第50話 ロザリンの過去
「ロザリン様、大変失礼いたしました」
さっきまで偉そうだったイザベルが、結局ヒロインである自分に頭を下げた姿を見て、ロザリンは溜飲を下げた。
(そうよ――。所詮は悪役令嬢だもの。駆けなんてするまでもなかった)
すぐに自分に駆け寄ってくれたルーファスの腕をぎゅっと握ると、ルーファスが“自分のもの”だと実感できた。
(ふふっ。やっぱりルーファスは私を心配してくれた)
「そんな……私が……――」
内心の優越感を隠しながら、か細い声を出す。そういう振る舞いが、その場の男たちの同情を集められることを、よく知っていた。倒れたロザリンを、ディオンも、レンナルトも見ている。その視線は、ロザリンを心配しているものだと確信していた。
(――勝った。勝ったわ!)
イザベルはルーファスから何のフォローもされることもなく、化粧室から出て行った。職務として、あの護衛だけがイザベルを追っただけだった。
「――怖かった……」
そう呟いて上目遣いにルーファスを見た。もちろん、瞳は潤ませた。
ルーファスの瑠璃色の瞳には、可憐な自分の姿が映っていた。
(どう考えたって――私がこの世界の中心だわ。何がゲームのキャラにも自分の意思があるよ。本当ムカつく)
「ロザリン、イザベルと何があったんだ?」
「――え?」
「何か喧嘩でも――?」
「喧嘩!? そんなことしないわ」
(ただアイツがムカついただけだもの)
「私が……ルーファスと勉強しているって話をしたら……。自慢したわけじゃないのよ! 一緒にしましょうって言ったの。そうしたら、突き飛ばされて……」
「――突き飛ばした?」
「う、うん……」
ルーファスがディオンやレンナルトと、何か目配せをした。
(――な、何よ……)
「ど……どうか、した?」
「さっきは、吹き飛ばされたように見えたから」
ルーファスの言葉に、ディオンもレンナルトも頷いた。
「ほら、イザベルは君と違って魔力がないだろう? だから――」
(確かにあのときよく分からない強風が吹いた。まさか、あの女にもチート能力があるの? もしそうだったら、彼らは私のようにあの女を重視するかもしれない……。そしたら、私は――?)
「――ルーファスは……私を、疑っているの?」
「いや、そうじゃないんだ……。ただ――」
「私は、突き飛ばされたのよ!」
「うん。そうだよな。ごめん、ロザリン。変なこと言って」
「……いいの。ルーファスが信じてくれたら、それで……」
潤んだ瞳で必死に訴えると、ルーファスも納得したように頷いた。そのまま、3人は私をいつもの通り侯爵邸へと送り届けてくれた。
「ロザリン、学園ではどうだった?」
「今日も、殿下やルーファス様たちにお勉強を教えていただいたわ」
「そういえば、この前王宮に伺った際ディオン殿下にお会いしたが、ロザリンのことをずいぶん褒めてくれていたぞ」
「まぁそうなの。嬉しいわ!」
キャリントン侯爵夫妻は、王命で“救国の聖女”であるロザリンを養子にした。
(お義父さまも、お義母さまも、私にいつも優しい。食事だって私の好きなものをいつも用意してくれるし、クローゼットにはかわいい洋服もアクセサリーもいっぱいある。実の両親とは大違いだわ)
そう思いながら、ロザリンはキャリントン侯爵夫妻との夕食を楽しんだ。彩り鮮やかな前菜も、魚のムニエルも、ポタージュも、フリッタも、デザートも――どれもロザリンが好みそうなものを用意してくれていた。
「お義父さま、お義母さま、ありがとう! 私、この家の子どもになれて本当に幸せだわ!」
そう微笑むと、義父母も満足そうに微笑んでくれた。“救国の聖女”である自分が、彼らにとってどのような価値があるか、ロザリンは嫌というほど分かっていた。
(今まで散々な目にあっていたんだもの。この世界くらい、私の思うようになったって罰が当たらないわ。ううん。きっと、神様は私のために、この世界を用意してくれたのよ。そうに違いないわ)
◇◇◇
「えー、パパ! これ□□の?」
異父妹が無邪気に父親に抱きついているのをいつも遠くから見ていた。
「この前出掛けたとき欲しいって言っていただろう?」
「嬉しい! パパ、大好き!」
「あなた、□□を甘やかし過ぎじゃない?」
「いいだろう? これくらい。な、勉強も頑張るだろう?」
「うん! あたし勉強頑張る!」
「ほら、な」
「もう、仕方ないわねぇ」
呆れたような顔をする母も、幸せそうだった。
私だけが入れない、正しい家族の肖像を見せられているようだった。
「――……あ、お姉ちゃん!」
異父妹が廊下の奥に立っていた私をわざとらしく見ると、父親の腕をぎゅっと握りしめて私にだけ分かるようにニィッと嫌らしい笑みを浮かべた。
(いつもこの家はこの娘中心――……。馬鹿みたい)
異父妹の声に反応するように、母と義父の目がこちらを向いたが、その瞳には何の感情も映らなかった。私はまるで透明人間だ。家でも、学校でも――。
「□□さんさー、ゲーム隠して学校に持って来てるの?」
「返してよ!」
昼休みはいつも校舎の裏で隠れて『ハート学園で恋して』をすることだけが、人生唯一の楽しみだった。
――のに。クラスのリーダー格の女子の失恋を、校舎裏で目撃しちゃったばかりに、学校では透明人間から「ごみ」扱いに格下げされた。
(見えてるだけ、格上げなのかな? いや、無視の方がまだ良かった)
「□□さ、不要物は持ち込むなよ」
アイツの密告により、ゲーム機を持ち込んだことは担任教師にバレたが事なかれ主義の担任は、軽い注意で返してくれた。担任はゲーム機に書かれた「キモイ」も「市ね」も見えていないようだった。
「――はい」
(アクリルチャーム……割られてる……――)
ゲーム機に付けていた推したちのアクリルチャームは無残にもバラバラにされていた。
(許せない……。許せないけど――)
自分には何の力もなかった。
こんなことをするクラスメイトに歯向かう勇気も、自分を無いものとして扱う家族に頼らず生きる力も――。何もないただの高校生だった。
(早く……こんな世界からいなくなりたい。大人になったら、変わるのかな……。少なくとも家は出て行けるよね)
昼にやれなかった憂さを晴らすように、帰り道は『ハート学園で恋して』に夢中になりながら、どうしようもない日常が頭を巡っていた。毎日同じ日常の繰り返し。学校から駅まで歩いて、4駅先の我が家で降りる。駅から15分歩いて、帰っても帰らなくても、誰からも特に構われない家にただいるだけ。駅では家族なのか、夫婦なのか、恋人なのか、友人なのか、とにかくみんな嘘みたいに幸せそうにしていた。
(私だけが、この世界でひとりぼっちみたい……)
「危ない!」
「――え?」
微かに誰かの声が後ろから聞こえた。
この世界で私の身を案じてくれる人がいたことを、初めて知った。
その瞬間には、もう身体が滑り落ちていた。
足を踏み外した。ただそれだけだった。
誰かの悲鳴が聞こえたときには、自分の身体から「自分」が抜けていくのが分かった。
――ああ……。ようやく、この世界から「おさらば」できるんだ。
あの瞬間、感じたのは安堵だった。
ロザリンは、自室で自分の顔を見た。完璧な美少女が鏡に映っていた。
――ここは確かにゲームの世界かもしれないけど、彼らにも“意思”がある。何もかも、ゲーム通りに動くわけじゃない。
今日、イザベルに言われた言葉を思い出していた。
「何が……意思、よ」
(私だって、意思があった。でも、どうにもならなかった。あの家を出たくても、クラスメイトに言い返したくても、どれもこれも……どうにもならなかった――)
ロザリンは、気が付くと自分の爪が食い込むほどに強い力で手を握っていた。
(いけない――……)
ロザリンは慌てて自分の姿を見た。
(私はヒロインなんだから――。あんな悪役令嬢の言うことなんか……。それにしても、あの女、本当に邪魔ばっかり。どうせルーファスとも婚約破棄されるんだから。……本当に、破棄、されるのよね)
ロザリンの頭にさっきのイザベルの言葉がこだましていた。
(万が一ということもあるし――……。アイツがスパイだって分かればいいんだから……)
前世の、名前も思い出せない異父妹みたいな顔で笑ったロザリンが、鏡に映っていた。
お読みいただきありがとうございました!
ようやく50話、100話くらいで完結と考えていますのでようやく全体の折り返し地点まで辿り着きました。
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