第69話 イザベルへの警告
「あら、お姉さま! お久しぶりね」
緊張した顔で立つイザベルに、オフェリアが目ざとく声をかけた。
「久しぶり、オフェリア。お久しぶりです。お父さま、お義母さま」
ルーファスの横に立つイザベルに、フォートレル侯爵が冷笑を浮かべた。
「お前がレープ卿を放っておくから、オフェリアが相手をしていたんだ」
「素敵なダンスだったわ。ね、オフェリア」
「そんな……私なんて。お姉さまを差し置いてルーファス様と踊ってしまって、申し訳ございませんでした」
周囲に見せつけるように、オフェリアは大げさに頭を下げた。
「……別に、ルーファス様が宜しいなら結構です」
「イザベル、もう話は終わりましたか?」
「ええ。お待たせして申し訳ございませんでした」
「レープ卿」
「はい」
「久しぶりに娘と話があるんだが、ちょっと借りても良いかな」
フォートレル侯爵は、目尻に深い皺を刻ませて微笑んだ。
ルーファスは嫌な予感がしたが、「ええ、もちろん」と愛想よく答えた。
「ではその間レープ卿のお相手は、オフェリアがなさい」
フォートレル侯爵夫人はご機嫌にオフェリアに声をかけた。
オフェリアは先ほど同様恥ずかしがりながらも、ルーファスと二人になるのを望んでいるようだった。
ルーファスが微笑みを浮かべると、オフェリアは恥じらうような様子でルーファスを見つめた。
(ああ……。面倒くさい。イザベルの異母妹だというのに、こんなに似てないとはな)
ルーファスは内心ため息をつきながら、オフェリアの可憐な少女の演技に付き合った。
◆◆◆
無人の休憩室の扉を閉めると、フォートレル侯爵の表情が無になった。
(さっきまでの白々しい笑顔よりはよっぽどいいわ。《たすく》、警戒されると困るから何があっても力は使っちゃダメよ)
《分かったけど……》
イザベルは夜会前にも《たすく》に何度も言い聞かせていた。
(ヴァルハルドでの私の扱いに一々怒っていたら、大変なことになるもの)
フォートレル侯爵は、取っていたイザベルの手を乱暴に払うと、一人掛けのソファにドカッと座った。
豪奢なソファは体格の良いフォートレル侯爵もゆったりと座れる。
長い足を組むと、品定めをするようにイザベルを見た。
「ずいぶん王国では自由にやっているようだな」
「……」
「お前は手紙の一通も寄越せないのか」
「……ドリスが代わりに連絡していたはずです」
「私は、お前に手紙を送った」
「……申し訳ございません」
「何の目的でヴァルハルドに来たのかは知らんが、まさか祖国に――……私たちに泥を塗るような真似はするまいな」
「……なんのことをおっしゃっているか……。私はセレフィード王国とヴァルハルド帝国の和平のために」
――ガンッ!
イザベルの話を「フンッ」と鼻で笑うと、拳でテーブルを叩いた。
フォートレル侯爵の力で、頑強にできているはずの小机が揺れた。
「お前には何度も言っておいたはずだ。お前の役目を」
「……」
「誰が和平のためになんて言ったんだ?」
「……でも」
「でも? 誰に向かって言っているんだ? お前の役割はなんだ? お前は何のためにあの小僧の婚約者になったと思っているんだ。私の娘だからだ。私の娘だというなら、ヴァルハルド帝国の駒として動け」
フォートレル侯爵は話しながらゆっくりと立ち上がると、イザベルを見下ろした。
小机に置かれた果実を片手で握ると、バラバラに砕け、果実の汁がフォートレル侯爵の手を汚した。
「つまらんことを考えたら、こうなると覚えておけ」
つぶされた果実の雫が、イザベルの顔にかかった。
フォートレル侯爵は、イザベルを見るとニッと笑った。
「お前が使いものにならないなら、オフェリアがいる。オフェリアがあの小僧の婚約者になった場合は、お前にはクロット公国のアンダース卿の後妻にでも納まってもらうか」
何が面白いのか。フォートレル侯爵は「くっ、くっ、くっ」と喉で笑った。
「アンダース卿は今年60を超えるお年らしいが、あっちは現役らしいぞ。16歳の青臭い小僧より、よほどお前を満足させてくれるかもしれんな。お前の母親も、澄ました顔をして相当なもんだった」
フォートレル侯爵は、自分の娘に向けるとは思えない下品な視線をイザベルに向けた。
楽しそうに笑っていたかと思うと、急に無の顔になるとイザベルの髪を引っ張り立たせた。間近でイザベルの顔を睨みつけると、「逃げられると思うなよ」と耳元で囁いた。
イザベルは間近で見る父の顔を見ると、全身が震えるのが分かった。
父の言いつけを無視すればどうなるかなど、覚悟していた。
前世の記憶が甦って以来、以前のイザベルの感情は薄らいでいるはずだった。
父への底知れぬ恐怖も、肉親から得られぬ枯渇した愛情も。
イザベルの心の奥底に沈んでいたはずだった。
――しかし。
こうしてフォートレル侯爵に間近で接すると、イザベルの中で薄らいでいたはずの感情が鮮やかに、毒々しく、蘇るのが分かった。
(以前のイザベルは……この恐怖と、渇望と、孤独の中で……)
祖国のスパイとして動かざるを得ず、愛情を求めても父からもルーファスからも得られなかった“イザベル”の無念が、自分の中ではっきりと輪郭を持った。
「分かって……おります……」
イザベルは弱々しい声で、フォートレル侯爵にそう答えた。
そう答えなければ、解放されないということを、イザベルは嫌と言う程に知っていた。
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