第55話 ロザリンの涙
光の中心にいるロザリンに向かって、飛び込んだ。
「痛ッ――」
光の矢がイザベルの頬を掠めた。
頬からは真っ赤な血が流れ落ちているのが分かった。
それでも身体が消滅しないのは――……。
《たすく》とルーファスが、イザベルに向かって防御魔法をかけてくれていた。
(ありがとう。《たすく》、ルーファス様)
戸惑うロザリンの感情が影響しているのか、彼女を包む虹色の光の威力が弱まった。
(ロザリンは、私を殺そうとしているわけじゃない……――)
光が弱まっていく様子を見て、イザベルは確信した。
身体を跳ね飛ばそうとする虹色の光の中へと、イザベルは踏み込んだ。
「なっ……なんのよ、アンタ!」
光の中は穏やかだった。
ロザリンの“記憶”が、イザベルの脳内にも浮かんだ。
今世の記憶か、前世の記憶か、彼女の願望か、現実か……――。
よく分からない部分もあったが、彼女の“心”に触れた気がした。
イザベルはゆっくりとロザリンの前に立った。
彼女の瞳は、涙で潤んでいた。
「――……何よ」
目を逸らしたロザリンの頭を、イザベルは抱き寄せた。
イザベルの肩に、ロザリンは顔を埋めた。
肩が彼女の涙で濡れるのが分かった。
小さな嗚咽が聞こえる。
イザベルは、子どもにするように優しく背中をさすった。
(児童福祉相談所の職員をやっていたときも……こういうこと、あったな)
興奮した子どもの、背中を優しくさすった。
(彼女は誰からも、“抱きしめられて来なかった”のかもしれない……)
「大丈夫よ……」
そっと声をかけると、ロザリンの泣き声が大きくなった。
同時に、ロザリンの魔力が嘘のように収束した。
自習室はまるで何もなかったかのような静けさを取り戻した。
「――終わった……んですか?」
アンガスが信じられない、というように呟いた。
長時間、強大な魔力を受け続けたからだろう。
手の震えが止まらないようだった。
エリーアスが、立っているのもようやくのアンガスの肩を支えた。
「よく、やりましたね」
「……エリーアス先生……」
「もう立っているのもつらいでしょう。馬車で自宅まで送らせます。ディオン殿下、ここの後片付けはお任せしても?」
「もちろんです。アンガスを連れて来ていただいたこと、感謝しています。アンガスくんも、ご協力ありがとう」
ディオンのねぎらいの言葉に照れているのか、返答をする力もないのか、小さくコクンと頷いた。
「しかし、派手にやったなぁ……」
レンナルトは、自習室を見回した。
机も椅子も、教科書類も、自習室に置いてあったものの多くは使用できない有り様だった。
「窓や扉に防御魔法を使っていたのは、正解だな」
「こういうとき用ではないんだけどね――」
王族御用達の部屋は、盗聴などの危険性を回避するために窓や扉には防御魔法を施すのが一般的だ。みんなの頑張りと、防御魔法のおかげで、窓や扉にはヒビ割れはあったが、なんとかこの部屋の外に危害をもたらすことはなかった。誰も駆けつけて来ないところを見ると、この部屋の惨状にも気が付いていないのだろう。
「まあ、この程度の被害で助かった」
ディオンは部屋を見回した後、ロザリンを抱えるイザベルを見た。
「君のおかげだ」
その言葉にみんなが同意するように、イザベルを見て微笑んだ。
その讃辞はくすぐったいものだったが、イザベルは彼らの気持ちを有難く受け止めた。
《良かったね、イザベル》
(《たすく》も、ありがとう。身体、ボロボロじゃない?)
《うん、今日は……ちょっと疲れた……》
《たすく》はそういうと、イザベルの頭の上に乗って眠り始めた。
ロザリンも気が付いたら寝ているようだった。
(泣きつかれたのね……)
眠っている姿は、幼い子どものようだった。
「寝たのか? 本当に人騒がせなヤツだな」
「ハンス……。そんな言い方は――」
寝こけているロザリンに、ハンスは呆れた顔をする。
ディオンは王太子として、“救国の聖女”をフォローしたが、「一番厄介だと思っているのは、殿下じゃないのか」と言われ苦笑いをしていた。
「今後のことはあるが……――。まあ、とりあえず、今日はゆっくり休もう」
ディオンがそう声をかけると、ルーファスがカーターに「ロザリンを運んでくれ」と指示した。「俺たちが運んで、変な噂が立つといけない」と言いながら、ルーファスはイザベルの頬にできた傷にハンカチを押し当てた。
「こんな傷を……」
久しぶりにルーファスのアップが近付いて来て、イザベルの胸は騒いだ。
(こんなときに……私ったら――。っていうか、そのハンカチ……)
ルーファスが携帯していたハンカチは、イザベルが刺繍した残念なものだった。
「あの……この、ハンカチ……」
「あなたが刺繍したものです。何か?」
「いえ、その、あの、こんなものを……ルーファス様が使っているとは思っていなくて……」
「使うに決まっているでしょう。何を言っているんですか」
「押さえていてください」と、イザベルの傷に押し当てたハンカチを渡されると、ルーファスがイザベルを持ち上げた。
「ル、ルーファス様!?」
頭上で休んでいた《たすく》が急な振動で《なに……?》と寝ぼけ眼をこすった。
きょろきょろとしたかと思うと、イザベルの肩に降りて来てもう一度まぶたを閉じた。
「何ですか」
「お、下ろしてください。私は歩けます」
「ケガもしていますから」
「ケガって言ったって擦り傷ですし。頬の傷は歩くのに関係ありません」
レンナルトとハンスの視線が生温かい。
(は……恥ずかしい――)
「ルーファス様、その、重いですし……。お疲れなのは皆さんも……」
「あなたくらい持ち上げられないと思っているんですか」
ルーファスは心外だと言わんばかりに、イザベルを見た。
「いえ、その、そういうわけでは……ないんですが――」
「あなたと私は婚約者なんですから、別に周囲に見られても問題ありません」
「えっと……あの――」
「言うことを聞いた方が良さそうですよ」
ディオンがイザベルに優しくそう諭した。
――確かに……。
黙って従った方が早く終わると察し、《たすく》を腕に抱きルーファスの首に手を回した。その腕は、壊れ物を抱えるように、どこまでも優しかった。
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