第65話 ヴァルハルドへの旅路
「なんでこんなことになるんだ……」
馬車の前でワイワイと賑やかな様子に、ルーファスは頭が痛くなるのを感じた。
(今回はフォートレル侯爵家の目を盗んで、アビーを奪還しようとしているんだぞ。失敗はできないし……)
緊迫感を感じないメンバーにルーファスはため息をついた。
(一応釘を指しておくか)
「分かってはいると思いますが、これは旅行ではありません」
ルーファスは全員を見回した。
ルーファスの低い声と厳しい目に、一瞬にして静まった。
「ヴァルハルド帝国に入れば、私はセレフィード王国の公爵家嫡男として行動することになります。君たちも同じです。下手を打てば、外交問題になる可能性だってありますし、最悪は……」
「分かってるって」
レンナルトが笑う。
「だから俺が行くんだろ? 仲間は多いに越したことはない」
「……レンナルト、君はもう少し緊張感を持ってくれ」
「大丈夫。任せろ!」
レンナルトは八重歯を見せて、得意げに笑った。
(本当に分かっているのか)
ルーファスが微妙な顔でレンナルトを見ると、今度はハンスは自分の魔法も役に立つと自信満々にアピールした。
「フォートレル侯爵の管理施設だぞ。レンナルト殿の剣だけで容易く侵入はできないだろう。それに《たすく》様がまた力を発揮するというなら、行くに決まっているだろう。ヴァルハルド帝国にもセレフィード王国にない精霊の本もあるって聞いているし」
《たすく》は姿を消していたが、ハンスは居場所が分かるようにイザベルの傍にいる《たすく》に向けて笑いかけた。
《たすく》はハンスの執着にうんざりしているようにイザベルに愚痴った。
「すみません。本当はロザリン様が適任だとは思うんですが……」
ジゼルは頭を押さえているルーファスに申し訳なさそうに言った。
「いや、ジゼル嬢。あなたの癒しの力は正直助かる。それに、どうせレンナルトにうるさく言われたんだろう」
ルーファスの言葉に、ジゼルは苦笑いで答えた。
「みんなが行くなら私だって行きたかったわ」
急に決まったヴァルハルド行きが楽しい小旅行感を帯びていて、イリーナが小さく頬を膨らませた。
「イリーナ、遠足じゃないんだ」
「だって――」
「イリーナは私と一緒に留守番だ。君までいなくなったら私が寂しいだろう」
ディオンはロザリンの謹慎の監視もある。ロザリンはしばらく自宅謹慎が続くということだった。イリーナは一緒に行きたそうではあったが、ディオンと離れがたかったのだろう。留守番役に異論はなさそうだ。
学園はしばらく公務で休みということでディオンが手を回してくれていた。
「婚前旅行じゃないの?」
「え!?」
「だって、すごい噂になっているよ。この前だって、あのルーファス様がイザベルを抱きかかえて歩いていたのを見たって子もいて……」
リアとアンガスにしばらく国へ戻るという話をしたら、リアが興味津々にそう教えて来た。
(抱きかかえたって……あのときの……)
「一時はロザリン様との噂もあったから心配していたけど、まさか婚前旅行へ行くまでになるなんてね」
「そんなじゃないわよ! 別に二人きりとかでもないし……」
イザベルが顔を赤らめながら言い訳するのをリアはふふっと笑った。
「まあ、しばらくイザベルに会えないのは寂しいけど、イザベルが元気ならいいわ」
『頼ってほしい』と言ってくれた日のことを思い出した。
(前世でもそんなことを言ってくれる友だち、いなかったかも……)
「アンガス、あなたからもなんか言いなさいよ!」
リアが隣のアンガスの脇を肘でつついた。アンガスとはあの後から話すようにはなかったが、なんとなく元の通りとはならずぎこちなさが残った。アンガスはイザベルを見ると「気をつけて」とぽそっとつぶやき、はにかんだ。
(しばらく学園に通えないのは寂しいわね。でも――)
「イザベル、あなたの馬車はこっちです」
ルーファスがイザベルの手を取って馬車にエスコートしてくれる。
既にジゼルやレンナルトは同じ馬車に乗り込んでいた。
ルーファスはイザベルを馬車に乗せた後、後ろ手に扉を閉めようとした。
「ちょっと、俺のこと忘れないでよ!」
ハンスが慌ただしく、二人の馬車に乗り込んだ。
ハンスはイザベルとルーファスに向かい合うように、バタバタと乗り込んだ。
「なんで、お前が一緒に乗るんだ。ドリスの乗っている馬車に空きがあるだろう」
《そうだ。そうだ。別の馬車に乗ってよ》
《たすく》は姿を消していたが、この件はルーファスと意見が一致していた。ルーファスには聞こえていなかったが、《たすく》もルーファスに全面賛成していた。
(やっぱり、二人は気が合いそうだわ)
「そんな冷たいこと言わないでよ。俺だって道中様と一緒にいたいし」
《僕はやだよ! ハンス、しつこくてやだ》
「ハンス様、あまり近いと《たすく》も嫌がっていますから」
「え!? そうなの? それはぜひとも謝罪したい。イザベル、姿を見せていただくように君からも言ってよ」
「本人が嫌がっていますから」
「そんなぁ」
「分かったなら、ドリスの馬車へ行け」
ルーファスが冷たくそう言い放ったが、ハンスはそのまま馬車に居座った。
「別にここだって空いているんだから、いいだろう。ほら、もう出発の時間だ。あれこれしているとみんなの迷惑になるしね」
「ハンス……」
「えー、イザベルも俺がいたら嫌なの……?」
「え、私? 私は……」
ハンスがイザベルを甘えるように見た。ルーファスと《たすく》はイザベルに厳しい目を向けた。
(正直、ルーファス様と二人きりは緊張するし……。ハンス様でもいた方が気楽かも……)
「別に……もう出発ですし、このままで構いませんけど……」
「イザベル!」《イザベル!》
「良かった! じゃあ、このまま出発ね!」
全員馬車に乗り込んだところで、セレフィード王国の辺境・シュトライヒ侯爵領――エリーアスの領地へと向かった。一人でセレフィード王国へ来たときよりも、イザベルはずっと心強かった。
(ルーファス様は遠足じゃないって怒っていたけど……。こんな風に自分たちを助けてくれる人がいるとは思わなかった)
イザベルはハンスの同乗に気分を害したのか、ずっと車窓を見ていた。
ルーファスの手は、二人の間に置かれている。
(ルーファス様って……指が長い)
ルーファスの薬指にはまる指輪を見て思わず笑った。
(この指輪、自分ではめたんだっけ?)
あのときは驚いたルーファスの態度が、今では笑えて来る。
目の前のハンスは、ずっと目を閉じている。
(馬車の揺れが眠気を誘ったのかしら)
隣を向くと、ルーファスはずっと車窓を眺めている。
(ルーファス様……全然こっちを向かない)
自分の指にはまる瑠璃色の石を眺め、ルーファスの手を何となく見ていた。
(意外と……大きな手だわ)
どうしてそうしたのか、自分でもよく分からなかった。
気づけば、指先がそっとルーファスの手に触れていた。
「……」
ルーファスがこちらを見る。イザベルは慌てて視線を逸らした。
けれど、手は離さなかった。
「……しーっ」
イザベルが小さく唇に指を当てる。ハンスを起こさないように――という意味だった。
ルーファスは一瞬、目を丸くした。それから、ほんの少しだけ口元を緩めた。
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