第48話 眠れない夜
(こんなことで眠れなくなるなんて……)
化粧を施そうとイザベルを見たドリスの顔が、一瞬驚いたように見えた。
それくらい、明らかにイザベルの顔色が悪かった。《たすく》も顔色の悪さに朝から心配してイザベルの顔の周りをパタパタ飛んで離れない。
昨夜は考えても仕方ないことが、頭を低回していた。
「ルーファス様が用意してくれた本が面白くて、つい読みふけってしまって」
聞かれてもいないことを言いわけのように口にした。
(ルーファス様の心が離れているのを感じているのに、ルーファス様に愛されているように振る舞うなんて……――。馬鹿ね。本当に恥ずかしい)
「――そうですか」
ドリスはいかにも興味がないというように相槌を打った。
聞かれてもいないロマンス小説の話をしながら、イザベルは自分の心を慰めた。
(こういうときは厚化粧って助かる)
鏡の前には、いつものイザベルがいた。
にっと口角を上げると、いかにも強気な悪役令嬢らしい。
(別にルーファス様の気持ちがロザリンに向いたとしても、関係ないじゃない。私は静かにこの国の片隅で暮らそうと思っていたんだから……――。そうよ。なんでもないことだわ)
「おはよう、イリーナ」
「お姉さま、おはようございます」
《あれ? 今日はルーファスいないね》
朝食を食べに階下へ降りると、イリーナしかいなかった。
領地へ赴いている義父母は不在だが――。
「今日は、お兄さまはロザリン様のお迎えで早く出発されたの」
「――そう、なの」
公爵邸に住むようになってからは、朝食は一緒に取っていたし、馬車で一緒に登校していた。顔が引きつったのが分かったのか、イリーナが「ディオン様も、本当にお忙しそうで全然お会いできないんです」とさり気なく漏らした。
人間のご飯は食べない《たすく》だが、毎日の豪華な公爵邸の朝食には興味があるらしい。イザベルの落ち込みに、気付いているのかいないのか、《今日も美味しそうだね》と、明るい笑顔で元気づけてくれていた。
「ルーファス様も、ディオン殿下も、大変ね。ジゼル様も、レンナルト様にお会いできてないのかしら?」
「きっとそうですわ。また、ジゼル様もお誘いして3人でランチにしたらいいですわね」
「――そうね。ジゼル様もお誘いしましょう。テストも近いし、養護院の農園も見に行かなきゃいけないし。やらなきゃいけないこともいっぱいあるものね」
(養護院の農園も土を起こしたあと、苗植えをした。その後の日常の管理は子どもたちに任せているけど、また様子を見に行かないとね。こんなことで悩んでいる場合じゃない! 頑張らなきゃ――)
イリーナとの会話で気を紛らわそうとしているイザベルを、ドリスは静かに見ていた。
《ドリス……イザベルのこと心配なら、そう言えばいいのに――。変なの》
ドリスの内心は、《たすく》にだけは聞こえていた。
◇◇◇
「――イザベル、大丈夫?」
リアが眉根を潜めて、イザベルの手元を覗いた。
「何が?」
「何がって……――もう、あなただけよ」
「――え?」
教室を見ると、確かにリアとイザベルしか残っていなかった。
窓の外を見るともう暗くなっている。
カーターも心配そうにイザベルを見守っていた。
イザベルは、今日は教室で一人自習をしていた。
図書室の自習室を使用して、またロザリンたちに会いたくなかった。
正確に言うと――。
ロザリンとルーファスを視界に入れたくなかった。
やるべきことに向き合えば、余計なことに煩わされない。
「私が教室を出てから3時間は経つのに、戻って来てもずっと同じ姿勢なんだもの。休憩もしてないんじゃない?」
リアはびっしり文字が書かれたノートや教科書を見て、瞠目した。
「なさっていません。何度かお声がけしましたが……」
《僕も何度も声かけたよ!》
イザベルの代わりに、カーターが答えた。
「やっぱり」
リアがイザベルの教科書やノートを閉じた。
「イザベル、頑張りすぎよ」
「――でも、私はこの学園の勉強は遅れているし」
「転入して何カ月だと思っているのよ。まだ3カ月ないくらいじゃない」
(――そんなものだったか……。あの婚約式から3カ月なのか。あのときは、ルーファスと婚約解消を目指していたはずなのに……――)
また、ルーファスのことが頭を占めていた。
「イザベル、あなた、本当に大丈夫? なんか、この前からアンガスとも変だし……」
(アンガスも魅了魔法が消えかかっているという話だったけど、あの後からなんとなく話していない)
「……リア、心配かけてごめんなさい」
「謝ってほしいんじゃないの。私は頼ってほしいの!」
「――え?」
「あなたは貴族だし、私とは身分も立場も違うのは重々分かっているけど――。でも、あなたがそんなこと気にせず私たちと仲良くしてくれていたんじゃない」
リアがイザベルの目を見て真剣に訴えていた。
「――私だって……あなたが困っていたら、何かしたいと思っているわ。何も……できないかもしれないけど……――でも、話くらいは聞けるわ」
「――……リア」
「そう思っているのは、たぶん、私だけじゃないわ」
リアは教室内で気配を消して立っているカーターをチラッと見た。
カーターも優しく頷いた。
「だから、イザベル――……」
リアは机の上に置かれたイザベルの手を見た。
握って良いものか戸惑っているようだった。
イザベルはそんなリアの手にそっと自分の手を重ねた。
(リアの手――……温かい)
「ありがとう、リア」
そう見つめると、リアの目が少し潤んでいるように見えた。
「ありがとう、カーター」
カーターは、口の端を少しだけ上げた。
(ありがとう、《たすく》)
《ふふっ、気にしなくていいよ。僕はイザベルを守るためにいるんだから!》
「なんだか……気持ちが楽になった」
(たったの3カ月で、こんなに自分に寄り添ってくれる人ができるなんて――。それだけでも、私は幸せものだわ)
イザベルはリアと教室で別れ、馬車に乗る前に化粧室へと立ち寄った。
「また明日」と約束できる存在がいることが、こんなに自分を強くしてくれる。
鏡に映った自分は、朝よりも少し自然に笑えている気がした。
(リアやカーターに感謝ね。もちろん、《たすく》にも――)
そう思った瞬間――。
イザベルが映っていた鏡に可憐な少女が映った。
ピンクベージュの髪に、水色の瞳。
ロザリンの美しい微笑に、ぞっと背筋が凍った。
「あら、イザベル様ではないですか。まだ、学園にいらっしゃったんですね!」
鈴の鳴るような声に、先ほど静まったはずの心がざわついた。
イザベルとは対照的に、ロザリンは機嫌が良さそうだった。
「――ええ。テスト前だから……」
そういうと、ロザリンの横を通って抜けようとした。
その瞬間――ロザリンがイザベルの腕を掴んだ。
「そんな急いで出て行かなくてもいいじゃないですか」
微笑むロザリンに《たすく》が警告を口にした。
ドクドクドクドクッ――。
早鐘のように胸が鳴った。
「お勉強するなら、この前みたいに自習室で一緒に出来たら嬉しかったわ。最近ずっとルーファスと一緒に勉強してるんだけど、本当に教え方が上手なの」
上から目線でロザリンがそう言った。
イザベルは、図書室での二人の様子や刺繍の手ほどきを受けたことを思い出した。
「っていうか――……好感度上げるとデレて来る感じがルーファスルートの魅力って言うか?」
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