いや、したとしても、私と出会う前なんだから……。イザベルが悪いわけじゃない)
――頭では分かっているのに。
自分の勝手な妄想の中の見知らぬ男への憎悪を止められずにいた。
(イザベルは……さっき、私と口づけをしたいと思ってくれたのだろうか。だとしたら、口づけに応えなかった私を……つまらない男だと……思っていたら……)
誠実であろうと思うばかりに誘惑に打ち勝ったつもりが、今度はその判断が誤りだったような気がしていた。
(ああ……。もう、イザベルは辛い思いをしているというのに、私は何を考えているんだ。いまはアビーの奪還に集中するときだ。余計なことを考えるな)
ルーファスは止まらぬ妄想と必死に戦うよう、ベッドに顔を突っ伏しながら、枕をかぶった。
◆◆◆
「イザベル様、顔色があまり宜しくないようですけど……」
ジゼルが朝食を食べ終わったあと、イザベルを心配するように声をかけてくれた。
「あ、うん。ちょっと……眠りが浅かったみたいで……」
イザベルは小さくあくびをかみ殺した。
「夜会の件は、もう気にしていないから。ジゼル様、心配をかけてごめんなさい」
そう。夜会の件は、昨夜ルーファス様に慰められたときにもうほとんどどうでもよくなっていた。昨夜イザベルの頭を悩ませていたのは――。
ルーファスにスルーされた口づけのおねだりを思い出して、イザベルは羞恥に顔が赤らむのを感じた。
「イザベル様、どうかなさいました?」
「いえ、なんでもないのよ。本当に。なんでも……」
(私ったら、何しに来たのかしら。アビーの奪還のためにみんな色々考えてくれているっていうのに……)
「ルーファス、お前なんか顔色悪くないか?」
「――別に、なんでもない」
イザベルの後ろでは、ルーファスがレンナルトに声をかけられていた。
(ルーファス様も……昨夜眠れなかったのかしら)
不思議に思ってイザベルがルーファスを見た。
同じタイミングでルーファスもイザベルに目を向けたため、予期せず目が合った。
――バチッ。
昨夜のことが思い出されて、イザベルは思わず目を逸らした。
《イザベル、なんかあったの?》
(な、なんでもないから……)
《ふうん》
《たすく》は、ルーファスの方にも目を向けた。
ルーファスはレンナルトやハンスと話しているようだった。
が、イザベル同様に、様子がおかしいことは分かった。
「じゃあ、ルーファスも療養施設を見に行くか」
「そうだな。案外すぐに面会許可も下りるかもしれないし。イザベルも」
「ええ」
「悪いけど俺は調べものに行くわ」
ハンスはそう言うと早々に宿を出た。
何やらセレフィード王国にはない精霊の文献を探すらしい。
みんなで療養施設に向かおうと宿を出発すると、一人の使用人が立っていた。
「あれ? もしかして、本当に許可が……?」
レンナルトは使用人を見てそう言ったが、その口はルーファスによってすぐに塞がれた。
「見ろ」とルーファスに促された方をレンナルトが見ると、宿の前の道に馬車が停車していた。その馬車は、フォートレル侯爵家の家紋入りのものだった。
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