第56話 ルーファスの理性
「何をなさると、こんな傷だらけになるのですか……」
屋敷に着いたルーファス様は、「怪我の状況を確認して、私に報告するように」とドリスに告げた。「身体の隅々まで丁寧に」とまで添えたため、ドリスは湯あみを手伝いながらイザベルの傷を確認した。擦過傷や打撲痕が身体中に残っていた。
(あの衝撃が受けてこの程度で済んだのは《たすく》とルーファス様のおかげだわ)
ドリスは手当てをすると、怪我の部位と状況をメモしていた。
「御髪もこんな……」
背中まで伸びた髪は、光の矢の衝撃でずいぶんとバラバラに切れていた。
(このまま少し整えてもいいけど……。折角だから――)
「肩くらいで切ろうかしら」
(正直あの縦ロールも鬱陶しかったし、ちょうどいいわ)
ドリスはため息をつきイザベルの髪を見つめたが、「明日、髪結い師を呼ぶよう指示します」と言った。ドリスがストレートの髪を一つに結び前に流すように整えていると、扉のノック音と共に執事の声が聞こえた。
「ご準備が宜しいようでしたら、ルーファス様がお嬢様とお話をしたいと――」
◆◆◆
ノック音が聞こえたので「疲れているところ悪かった」と言いながら、ルーファスは扉を開けた。
「ルーファス様、お待たせしました」
ルーファスの前には、いつもより頬が紅潮したイザベルだった。
湯上りだからなのだろう。部屋着に着替えた彼女は、いつもよりも無防備に見えた。
それに――。
(いや、そう、だ。全身を確認しろと言ったんだから……湯あみをさせたっておかしくない。湯あみをしたんだから、髪だって、化粧だって落とすのは当然……)
目の前のイザベルは、以前ディオンの教室で見た――“美少女”だった。
(あのときは遠目で見たが、こう……間近で見ると、やっぱり――)
「ルーファス様……?」
扉を開けたまま、止まっているルーファスをイザベルは不思議そうに見上げた。
無意識な上目遣いに、ルーファスの心臓はバクバクと激しく動悸した。
「あっ、やっ、なんでも――。や、そうではなく……中へ……」
ルーファスはイザベルを部屋の中に招きながら、「本当に中に招き入れて大丈夫か?」「いや、何を言ってるんだ。ロザリンの件を確認するだけだろう」「誰か……カーターでも呼んでおくか?」と謎の自問自答を繰り返していた。
平静を装いながらいつものソファに座るよう促すと、用意しておいた果実水とお茶を勧めた。
「美味しい」
ミントと檸檬、橙を入れた果実水を飲むと、イザベルは微笑んだ。
(か……可愛すぎる……――)
「……――ルーファス様?」
黙ってイザベルを見つめているルーファスに、イザベルは少し怪訝な顔をした。
(しまった。また――)
「失礼。ちょっと……疲れているのかもしれない。ぼんやりしてしまって――」
ルーファスは言い訳じみた言葉を口にしながら、自己嫌悪した。
が、イザベルはルーファスの言葉を素直に信じたようだった。
「それで――その……怪我の具合は、どうですか?」
「大きなものは……。ルーファス様のおかげです」
「私と……《たすく》という者のおかげ、ですか?」
イザベルは、明らかにギクッとした顔をした。
そう。イザベルを呼んだのは、傷の確認もあるが、あの部屋で彼女が何度も語りかけていた《たすく》という者の存在確認だった。
「《たすく》……ですか?」
「ええ。何度もおっしゃっていたでしょう? 一体誰なんですか?」
「誰……」
「異国の名のようですが、男性名ですか?」
「え……あ、まあ……男性というか……」
(やっぱり……男か――)
ルーファスは口元が引きつるのを抑えた。
「どういう男性なのですか? 姿が見えないようでしたが、ヴァルハルド帝国の間者か何か……」
「いえっ! とんでもない! 国からそんなものは来ていませんのでご安心ください」
「だったら、誰なのです?」
ルーファスは段々と苛立ちが漏れ始めていた。
(私を信用できないというか……――。私はこんなにあなたを信頼しているというのに……)
「誰って……その――」
「私に言えない間柄の男ですか」
「え!? そっ、そんなわけ……」
「だったら何故そんなに頑なに……」
「それは……その――。言っていいものか……」
ルーファスの眉間の皺が深くなった。
「私のことが……まだ、信用できないということですね」
「え!? いえ、そういうことでは……」
「一応お伝えしておきますが、ロザリンと一緒にいたのは“彼女の思惑”を探るためです」
(――あなたの、ために)
「あなたにお伝えしなかったのは、ロザリンを信用させるためで……。けして、ロザリンに心を寄せていたとか、そういうことではありません」
「……はっ、はい……」
「あなたには……ご心配をおかけしたと思いますが……。私は婚約者がいながら、他の女性にうつつを抜かすような男ではありません」
(私だって辛かった……)
「え、ええ……それは、もちろん」
ルーファスは思わず、イザベルの頬に触れていた。
「ルーファス様?」
イザベルの戸惑った声に、自分が無意識に彼女に触れたことに気が付いた。
ハッとして慌てて手を引っ込めると、「怪我が……心配で……」と見え見えの言い訳をついた。
「あ……。その、ドリスに手当をしてもらいましたし、そんなに深い傷ではありませんでしたから……」
「……抱きしめても……良いですか?」
「え!?」
「しばらく、婚約者としての距離を……縮めることができませんでしたので」
言い訳がましくそう口にするのが恥ずかしかった。
(素直に抱きしめたいだけだと言えれば、どれだけいいか)
イザベルの頬は赤くなったが、イザベルからそっと距離を縮めてくれた。
ルーファスは身を寄せるイザベルを抱きしめた。
彼女の体温を感じると、心が穏やかになるのが分かった。
心の奥底の満たされない“何か”が埋まり、同時に心の奥底に沈んでいた“何か”がもっともっとと渇望するのが分かった。
「充電……ですね」
ルーファスのドロドロとした感情を知らない彼女は、はにかんだ。
「――ええ……。久しぶりの充電だ」
抱きしめた彼女は、お風呂上がりだからなのだろうか。いつも以上に甘い香りが漂った。いつもより布地が薄い部屋着が、いつも以上に彼女の熱を感じさせた。
(ああ……――。もう……)
ルーファスは焼き切れそうになる理性をなんとか保っていた。
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