第62話 ドリス
机の引き出しの奥には、読む予定のない父からの手紙が溜まっていた。
イザベルは引き出しの奥から未開封の手紙を取り出した。
(この国に来てから5通か。家にいたときは顔すら合わせなかったのに、ずいぶんとマメなこと)
《開けるの?》
(大体書いてあることは想像できるんだけど……)
アビーのことが気になっていた。
(ドリスは何も言わないし……。ヴァルハルド帝国に戻ってアビーの身柄を確保できれば、父とも縁が切れるのに)
《ルーファスに相談してみたら?》
《たすく》の言うことを、イザベルも考えていた。
ロザリンの件を経て、イザベルの中で明確になったことがある。
(この世界は『ハート学園で恋して』の世界だけど、ゲーム通りに進むわけじゃない。自分の意思で変えることができる。でも、ゲームの影響力もある)
「ドリス!」
イザベルは厳しい顔をして呼び鈴を鳴らしてドリスを呼びつけた。
「どうかしましたか。お嬢様」
相変わらずドリスは無表情にイザベルに声をかけた。
「どうかしたか、ではないわ」
(私の考えが間違いでなければ――)
「あなた、アレを入手したわね」
「……は?」
(反応までに間があった。どう反応しようか迷ったわね)
「図書室? 旦那様の執務室? いえ、ルーファス様の執務室ね」
(ロザリンに罠をしかけていたくらいだ。公爵邸に敵国の女を住まわせるのに、何も仕掛けないわけがない)
ドリスの表情が僅かに歪んだのが分かった。
イザベルはゲーム開始早々にスパイの嫌疑をかけられて葬られる悪役令嬢だ。
(確かに自分の行動で未来は変わるけど、ゲームの強制力がないわけじゃない。だから、ロザリンは私に罠をしかけた。私を貶めるためなら、地図でなくても良かったはずだ。でも、地図だった)
まるで、ゲームのシナリオが正しいというような罠だ。
(ロザリンの罠は失敗したけど、それで終わりとは思えない)
「どうして急にそんなことをおっしゃるのです? 私はただの侍女です。ルーファス様の執務室に入ることなど――」
「できるわ」
イザベルはドリスの目をじっと見た。
「ルーファス様はロザリン様のことで執務室を開けることが多い。執務室に鍵はかけていらっしゃるけど、鍵は家令もスペアを持っている。あなた、公爵邸に来てここの使用人ともうまくやっているんでしょう?」
「それは、使用人として当たり前のことをしているだけで」
「ドリスだったら、信用するわ」
「あなたの面倒を見てない私によくそんなこと……」
「ドリスが本当はそういう人じゃないこと、私は知っているもの」
ドリスはイザベルの視線から逃れたいというように、視線を反らした。
何かに怯えるように指先が震えていた。
「私の何を知っているって言うの……」
「分かっているわ。あなたが、アビーをどれだけ大切に思っているかということくらい」
イザベルのその言葉に、ドリスはカッとした顔をした。
「だったらなんで!!」
なんで、地図を入手することに協力しないんだ。
フォートレル侯爵家を無視し続けるんだ。
自分だけ安全な場所に身を置いて、母を見捨てたくせに。
ドリスの飲みこんだ言葉が聞こえてくるようだった。
「ドリス、あなたが入手した地図は偽物よ」
「――ですから、私は地図など」
「入手していない?」
イザベルは父からの手紙をドリスに見せた。
「これは父からの手紙よ」
「……それが、何か? どれも未開封ではありませんか」
ドリスは非難がましい目でイザベルを見た。
「ええ。どれも読んでない」
「だったら何が分かるって」
「来てないのよ」
「え?」
「あなたも知っての通り、父は私になんか興味はない。全く」
「……」
「でも、この国に留学してから手紙をくれるようになった。開かなくても分かる。目的は地図でしょう? 必ず2週間に一度送られていたの。私が返事をしなかったから5通目は2週間しないで届くようになった。それなのに――」
イザベルはドリスをじっと見た。
「ここ1カ月、一切届いていない」
「……諦めたのでは?」
「諦める? そんなこと、あるわけがないこと、あなただって知っているでしょう? 父は目的のためなら手段は選ばないし、諦めもしない。私がダメなら、あなたに言う。あなたなら、アビーのことがある。私が公爵邸へ住むようになれば、あなただってここで自由に動けるようになる。私だってそう思うのに、父がそう思わないわけ、ないもの」
ドリスはイザベルの言葉を聞きながら、青ざめていた。
「出して」
「……」
「このまま偽の地図を送ったら、あなたの身が危ない。どちらからも、狙われることになるのよ」
「……」
ドリスの目が戸惑いに揺れていた。
《イザベル、アビーのことを言われて困っているんだと思う》
(うん、分かってる)
「アビーのことは、私だって考えている」
「……でも」
ドリスはまだ迷いを断ち切れないようだった。
イザベルはふぅっと息を吸い込んだ。
そして――。
「出しなさいッ!」
(ドリスだったら、入手したものは肌身離さず持っているはず)
ドリスの身体はビクッと大きく震えた。
イザベルは身を縮めるドリスにつかつかと近づいた。
(胸ポケット? それともスカート?)
イザベルが近付いた瞬間、ドリスはパッと地面に座り込んだ。
(座ったということは……スカートの中ね)
「言うのはこれが最後。早く出しなさい」
イザベルはドリスの前にかがみこみ、手を出した。
――が。ドリスはイザベルから地図を守るように、体を丸めた。
(……仕方ない)
イザベルはドリスの肩に手をかけ、後ろに倒した。
抵抗するドリスは中々思うようには行かないが、ドリスの身体の上に伸し掛かった。
コン、コン、コン。
「イザベル様、先ほど大きな音がしましたが、何かありましたでしょうか?」
執事の声が聞こえた。その瞬間、ドリスは「きゃあっ、お嬢さまが」と悲鳴を上げた。
「何でもないわ!」とイザベルが言い終わる前に、執事は「失礼します」とイザベルの部屋の扉を開けた。
執事が扉を開けて見たものは、イザベルが侍女の上に伸し掛かり、スカートを引っ張っている姿だった。
「こ……これは――一体……」
執事が戸惑いの声を上げた。
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