第70話 優しい手
「あそこは療養施設というより、刑務所だったな」
イザベルたちが夜会に行っていた裏で、レンナルトたちはアビーのいる療養施設を見に行った。外観は特殊な建物ではない。ヴァルハルド帝国では一般的な作りであったが、その細部に問題があった。見舞いの厳格なルール、窓にはまった鉄格子、厳重な門扉など。よく見ていくと、療養というよりも監視・管理の色合いが濃い。施設の守衛たちも、施設の安全を守るというよりは、まるで“脱獄兵”を出さないように睨みを利かせていた。
「見舞いの申請はできましたので、明日か明後日には……」
受付担当者が言うには、現在病状が不安定で、医者への確認が必要とのことだった。
「娘が見舞いに行ってすぐに会えないなんて馬鹿なことあるのかよ」
レンナルトのぼやきに、ドリスは唇を噛んだ。
普通はあり得ない。そんなことは、ドリスだって分かっている。
しかし、アビーの療養にかかる費用の全てをフォートレル侯爵家が負担し、自分自身も雇用されている身の上では、何も言うことはできなかった。
「……母に会えても、会話は全て聞かれていると思った方が良いかと思いますし、手紙を渡したとしても、それも……」
「アビーに知らせずに、決行するか」と、レンナルトが呟くと、ハンスがずっと黙っていたイザベルを見た。
「イザベル」
「はい」
「《たすく》様にお願いできないか?」
「え?」
「ああ、その手があったか」
「《たすく》様なら、姿を消せるからドリスと一緒に見舞いに行けるし、周囲に気付かれずにアビーの耳元で状況を伝えることはできるだろう」
「突然聞こえる何者かの声に、アビーが信じるかは分からないけど、何も伝えないよりは良いかもしれないな」
「《たすく》様、どうでしょうか?」
ハンスが《たすく》に訊ねると、《たすく》は仕方ないなぁというようにポンッと姿を現した。
『まあ、いーよ。ドリスはイザベルにとって、大切な人みたいだから』
《たすく》の言葉に、ドリスは複雑な顔をしながらイザベルを見た。
そして、《たすく》に向かって頭を下げた。
「ありがとうございます」
『いーよ』
「じゃあ、アビーの見舞いのとき、施設内の再確認をしてもらって」
「はい」
「すぐにでも、アビーを連れて帰ろう」
レンナルトがドリスを励ますように明るく言うと、ドリスは小さく笑みを浮かべ頷いた。
「ま、じゃあ。今日は遅いし、こんなところだな」
ハンスが立ち上がると、レンナルトもジゼルも立ち上がった。
ジゼルは夜会から戻って沈んだ様子のイザベルを気にかけるように見た。
何かを言いかけたが、レンナルトは「そっとしておけ」というようにジゼルの手を引いた。
「お休みなさい」
ジゼルはそう言うと、部屋を出て行った。
イザベルの部屋にはルーファスと《たすく》が残った。
フォートレル侯爵と二人で話したあと、会場に戻ったイザベルの顔色は真っ白だった。
会場ではイザベルをあまり気にかけてはいけないルーファスは、素知らぬ様子を貫いたが、馬車の中で《たすく》に事情を聞くと、まさに腸が煮えくり返った。
自分のことのように怒る《たすく》とルーファスの姿に、イザベルの心は大分晴れた。
(私は……一人じゃない。こうやって、自分のことを必死に思いやってくれる人たちがいる。こうやって力を貸してくれる仲間ができた)
ヴァルハルド帝国にいた頃の自分とは、明らかに違う。
(父のことなんか、気にしたって仕方がないのに。久しぶりに家族と再会して……前のイザベルの感情に引っ張られているのかしら)
髪を引っ張られた痛みが、まだ残っている気がした。
オフェリアのあざとい声が耳の中で何度も聞こえる気がした。
継母のヒステリックな声が消えない。
(ここにはあの人たちはいないのに……)
「イザベル……?」
ルーファスは、イザベルの真っ白な頬を思わず撫でた。
夜会の会場のときよりは、少し顔色は戻ったがまだ顔色が悪かった。
何かに怯えるようなイザベルをルーファスは一人にしておけなかった。
イザベルを抱きしめたいと思った。
が、傷ついているイザベルに強引に触れて良いものかが、分からなかった。
『ルーファス。僕、先に寝ているから。ちゃんとイザベルのことを慰めてよね。ぎゅってしてあげた方がいいと思うよ』
《たすく》がルーファスの耳元でそっと囁き、『イザベル、僕寝るね。おやすみ~』とパタパタと飛びながら姿を消した。
「たすく!?」
「どうかしました? ルーファス様」
「いや……別に。その……なんでも……」
ルーファスは、イザベルを見た。
なんとなく、気まずくなりルーファスが目を逸らすと、「ルーファス様も、そろそろお部屋に戻られますか?」とイザベルが訊ねた。
「あ、ああ……いやっ」
どっちつかずの返答にイザベルはきょとんとした顔でルーファスを見た。
(ルーファス様、心配してくれてる……?)
イザベルは、挙動不審なルーファスに少し口角が上がった。
「いや……あの、今日は……疲れたのでは、ありませんか?」
イザベルを気遣う言葉に、彼らに引きずられていた自分が少しずつ戻って来るような気がした。
「少し、だけ。あの……ルーファス様、久しぶりに充電をしていただいても良いですか?」
イザベルがそう問いかけると、ルーファスは即座にイザベルを抱きしめた。
イザベルを気遣うような、優しい抱擁が今日は少し物足りなかった。
「あの……もっと……強く、抱きしめてもらっても……良いですか?」
「――え? あ、では……」
ルーファスは畏まった返答をしながら、少しずつイザベルを抱く力を込めた。
「苦しく……ないですか?」
力を込めながら、ルーファスはそう訊ねた。
イザベルはルーファスの胸の中で何度も頭を振った。
ルーファスの力にぎゅっと抱きしめられると、確かにここにいると実感できた。
ルーファスの香りに包まれると、怯えた心が少しずつ和らいでいくのが分かった。
どのくらいそうしていたのか、分からない。
二人の体温がすっかり同じになったような感覚がした。
(あったかい)
イザベルはルーファスの腕の中で、本来の自分を取り戻していった。
(ルーファス様と……この先も、ずっと一緒にいたい)
イザベルはルーファスの腕の中で、顔を上げた。
ルーファスの顔がすぐそばにある。
(もっと……触ってほしい。触りたい……)
「あ……あの――」
「ん? どうかしました? イザベル」
ルーファスの唇がゆっくり動いた。
(ああ。あの唇に触れられたら……)
「あの……」
(キス、したい)
イザベルは、ルーファスをじっと見つめた後、目を閉じた。
しばらく間があった後、イザベルの頭をルーファスが撫でた。
「え?」と、イザベルが目を開けると、少し戸惑うようなルーファスの瞳とぶつかった。
「イザベル……。すっかり遅くなってしまったから、私は部屋に戻るね。疲れているだろうから、ゆっくり休んで」
イザベルを撫でるルーファスの手はどこまでも優しい。
「おやすみなさい」
イザベルがそう言うと、ルーファスも優しく微笑み「お休み」と扉を閉めた。
イザベルは閉じられた扉をじっと見つめていた。
(キスは……してくれなかった。はっきり言えば良かった? いや、あの目は分かっていた気がする。ルーファス様は……私と、キスは……したくなかったって言うこと、なのよね)
イザベルは、先ほどとは全く異なることで心が沈むのを感じた。
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