第41話 忍び寄る影
「何、これ――」
3階に用意されたという自分の部屋の扉を開けた瞬間、思わず声が漏れた。
この屋敷全体が美術館のように意匠を凝らされた作りだった。そして、この自分のために用意された部屋は――。
ブルーの小花柄の壁紙に、深い青に金の模様が描かれたカーテン、細部まで草花の彫刻が施された重厚な家具が置かれていた。
(素敵!)
《この壁紙のお花もかわいいね》
部屋の内装に驚いていると、イザベルの荷物を運びこんでくれた使用人がドレッシングルームへと案内した。そこにはイザベルが持ち込んだ以上の衣裳がかかっていた。
「これは……――」
「ルーファス様がご用意したものも置かせていただいております」
「ルーファス様が!?」
「はい。こちらにはアクセサリー類が」
引き出しを開けると、衣裳と同様自分が持ち込んだ以上のアクセサリー類が入っていた。
《ルーファス、すごいね~。たっくさん、イザベルにプレゼント用意してる》
(ちょっと用意し過ぎよ……。こんなに準備されたら、どうしたら良いか分からないわ……)
ルーファスへの思いを自覚したばかりのイザベルは、ルーファスの行動をどう受け止めて良いのか戸惑った。
「こちらのお部屋も――」と、私室の続きの間に入ると、壁一面に書棚が並んでいた。
「え!?」
「こちらは、ルーファス様のお部屋にあったものを移動させて参りました」
「ルーファス様のお部屋にあったものを……?」
(図書室の蔵書も凄かったけど、各部屋にまでこんな書棚があるなんて……。それにしてもルーファス様の書棚を私の部屋に持って来ていいの?)
「ルーファス様の書棚は宜しいの?」
「のちほど用意する予定ですので。まずはイザベル様にと、おっしゃられまして――」
この書棚は特注のものらしく、他のものよりも準備に時間がかかるらしい。
イザベルの部屋に置かれた書棚には、ルーファスが考えてくれたのだろうか。
料理や刺繍、植物に関するものや女性向けの流行の恋愛小説なども並んでいた。
イザベルが何気なく取った『寝ても覚めても』という本の裏面には、「国のために政略結婚をした二人が、いつの間にか恋に落ち、惹かれていく――」という、誰かを思わせるようなあらすじが書かれていた。
そのあらすじに驚いてあらすじを裏に向けると、本の表紙には抱き合う男女が口づけをする絵が描かれていた。その絵の男女が、イザベルとルーファスに思えて、イザベルは顔を赤らめ、慌てて本を書棚に戻した。
(何考えてるのよ、私ったら。でも――……ルーファス様がこの本を……用意したの?)
イザベルは先ほどのあらすじや表紙の絵を思い出し、その絵やあらすじに自分とルーファスの姿を重ねてしまっていた。
「――さま、……お嬢様」
ぼんやりと妄想に耽っていたイザベルに、ドリスが冷たい目を向けた。
「――あ」
「大丈夫ですか?」
「ええ、ちょっと……疲れて」
「そうですか。でしたら良いのですが――」
「このお部屋を見ても、小公爵様はすっかりお嬢様に骨抜きになられているようですね」
「ほっ……骨抜き!?」
《骨抜きって何?》
「そんな……――」
《ねえ、イザベル。骨抜きって? 危ない?》
「危なくはないけど!」
「は?」
イザベルは《たすく》との脳内会話と、目の前のドリスとの会話がごちゃごちゃに混ざってしまった。
(――しまった)
「危なくはないとは、どういう?」
「……なんでもない」
(骨抜きっていうのは……その、夢中に、なっているということよ――)
《ルーファス、イザベルに夢中?》
(そっ……そうじゃないとは思うけど)
《でもたくさんプレゼントあったし、そういうことか~》
《たすく》は納得したように、ルーファスが用意した部屋を隅々まで確認しようと飛んで行った。
「旦那様も、お喜びになっているようです」
ドリスは淡々と報告してきた。
そう。ルーファスの手紙を受け取り、父はすぐに返事を寄越した。
同時にドリスにも何かの指示を認めた手紙を送っていたようだ。
(はぁ――。本当にしつこい。アビーのことさえなければ、気が楽なのに……)
アビーがフォートレル侯爵家に捕らわれている以上、ドリスは父に忠実だった。
何より、ドリスはイザベルを憎んでいた。
(こうなったのは、私の所為……だものね。仕方がないけど――)
「まさかとは思いますが――、お嬢様も小公爵に骨抜きになられている、ということはございませんか?」
ドリスは責めるような視線をイザベルにまっすぐに向けた。
――ルーファスに、骨抜きになっている……。
イザベルはドリスの問いに視線を反らし、首を振った。
ドリスを騙すための仮面はかぶったが、ルーファスを思って高鳴る胸は誤魔化すことができなかった。
◇◇◇
「ルーファス様、こんなに色々ご用意いただいて、本当にありがとうございました」
ロザリンの護衛を終えたルーファスが戻ったのは、皆が夕食を食べ終えてからだった。ディオンと夕食を食べて来たルーファスは、すぐにイザベルとともに3階フロアに上がった。レープ公爵はまだ帰宅しておらず、ブレンダもイリーナもルーファスの帰宅後はすぐに私室へと向かった。
「今日は申し訳なかった。本当は私が迎えるはずだったのに、こんなに遅くなってしまって」
いつも平然とした顔をしていたが、帰って来たルーファスは疲れを隠せていないようだった。
「気になさらないでください。お忙しいのは重々理解しておりますので」
私室の扉の前でイザベルは立ち止まった。
(……私室に招き入れて良いものかしら?)
イザベルとルーファスは、婚約者ではあったが未婚の男女でもある。
(やっぱり、一緒に暮らしていると言っても私室に二人、というのは――)
いつもならイザベルの躊躇いに気付きそうなルーファスだが、疲れていたのだろうか。ルーファスは隣の自室の扉を開け、そのままイザベルを中へと促し、カーターに部屋の外での待機を命じた。
《このカーテン、イザベルの部屋のと色違いみたい!》
《たすく》はルーファスの部屋を見てすぐにそう言った。確かにカーテンはイザベルの部屋のものと色違いのグリーンで、壁紙もアクセントカラーにグリーンが基調とされていた。
(最近――グリーンがお好きだと言っていたけど、この部屋も改装したのかしら……)
部屋のことを質問するよりも前に、ルーファスがイザベルを抱きしめた。
「え!? あ……あの――」
突然ルーファスの甘い香りに包まれ、イザベルは戸惑っていた。ルーファスはイザベルの首筋に顔を寄せるように首を動かした。
「少し――充電を……」
《ルーファス、ぎゅってするの、好きだね》
(そ……そう、ね。っていうか――、そ……その距離だと、吐息が……――)
イザベルの耳に、ルーファスの吐息がかかる。
何も言わないルーファスが、ぎゅっとイザベルを抱きしめた。ルーファスの温もりに包まれたイザベルの脳内には、先ほど見たラブロマンス小説の表紙の二人が浮かんだ。
(これって……――)
ルーファスがイザベルから身体を離し、イザベルの瞳をじっと見つめている。瑠璃色の瞳に映る自分の顔に、戸惑いと期待が浮かんでいるのが分かった。
(口づけを……するのかな)
イザベルはルーファスの形の整った唇を見て、緊張でゴクッとつばを飲んだ。
(私の方が年上なのに、こんなことで緊張するなんて――……)
《どうしたの? イザベル?》
(なっ……なんでもない! 《たすく》には分かんないことだから)
《え? どういうこと?》
(どういうことって――……その……)
ルーファスがイザベルの手を握った瞬間、イザベルはそっと目を閉じた。
「座りますか?」
「――え?」
口づけされるのを覚悟して、閉じた瞳はすぐに開いた。
ルーファスはソファに座るために、イザベルの手を握っただけだった。
自分の勘違いに気が付き、イザベルはカァッと体温が上がるのが分かった。
《ぼくに分からないことって何なの?》
(――なんでも、ない……)
「イザベル、気を悪くしないでほしいんですが――」
「はい」
「昨日、学園で何をしていたのか……少し、話していただくことはできますか?」
「――学園で?」
ルーファスは、眉根を寄せてイザベルを見た。
その瞳は、戸惑いに揺れているように見えた。
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